まるで、母親を求める子のようだった。 背を撫でる手には甘えん坊の心が、腰に回された腕にはすがりが、腹にうずめられた頭には迷子の面影が見え隠れして、目の前の侍の体を成していた。 全くもって珍しい五ェ門の姿だった。 「五ェ門?」 「……む」 「珍しいね」 伸びるままに伸ばした長い黒髪を撫でると、五ェ門の呼吸が少しだけ落ち着きを得たような気がした。息が乱れていたわけではないが、心が乱れていたように思う。その乱れが、この珍しい行動になる。 今私は、五ェ門と向き合って膝立ちでいる。必然的に私が五ェ門を見下ろすような形になって、新鮮だった。いつもは見上げなければならない天辺が私の視線の下にある。 柔らかい声で五ェ門の名を呼ぶよう努めた。私が少しでも拒絶する色を見せれば、彼はすぐにでも離れていってしまうだろう。 「いいんだよ」 「…本当か」 「もちろん」 私から緒を切ってやらなければいけない。そうでなければ、五ェ門は動けず、動かない。 そうして私が許しを出せば、五ェ門はようやく顔を上げた。期待を帯びた目をしていた。いつもといくらか立場が逆に思うが、今は私が導き手なのだと五ェ門が訴えている気がした。 だから私はその期待に応じた。五ェ門への愛しさがほとんどそうさせたと言っていい。ゆっくりと前髪へ、それを掻き分けて額へ、少し下って目尻へ、頬骨を通って耳朶へ、それから顎をなぞり口の端へ。自らの唇を落とす。 視線を上げると、不満な瞳とぶつかった。そしてすぐに唇を塞がれる。下から絡められる舌は反射的に逃げようとした私の舌を追い掛けてきた。これもやはりいつもと違う。 「いいよって言ったのに…」 「だがな…」 「私からすると思った?」 「して欲しく思った」 「ずるいなあ…」 「お主もな」 まだ不満気な瞳がじぃっと私を見据えた。欲を抱えているクセにどこか澄んだ輝きを持つその目に見つめられるのにちょっぴり抵抗を覚えて、それをごまかすために五ェ門の頭を抱えて視線を断ち切った。 私の気持ちに気が付いたかは分からないが、五ェ門はこの行動に乗ってくれた。横隔膜の辺りに頬を擦り寄せて、深く息を吸う。 「お主の匂いがする」 「…どんな?」 「言葉では表せぬ…が、心地よい気分になる」 本当にそのようで、五ェ門の声にはうっとりとした響きが籠っている。梳くように髪に手を通すと、更に五ェ門の雰囲気が変わっていくのがはっきりと分かった。 こどもみたいだ、本当に。 「自分の匂いって分からないなあ」 「そんなものだろう。拙者だって分からぬ」 「そうだよね、やっぱり」 髪を梳いていた腕を取られて膝立ちが崩された。五ェ門の腕の中にすっぽり収まるいつもの体勢になる。急に引っ張られたことで顔をしかめると、五ェ門がぴたりと動きを止めた。大丈夫だと告げると、心配そうに顔を覗きこまれた。大丈夫だということを分かってもらうために、自分から五ェ門との距離を詰めた。 上からの視点がちょっと惜しいような気もしたが、この位置がやはり落ち着く。 目の前には五ェ門の鎖骨があって、骨骨しさが男を感じさせた。私はそこに頭をもたれてゆったりと呼吸する。鼻をくすぐった匂いは、五ェ門の匂いに間違いなかった。どんなと問われても答えられないが、心地よい。 「五ェ門の匂いは落ち着くなあ…」 「そうか」 「ん、五ェ門?」 ぱっと身体を離されて、真っ向から五ェ門と対峙した。ぽうっとしていた頭が急に覚めて、驚きに目を瞠る。 「抱き締めてもよいか」 「今もしてたじゃない」 「思いきりだ。酷かもしれぬが…」 「いいよ。って、さっきも言ったでしょう。好きにしていいんだよ、耐えられるから」 「かたじけない」 改めて聞かれるまでもなく、抱きしめてもらえるなら私はいつだってはいと答えるのに。 それでも律儀に尋ねてくるあたりが、きっと五ェ門の良い所なんだろう。 ← |