焦るな!ジャーファルくん | ナノ



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「大丈夫だよ。もうやらないからさ」


柔らかく優しく、しかし薄気味悪さも持ち合わせた笑みをもって、彼は私を安心させたいようだった。
そして、こう続ける。

エナちゃんの記憶、大事で仕方ないんだろう?
大丈夫。君にもかけない。


最初から決めてたしね。あの三人だけって。


私の内心は恐怖で支えきれないほどになり、体が少し震えた。男は更に笑みを濃くした。

−ー





























翌朝は、エナと王宮へ向かった。拠点とだいぶ離れた場所に位置する王宮へは、馬車と徒歩で二時間足らず。最後に乗った馬車で、エナは改めてスパダを取り返すことについて説明してくれる。



彼、明日から留学なんだよ。その隙を狙うの。

隙なんて、簡単に言う。私が眉間にしわを寄せると、エナはいやいや、大丈夫だよ。と指で私のそこを押した。

しかし、どのくらい私達が入り込めるものか分からない。一切の油断もならない。
エナは面持ちだけでそう語った。


隙。これから足を踏み入れる王宮内では少年が一人になる隙など与えられないだろう。


「行き先はどこですか?」


私が聞くと、
バルバッド、と息をひと吐きして彼女は言った。

簡潔すぎる答えに、え?私は聞き直した。
バルバッドだけど、知らない?
二度目の彼女は不思議そうに答えた。


バルバッド、、知らないはずがない。
私はもう数日顔を見ていない当主のことを思い出す。


数週間前に、シンが戻った。しかし、エナの姿はシンドリア商会に無かった。
彼女がいないシンドリアは活気が足りないと、古参は口を揃えて言った。
彼女の捜索は難航し、私だけでなく商会員の誰もがもどかしさを感じていた。
自分が前線に出てしまえば早い、焦りからそう言いだす者も数人いた。私も例に漏れずそう思っていたが、自分から前に出ることはしなかった。

そこで私情を通せば、心を晒すことになるからだ。
私の心の中は、もう、エナに焦がれた淡く綺麗な恋心だけではなかった。
泥のような醜い独占欲が鎮座していた。

そんな心を、シンは見抜いたのだ。
流石とも言うべきか、尊敬に値する彼の気遣いは、私の現地入りを許した。

そう私が陰で動く中、ラシッド王の支えもありながら、シンドリア商会はバルバッドへの移転を決めたのだ。
一行は今頃、第一の拠点であるレーム帝国、ナーポリアの商館を閉め、新拠点に船で向かっている最中だろう。


「えええ!そうなの?!」

「いや、そんな、驚かなくても。その体勢、腰折れますよ」

エナは大胆に驚いてみせた。手を広げて腰をなんとかバウアーよろしく逸らしている。
腰を支えてやると、彼女は姿勢を元に戻して私に質問を投げかけた。

「ラシッド王って、前にシンバが良くしてもらってた?」

「はい、シンを奴隷から解放する手助けをしてくださったのも、あのラシッド王」

「え?私の解放は?」

「関与してませんよ」

しばし無言で俯いて、彼女は頬を膨らませた。なんで自分は助けなかったのか、気に食わないようだ。

「間に合わなかったのは謝ったでしょう?」

「ちぇー。なかまはずれ」

「まあまあ、そう拗ねないでください」

「はいはい」


思い出されるのはシンの賭け試合、闘技場の、あの時だ。
目を青くした彼女。手を離してしまった自分。

必ず取り戻すと誓いながら、諦めそうになった事もあった。しかし、運命は私とエナをしつこく離してはくっつける。

まるで波打ち際のそれだ、と私は思う。
引いては寄せる波。それに逆らって、私は砂に約束を書いた。
私だけは変わらないで隣にいよう、と。

すでに一度消えてしまったが、懲りない私は書き続ける。消えると分かっていて、跡を残し続ける。

間に合わなかったことは謝っても、彼女の自我がなかったあの時、私が手を離したことには一切触れていない。怖いのだ。
罪悪感が渦をまいても、勇気を捨てた臆病には勝てなかった。

その代わりと言っては何だが、普段は引っ込めてしまう本心を開け放そう、と私は思う。

貴女が無事でよかった。
ありがとう、彼女は満足そうだ。彼女の久々の笑顔に私も頬が緩む。不思議と、ほだされていく。



「それ。

やっぱり、一番ですよ」


「え?それって?」

「そのままです」

え?え?と未だその意味が分からず聞いてくるエナに、煩いと返した。ぶっきらぼうに言ったつもりが、少しだけ口角が上がってしまう。

何が一番かって。それはまだ知らなくて良い。

普段は頭のキレる彼女もこんな場面では鈍い。可愛らしい。
頭の回転数上げてきましょ、と頭に手を置いて笑うと、なにごと!?と怒られる。

幸せだ。まだ。そう、まだ知らなくて良い。
私の気持ちも。これから起こりうることも。
これから先の流れには、きっと勝てやしない。





「じゃ、私はあなたの合図を待ちます」

「任せたよ」

「ええ。全体的に任されてるのはあなたですけどね」

「たしかに」

ふふ、と笑ってエナは私の肩に手を置いた。前に歩きだす彼女とは一旦道を分かつ。

ああ、また行ってしまったな。

戻ってくる保証なんて、いつでもゼロだ。
私と彼女の人生の交流は、いつ途絶えるか分からない。
今この瞬間にも終わりを告げて、エナのいない“これから”が来るのかもしれない。
ひととき離れるだけでも感傷的になってしまうのは、きっとそういうところだろう。


任せたよ、という言葉はどんな意味を持っていたか。それをじっくり考えようとしてやめた。
彼女がそこに込めた意味は、作戦を円滑に進めるものであって、深く呑み込むべきではない。

少し肩の力が入りすぎてたかな。

私は眉間のしわをほぐして、時間を潰すため、港までのルートを見に方向を変えた。













その後、無事にスパダ少年はエナの手によって王宮から解放されたのだった。

解放の手引きをしたとされるフェネの行方は、言うまでもない。彼は、真っ直ぐに葬られた。


29.2.25


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