やっぱりヒーロー
最低な人と付き合ってたなと今でも思う。それはもう、付き合ってたのか付き合ってなかったのか私にも分からないほどの関係だったけど、2年になって成績ががくっと下がってクラス落ちしなければ今もそんな関係が続いていたかと思うと改めてエンドのE組で良かったなと感じるくらいに、私はその人が嫌いだった。
本当に最低な人だった。私は一度も彼に好きだとは言ったことがなかった。それでも常に上位グループにいた彼を振ることも出来なかったのは、私の弱さだった。
そして今、山の上の校舎まで行く私の腕を掴んで離さないのは、散々私を卑下して優越感を抱くための対象イコール彼女として側に寄せ続けた男。もう見るのもつらいし喋るのもつらい、出る言葉はどうせ罵りか過去の関係の話。
「お前俺以外に男作ってないだろうな」
「…」
「まさかお前みたいなE組のおちこぼれ女が俺以外の男と付き合うとかそんなふざけたことしねーよな?」
「…もう別れたじゃん」
「は?あたりめーだろ、E組の女と誰が付き合うかブス」
「……」
「でも俺以外に男作ったら絶対許さねーから」
「意味、分かんないんだけど」
つい強気に出たのが悪かった。思わず睨み付けると、奴の眉間にシワが寄った。掴まれた腕が引っ張られて、制服の下のシャツごと胸ぐらを掴まれる。首もとがしめられるとさらに身長差で足元が不安定になった。
苦しい顔をしてるE組の私がよほど可笑しいのか、にやにや笑う目の前の奴と周りを通り過ぎる奴らがクスクス笑いながら私を見る。反撃したくてもできない、ぶん殴ってやりたい、でも息が苦しい。悔しさに泣きそうになったとき、突然私の胸ぐらを掴んだ腕が力なく落ちた。
同時に崩れそうになる私を咄嗟に抱える大きな身体。ごほごほとむせる背中をゆっくりと撫でてくれる大きな手のひらには覚えがあって。
「本校舎の生徒はやっていいことと悪いことの判別もつかないのか」
「だ、誰だよお前」
「E組担任の烏間だ」
低い声にどきりとした。背中を撫でていた手に力がこもり、少しだけ私を引き寄せる。背中にいる奴の顔は見えないけど、聞こえた舌打ちは私が昔散々ぶつけられたあの舌打ちで。忌々しい記憶のフラッシュバックに耳を塞ぐと、今度は強めに引き寄せられた。スーツに顔を埋める。また泣きそうになった。
「悪いが先を急ぐ。みょうじさん、大丈夫か」
「う、大丈夫、です」
「よし」
俯き烏間先生についていく私の背中に罵り言葉がいくつもいくつもかけられる。当時聞かされた言葉だったりもっと強い言葉だったり。ぐっと我慢すると涙がこぼれそうになった。何より、精神攻撃になりつつある本校舎の存在が苦痛だった。でもそれも、言えない。
肩を抱き寄せる力が強くなる。びくりと身体を震わせた私に、低いのにどこか優しい声が降ってきた。
「気にするな、とは言わない」
「はい」
「君はもう落ちこぼれたE組なんかじゃない、世界中を背負ってる暗殺者だ。凛としていなさい」
「…はい」
「いつもみたいに笑っていればいい。君にはその方が似合う」
ゆったり頭を撫でられて、さっきまでの胸くそ悪さが収まっていく。大きくて広い手のひらは、私の髪の毛をくしゃりと崩すとスッと目の前に差し出された。何事かと首をかしげる私に、山道を顎で指した烏間先生が息をつく。それにならって山を見上げた。
「そんな精神状態で学校までの山道を登ったら転ぶのは目に見えてるからな。さっさと登るぞ」
「えっ!か、烏間先生の手、取っていいんですか」
「…言い直さなくていい、恥ずかしいだろうが」
ふいっとそっぽを向いたのに手はひっこめない烏間先生。感動していっそ飛び付きそうになる気持ちを抑えて、その手を取った。お父さんみたいな、お兄さんみたいな、でもどれとも違う手は防衛省の鬼教官と言われたのも納得の、努力をしてきた強い手で。
握ったと同時に引き寄せられる。見上げたら、ほんの少しだけ烏間先生が笑ったような気がした。
「気を抜いたら引きずるぞ」
「そ、それは嫌です!」
140301
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