焦るな!ジャーファルくん | ナノ



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ああ、もうどうにでもなれ。



出会って数ヶ月しか経っていないのに、男のそばには、何年も前から居るような心地の良さがある。
それは薬に侵された頭で下したのかもしれない。
侵された思考は私の一部となり脳に溶け込むから。

けれど、視点を変えればこれは全ての私が出した答えなのだ。
そうやって思い入れを捨て、シンバから離れ私は彼の手を取った。


「こんにちは、久しぶりだね、エナちゃん」


心配はない。不確かな彼奴に別れを告げるんだ。


「エナちゃんは紅茶?」

フェネの親切心を無視し、私は個室に足を向ける。アフタヌーンティーの勧めも、愛想あるキャッチボールも彼との間には必要ない。
先程渡された袋を揺らすと、金属の擦れる音がして、記憶が戻る。数日前の彼は、肩を竦めて言った。

「それは君の初めての剣闘試合で、君が使っていた武器だ。
逃げたいなら、今ここで僕を刺し殺して行くといい」

中身は愛して止まない2つの短刀。マーデルに取り上げられるまでは肌身離さず持っていたのだ。懐かしさから目に涙が溜まる。

「君の為に買い取ったんだよ。高かったんだから感謝してよね」

「なぜ…こんなことを…」

フェネは優しく微笑んだ。出会ったばかりの、売り物の筈のしがない私に溢れんばかりの慈愛を向けた。

「君の戦う姿がまた見たい…
って言ったら怒るかな?
あはは、それじゃあ僕は、自分を殺してほしい人みたいだな。

嘘だよ。
マゾな趣味はないし、君にそんな事させるつもりもないよ。もうね。


…君は、小さい頃から戦ってばかりだからね」


私は合わせていた目を逸らした。知っているのか。はたまた、私を早く慣らそうとしているだけなのか。
落ち着いてからもう一度目を合わせた。
今度は救済を求めるのではなく、飼い慣らされるものかといった、疑いの眼差し。


「本当はね、貴族なんかじゃないんだ。
僕は国のお偉いさんの世話仕事してる」

「…騙してた、って事ですか?」


深く聞きすぎたか、上手く躱された。暗雲の立ち込めた空を塗り替えるような陽気な口調で彼は続ける。

「遊び人に見えるって?やだなぁ〜、まぁよく言われるけどね。
この癖っ毛がいけないのかなぁ?ここら辺とか、今日も元気にハネてる」

まだ怪しがる私に、彼は証拠を出すよ、と言ってクリーム色のハットを頭から退かし、その中から小さな手帳を取り出した。

「何か覚えがある?」

「あ、ある」

「そう、実は僕も君に覚えがある。最近の君じゃない。4年前のだ。

国のお抱え。武装集団“シガラキ”にね」

「……!!」

「まあまあ、詳しい事は君の目が元の色に戻ったら話すよ。とりあえず、僕の家に行こう」

家なんてあるのか、人の厚意に甘えて彷徨してそうな男が。私は率直だった。
彼は王宮から少し離れた一軒家に妻子と住んでいるらしい。
まだ証拠が欲しい?
彼は私を安心させたいようだった。

「家族写真、」

「そうだよ。可愛い男の子だろう?スパだって言うんだ。11歳さ」

「やっぱり癖っ毛…」

「もっと他のこと突っ込んでよ。お似合い〜とか、幸せそうとか」

「私と同い歳?」

「そこ!?まあいいけど」

船の個室に上がり込んでからもずっと喋り倒している。話を聞き続けるのは船酔より苦行だ。
次に、彼は何か思いついた、とこちらを振り返った。

「あ、そうだ!ご馳走を作ってもらおう!そこに写ってる綺麗なママにねー。
さ、まだ時間かかるから寝ておきなさい」

「は、はあ」



船旅は3日間続いた。しかし、それは案外苦行ではなく、フェネのトーク力、商人で言う所の交渉に繋がるものには不思議と魅入ってしまった。
到着後、船乗り場で荷物を受け取るフェネを待つ間、私はシンドバッドがまだいるであろう場所を眺めていた。
彼等は今頃どうしているか、など捨てたくせに気になってしまうのは、まだフェネという男に確信が持てないからだ。私は身の置き場を確保するまでは不安定で、きっとこの不安ももう時期収まるのだろう。




