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「この道は、まちがっていたのかもしれない」
ジャーファルと新参者のスパダとともに商会に帰り、皆に出迎えられ、
エナはまっすぐに俺のところへ来た。
そこで、発したことばがこれだ。
新しい主人に付いたのがまちがいだったのか、俺に付いたのがまちがいだったのか。
エナははっきりと、俺の方だと答えた。
「もう帰ることはないって、昔の恩人に尽くすつもりでいたの。
あいにく、その彼も死んでしまったけれど」
仕方ないから俺のところに戻ってきた、そういうわけか。
俯き加減で言う彼女の手を握ると、それはふりはらわれた。
その恩人に、どんな思い入れがあるのか。
俺の知らない彼女が、たしかに生きている。
その後のエナは、俺と話すのを明らかに避けていた。
ちょうど一週たったころ、俺はエナを部屋に呼んだ。
「なあ、エナ、」
彼女に何があったかはジャーファルから事前に聞いている。
それは、彼女自身、ついこの間まで知らなかった真実だった。
武装集団 “シガラキ”にあずけられたエナは、育て親かつ頭領であるレンのもとで、幼いながらに組織の右腕として活躍していた。
しかし、ある事件を境に、王族からみすてられた“シガラキ”は焼き払われた。
そこで王族の家来のひとりがエナの記憶を消し、パルテビア行きの船に乗せたのだ。
それが、俺と出会うまでの数年間。
そこまでは、決してまちがっていないはずだ。
彼女なりの正義、恩返し。
まだ十二歳の彼女には、すでに生き方が確立されている。
それでもこの道はまちがっていた、なんていうのは、俺のせいだ。
俺が歩んだ道がまちがっていたのは、あの時だろう。
マリアデル商会との賭け。
俺ははじめ商会のためだと思っていた。
借金を返すためだと。
しかし、俺は明らかに浮かれていた。
結果、自分の力を誇示するために金属器を振るっていたのだ。
エナは、そんな俺の傲慢さに気付いていた。
俺がマリアデル商会に入ったときにはすでに、その監獄に入り、エナは待っていた。
一緒に脱獄するため、先に入って抜け道を探していたのだろう。
しかし、俺が監獄に入る前に、エナはマーデルのせいで、自己を失いかけていた。
自分と戦うことで精一杯になってしまったのだ。
薬を定期的にのまされていたため、自我を取り戻したり、失ったりの繰り返しだったという。
その中で、自我を取り戻したエナは、悪いタイミングで俺の拷問をみてしまったのだ。
詐欺師のような女に拷問をうけ、屈したかつての当主をみる気持ちはどんなか。
もう自分の主人はあてにならない。と、あきれただろうか。
だから、新しい引き取り手のところへ去ったのか。
俺は、シンドリア商会に帰ってきてからも、ずっとエナを気にしていた。
ジャーファルはエナを探しに商会をあけた。
しかし、俺はそんな気になれなかった。
エナは俺と真っ向から話してはくれないだろう。そう思ったからだ。
今までにも、商会を離れていった者は何人もいる。
けど、エナにだけは、なぜか離れてほしくなかったのだ。
溺れている人がいるなら、天から大きな網を出して全員すくってやるような助け方をしてきた。
誰かを特別に思うこともなく、みんなが大切で、
いつも、助けたい、よりも、助けなきゃ、という義務感のほうが先行する。
そんな自分だった。
例え暗殺者でも、漂流して出会った子供でも。
分けへだてなく。
それは、今でも変わっていないはずだ。
しかし、俺はいつからか、生きてほしいひとを選り好みするようになっていた。
反発しながらも、隣を走り続けてくれるエナ。
なぜか、あの幼い笑顔を思い出して泣きそうになった。
身よりのないエナを拾ったのがはじまりだった。
しかし、俺が拾わなくとも、ひとりで立ち上がれただたろう。
俺についてこなくても良かったのだ。
父母の死。
エナとは原点から、一緒に歩んできた。
いつからか俺の道には、エナのことばが、力が、存在そのものが必要になっていた。
俺に遠慮して普段は表にあまり立たないだけで、
彼女にはリーダーの素質がある。
ジンの力を抜きにして、俺よりも戦力がある。
彼女は俺と出会わなかったら、きっと迷宮を攻略して金属器使いになっていただろう。
それでもついてくる彼女に、俺は甘えていたのだ。
*
罪悪感と、
再び恩人を失ってしまった、という喪失感を引きずりながら、私は数日をぬけがらのように過ごした。
前に進もうと腰をあげること。
それは強風のなかを歩くよりも辛いことのように思えてしまったのだ。
スパダ少年もシンドリア商会も、新たに歩みだしている。
私も、前に進まなければいけない。
それから更に数日後のことだ。
私がシンバの部屋に呼ばれたのは。
そこで彼は、こう私に語りかけたのだ。
「俺との道は、まちがっていたのかもしれない。そう言ったよな。
確かに俺はあの時、自分を過信していたよ。
商会を背負う男におさまらない、
もっと可能性のある、運を操る男だと。
けど、世界を狭くみすぎてたんだよな。
エナ、今まで振り回してすまない。
お前の道は、まだまだ無数に広がってるよ。
これからは、お前の好きなように生きろ」
そう言ったシンバは、今にも泣きそうな、切ない顔をしていた。
これで二度目だ。
彼がこういう表情をしたのは、シンバのお母さんが亡くなった時にも見たことがある。
「ごめんね、シンバ」
ちがう、ちがうんだよ。
私はシンバに近づいて、背中にそっと腕を回して抱きしめた。
「私はシンバに恩返しをしたかった。
ずっと忠誠を誓っていたかった。
そのはずなのに、自分から道を脱線してたの。
私、分かったよ。
主人なら、まちがいとか、そんなのは関係ないのかもしれない。
曲がっていても、一から戻ったとしても、
どんな道を歩んでも、そこには正解なんてない。
けどね、これからは、王のシンバの後に、
いのちが芽吹き、花が咲き、季節をつくる。
シンバの通った道が、これからの正義になる。
だから、ね、」
泣きそうで、声が震える私の頭を、シンバは優しくなでた。
だめだ。これ以上優しくされちゃ、ただ泣くだけで肝心なことを伝えられない。
私は離れて、彼の目をじっと見つめた。
「もう一度、シンバと同じ道を歩ませてください」
それに、彼は優しく微笑んだ。
「そうか。お前の自由は俺がもらっていいんだな。
俺こそ、もう一度、共に歩んでほしい」
その言葉に、私は笑顔でひざまずく。
私は、これからも、あなたの後を。
「もちろんです。我が王よ」
29.3.16
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