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求められるのは高度な剣技、王族としての誇り云々。課せられた重石を懸命に背負おうとする小さな後姿。彼だ。彼の温もりだ。
ジャーファルは、今だけ幾分か背の高い私を抱きしめる。
彼は、幼くして大切な人を族に捧げた。
いや、自分の糧にした、という方が正しいか。とにかく彼は、自分の親を自分の手で殺したのだ。
血を浴びて振り返ると、固唾を呑んで見守っていた連中が拍手で迎える。よくやったな。これで俺らの仲間入りだ。
そういった具合に、親殺しという習わしは無産で無意味だ。“シガラキ”にも、レンが頭領になるまでは存在していた。つまりは私も通って来た。
誰も罪を問われない。
誰の気分も晴れない。
強引に散らせた命は地位を築く為の足しになり、後に名誉に化けて呪い始めた。
やがて、彼はある国の王様を暗殺を任せられる程になる。馬車を囲む数十人の護衛を物ともせず、自身は足の怪我ひとつ。鮮やかに済ませる事には慣れていたのだ。
その時だ。私達は、かつては同じ様な立場にいながら、敵として対峙していた。
数年足らずの人生の中で、そんな過去も越えながら、私達は一度出会って、また離れたのに。
「なんでそんな事、」
しているのですか。言い終えた彼は涙目で私を見上げた。
「シンのもとに……帰りましょう」
*
ごめん。今はできない。
脆く背に回した手は離された。
「待って」
急いで手を掴む。
今逃したらきっと、もうずっと帰らない。
どこへ行ったのか。シンは、シンに誓ったはずの忠誠心は。
何故人も姿も主人も変えて此処に。
「私が……私がやらなきゃダメなの」
ああ。あの時の私の弱さか。
答えは見えているし、手遅れじゃないか。
シンについて行こうと交わした約束を先に破ったのは私の方だった。
マリアデル商会の侵された彼女に怯えたのだから。
だから彼女を新しい主人の元へ売り飛ばさせてしまった。きっと新しい主人は扱き使い、彼女の抱える荷物を増やしてしまったのだ。
「私もッ、一緒に背負います、」
一緒に背負うなど、この歳でよく言えたものだ。
自分は馬鹿だ。愚かだ。けれど、エナとなら出来ると思った。
強がりたい筈の彼女のハットで見えない目から涙が流れて、その下で彼女は歯を食いしばっていた。
「ねえ。本当は辛い。そうでしょう」
この時には少しずつ芽生えていた自尊心。それを放って彼女は頷いた。
一人ではもう無理だと。
「おかえり。お友達かな?」
とりあえず、と連れられた小さな一軒家。
そこには色白にワインレッドのスーツに身を包む甘く顔の整った男がいた。エナはこの男をフェネと呼んだ。
説明は簡単に。商会の同僚だと片付けた。
そうか。シンドリア商会。彼は二つのカップを差し出した。
ありがとうございます。丁寧に礼をすると、そんなかしこまらなくていい、と椅子を手で示されたので大人しく座った。
細かい所作、様子を伺う。ばれたのか、彼はかっちりと目を合わせにこりと笑い、
さてと、と一度息をつき、
「彼が暗殺者?」
と問うた。
聞き間違いではない。
確かに彼は私を暗殺者か、と。
事実ではある。エナはそんなにこの男に心を許しているのか。
当然エナは、そうだと答えた。
私は固まった。
彼との間にはどのような商会の内密の情報が流れていて、これからしようとしている事は何なのか。
彼女は、やはりこの男に良いように使われているのではないか。
目の前の男はやはり猫を被って、
「あー、一人増えちゃうともう一回話さなきゃいけないのか。
まあ、ちゃんと話すからね」
そして、見透かしたように落ち着いて、と付け加えた。
シンドリア商会の情報は漏れていないらしい。疑ってしまった自分が情けなかった。
そして、どうやら私はエナと随分前に一度会っているようだった。
暗殺者、とフェネが言ったのは、
彼の仕えていた王を5年前の私が暗殺したから。
申し訳ありません。と私が形式よろしく頭を下げると、彼は大丈夫。とっくに吹っ切れてるよ、と肩を竦めてみせた。
安堵と同時に疑問に思った。忠臣の死に吹っ切れた、とは如何なるものか。思考が読めない男だ。
「さ、明日早いんだろう」
彼はエナの肩に手を置き、湯浴みを勧めた。彼女が浴室へ向かったので、私は彼と二人になる。
「なあ、ジャーファル君。
この話を聞いた時点で。分かっているだろう。
何も言わなくとも、君はエナちゃんを追ってここまで来たんだから、僕も言われなくとも分かっているけどね」
的確だった。私は赤面し項垂れる。
すると、まあまあ、と私を宥めて、彼ら続けた。ここからなんだけどね、
「スパダを彼処から取り返した後は、三人でシンドリア商会に帰るといい。
船の手配はしておくから」
は、と私は零してしまった。
フェネはスパダを取り返して妻のテテさんと三人で暮らすため、エナに頼んだのでは無かったのか。
衝撃的だ。動揺した。なぜかと私が聞くと、何事にも代償がいるからね。と、彼は笑った。
代償、とは。スパダを逃した後に始まる内通者探しで買って出るつもりなのだ。自分が手助けをしたのだ、と。
従者と言えど間違いなく処刑されるだろう。テテさんの身も危ない。
そんなこと、エナが許すはずない。
「エナは貴方に恩さえ感じているのに、」
しかし、彼は私の言葉に向き合おうとはしなかった。
「彼奴らには未来がある。無論君にも」
彼は自嘲気味に答えた。そして、もう一つ、と前置きして、エナちゃん、まだ出てこないよね?と辺りを見回した。
私は困った。エナに出来ない話とは。
これ以上秘密を作るのは彼女に悪い気がした。
「エナちゃんにも、言っていない事がある」
彼女がどうやって歩んできたのか。
出会った時から惹かれてどうしようもなくて、知りたくて仕方がなかった。
いつか、シンと国を作った後にでも思い出話程度に聞けるのだと思っていた。勿論、彼女の口からだ。
しかし。まさかこんな形で。
彼女も知らない彼女の道を、私が知る事になろうとは。
29.2.11
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