ワンルームの楽園
ゆっくりと瞼を上げる。窓から入ってくる風でカーテンが揺れるのをぼんやりと眺めながら、私はいつからこんな風にしてたんだっけと思いを馳せた。
自分が寝ていたということに気づくのはそれから数秒後で、同時に日直の日誌を提出してから戻った教室でうとうとし始めたんだと気づく。ああそっか、昨日は遅くまでゲームやってたから……ふわっと大きな欠伸をして、大きな伸びをした。
すると、死角からガタリと椅子が揺れた音がした。緩慢な動きで振り返ると、誰もいないと思っていた夕暮れの教室でただ一人、スケッチブック片手に私を見つめるクラスメイトの姿。もう片方には鉛筆が握られていて、美術系に進みたいと言ってた彼らしさに笑った。
「菅谷くん、おはよう」
「っあ、ああ、はよ。いやいや夕方だろ!」
「時間なんてどうでもいいんだよ。寝てたか起きてたかそれが重要であって」
「相変わらず、わかんねー奴」
「そういう菅谷くんは?スケッチブック片手に何を描いてたの?」
机に肘をついて、隣に座っていた菅谷くんを見つめる。その瞳が動揺したように揺れて、そのスケッチブックをしまいながら「な、んでもない」と呟いた。声は震えるわ視線は合わないわ、分かりやすすぎるなって。
鞄にしまおうとしたそれを奪うように横取りして、菅谷くんの制止も聞かずにペラペラとめくる。最後のページ、中途半端に描きかけの絵がひとつ。その絵を見つめて、顔を上げた。真っ赤になって恥ずかしそうに俯く菅谷くんに、ニンマリと笑った。
「これ、私?」
「……悪い。つい、デッサンしたくなって」
「や、別にいいよ。減るもんじゃないし」
「超恥ずかしいからもう返せよ」
「もうちょっとだけ見せて!」
「なら他のページは見……おい!見るなって言ったろ!」
「!」
いくつかめくるページにはクラスメイトたちの姿があって、時々殺せんせーとかもあって。あぁうまいなあと思ってたのも束の間、定期的に出てくる自分の姿に目を疑った。とても私じゃないみたいな表情をしてるスケッチブックの中の私は色んな色で描かれていて、水色だったり赤だったり。素直に凄いと思ってまじまじと見つめたときには、がばっとスケッチブックは菅谷くんの腕の中で。「えー」口を尖らせたら、また照れたように菅谷くんは顔を背けた。
「はずいからやめろ!」
「減るもんじゃないし」
「減る!俺の元気が!」
「もっと見たい」
「ぜってぇ、ヤダ」
「なんで私がいっぱいいたの?」
「……そ、れは」
「ピンク色のやついい感じだったよ」
「か、感想言うなハズい!」
さっさと荷物をまとめた菅谷くんが教室から飛び出そうとするのを見つめながら、聞こえるように「つまんなーい!」と声をあげた。それから、もう一度机に突っ伏す。なんだか帰るのも面倒くさくて、もうしばらく寝てやろうと身体を折り曲げたわけだけど……聞こえてくる足音に顔を上げる。菅谷くんが私を見て、呟いた。
「お前、帰らねーのかよ」
「うーん、面倒くさくて」
「バカ。置いていけるかよ」
「心配してくれてんの?」
「悪ぃか」
「ううん、ありがとう。でも先に帰っていいよ。私はもうちょっ……菅谷くん?」
「なら最後までデッサンさせろよ」
さっきまで座っていた席にもう一度腰を下ろした菅谷くんは、無造作に鞄からまたあのスケッチブックを引っ張り出した。鉛筆片手に私を見つめて、それから顎でもう一回突っ伏せという指示をしてくる。なんだかなぁと思いながら、さっきのように菅谷くんにそっぽを向く形で突っ伏した。
鉛筆が滑る音とカーテンがさらさらと揺れる音をBGMにのんびりまどろむ。もう少しで寝落ちそう、そんなとき背中から声が聞こえた。
「描きやすいんだ。お前」
「そうなんだ」
「理想のカタチっていうか、描いてて楽しい」
「そんなもの?」
「なんつーか、スゲェ、好き」
そんなにいいバランスなんだね私のカタチっていうのは。そう返そうとしたところで、ふと鉛筆の音が聞こえなくなったことに気がついた。顔だけ菅谷くんの方に向ける。机に頭を預けてるからか、横に傾いた彼の顔は私を見つめたまま赤くなってるようにも見えた。あー、今日はきれいな夕日だもんね。明日晴れるね、なんて。
「どしたの」口を開いたら、菅谷くんは本日何度目かの動揺を見せてもう一度鉛筆を走らせた。顔はそのままに、菅谷くんのスケッチブックを見つめる瞳をじっと覗く。
「私も好きだよ」
「っは?!」
「菅谷くんの絵。そのスケッチブックすごいすてきじゃん」
「…………バカ」
えっなんで今罵られた?眉をひそめた私に「こっち向くな!」なんて声が飛んできて、へいへいと顔ごと窓に向けた。好きとかそういう言葉に弱いのかな。ぼんやり考えながら沈む夕日を眺めていると、鉛筆がカランと机に投げ出された音と同時にスケッチブックが破られる音、びっくりして顔をあげたら押し付けられるようにその1枚を渡された。
「やる」
「え?いいの?」
「お前のこと描いてたんだ、別にいい」
「すごい……上手!」
「だからもう帰るぞ。日が沈んだら抜けられねぇだろあの山」
そういえばと窓の外を眺めると、あっという間にうすぼんやりとした色になっていて。慌てて窓を閉めて鞄を引ったくって、早く来いと呼ぶ菅谷くんを追いかける。隣に並ぶと、思ったよりも大きな菅谷くんにちょっとだけ驚いた。
「その、みょうじ」
「ん?」
「…またデッサン、させてくれよ」
「もちろんいいよ。私はフリー素材だから」
菅谷くんがはっとして、それから「なんだよそれ」と笑った。特に面白いことを言ったつもりじゃなかったけど、喜んでくれたなら良かったかな。
思わず菅谷くんの絵を掲げたら、やめろと頭を小突かれた。
150727