鼻の奥を直接突かれた。かと思った。 左、鞘を。右手、柄へ。視界には、一人…女? 「目は覚めたかね」 「っ、お主は何者だ」 ハッキリとした力のある目が、こちらを見ていた。呆れの色をこさえて。 「助けてやったんだよ、私は、君のことを」 「……名は」 「名乗るほどの名はないさ。それより傷の具合はどうかね。いい調子かい」 斬鉄の一振りを胸前に構えたまま、視線のみを下げる。手先以外は白い布で覆われていて肌が見えなかった。だが、痛みはない。痛みがないなら、問題はない。 「名乗れないのか」 「そういう君はどうなんだい」 「拙者は、石川…五ェ門」 「そうかい。いい名前だね、時代劇みたいだ」 「拙者も名乗ったのだ、言え」 そう言って、その時初めてそんなことを知った。女の頬に、何か文字が見える。容易には落ちないような墨によるものか、黒い字は女の両頬に×印と共に踊っている。《×口調》と《×記憶》。その語の意図するところは分からない。 女はそんなものは気に掛けずに口を開く。 「不公平だって?うーん…そうさな、私は…」 怒りたくなる程短い一瞬の間、女はシンから参ったような顔をして、やはりそんなものはなかったかのように口を開く。 「×二×だ」 「…それは真の名か」 「そういう君こそ、本当の名かね、××××」 「嘘はない」 何か雑音が耳を侵したのか、女の言葉が切れ切れになった。言葉だけではない。表情も切れ切れに。そして女は何と?拙者を、何と? 「そうだ、気に入らないなら君が付けてくれ。困っていたんだ、私も。ここに来る前後の覚えがないんだ、何も。二日より前は思い出せない」 「思い出せない…?今名乗ったろう」 「頭ん中に浮かんだんだ。おかしいな、私も知らない名だ」 「よくも知らん名を己が物のように言えるな」 「うん、そうだね。こいつはおかしい」 「………」 「おかしいと言や、産まれたばかりのような心持ちなのもだ。二日前には私は産まれてなかったんじゃないかね」 そんな筈はあるまい。風貌は乳飲み児のそれではない。女と認識できる。 飯はどうしてる?二日くらい食べなくても平気さ。 水はどうしてる?外を見たまえよ、一面銀世界さ。 暖はどうしてる?分からないか、ここは暖かろう。 人は、他に人は?探しに出たら、そこに君がだよ。 それは何日前だ?二日前だ、それ以前は悪いがね。 私にはわからないよ。 まるで話が掴めない。だが女が気が違っているようには、少なくとも今は思えん。或いは、己が? 眩暈がしてきた。目蓋がいやに重い。 だというのに、この頭の冴えよう。 キミが悪い。 「君が悪い。起きてすぐそんなに捲くしたてるからだよ。まだ良かないんだ、安静安静…」 「お、お主を…拙者…」 視界に女を捉えようとして、視点が定まらない。左を、右へ。木の壁に、何か引っかき傷…何故今それが目に入る。女、女は。この方なく冴えているのだ。もう少し、もう少しだ。 知っているのだ。 勝ち気な瞳が、主張の強いその瞳が、僅かに陰を含んだ時、記憶の中の誰かを思い起こさせた。 「××ア殿」 ← |