港。もうエナは発ったんだろう。彼女は奴隷として新しい人生を歩む覚悟で此処に来たのか。
マーデルを同じ手で嵌めることに成功し、シンが帰って来るというのに、私は良い気持ちで此処に足を置けなかった。彼女を止めるのに間に合わなかったからだ。

「では、契約通りマリアデル商会の所有財産“奴隷”をこちらへ」

シンがこちらに歩み寄ってくる。一先ず、安堵を顔に表した。

「お帰りなさい…シン」

「ジャーファル…ただいま」

ゆっくりと塩の風が流れ、かき混ぜるようにマーデルは慌ただしく去る。彼女は、奴隷として価値の高いシンを手放したにも関わらず、一切の動揺も見せなかった。
私の心を汲み取って、シンが大丈夫だ、と言った。

「マーデルは奴隷を洗脳して、その支配下に置き操っている。あの女は俺もその洗脳にかかっていると思い込んでいるだけだ。
生憎、俺の目はもう覚めているけどな」

はあ、なら良かった。しかし、そう片付けてしまうのはまだ早かった。シンは次に予想もしなかった言葉を吐く。

「むしろこれからだよ…
あの女の最期をこれから見ることができるんだからな…」

「最期?シン…あなた何かしたんですか?」

「残してきたんだ。全てを破壊する小さな…小さな火種をな」

マスルールだ。外の世界へ連れ出す、シンの誘いに乗り、彼は町の警備を足止めするため闘技場の獣を逃したらしい。
シンが煽動した他の子供達も内部から反乱を起こし、マリアデル商会は混乱に陥った。

「…つまり、彼らを逆に洗脳し、都合の良いように操って自分の駒にしたと…マーデルが奴隷を洗脳したのと同じことをしたんですね…」

対して私は冷たい言葉を放つ。容赦は要らない。いつしか壊れた概念を、丁寧に拾ってくれた彼だからこそ、私は真っ直ぐぶつかる事ができる。

「ならばあなたは知っているはずです。レーム帝国の奴隷反乱は死罪。リア・ヴェニス島は特別行政区なので国軍は手出しできませんが、マリアデル商会の有する私設兵団が鎮圧するでしょうが…」

「分かっているさ、全て。

だから最後は俺の手で決着をつける。全ての責任は俺が取る。
金属器。持って来てるだろ、ジャーファル」

金属器を発動させたシンはマーデルの所へと戻って行った。その先を、私も追いかける。

「煽動?何を言ってるのか…私は貴女のやり方をそのまま実践しただけですよ。
簡単でしたよ。母性愛なんてなくても悲しみに染まった心を支配することなんて…
彼らはもう私の言うことしか聞きませんよ?
その効果ほどは、貴女が一番よく知っているはずですが…」

絶望したような顔のマーデルに、シンは最後の商談を持ちかける。

「ここで死ぬか、全てを差し出して惨めに逃げるか。

選べ」



「マリアデル商会所有の土地、および建造物の一切を譲渡する。リア・ヴェニス島の商業特区の権利を譲渡する。……

…全てを、シンドバッドに譲渡する」

「では最後に、貴女が所有する、奴隷の権利を全て破棄する文書にサインを」

サインをしたマーデルはシンに紙を渡した。その手は、何の悪意も、企みも、希望も宿してはいなかった。

「これで貴女のものは全て俺のものになった。
そしてーー
俺たち奴隷は、今日で、自由だ!!」

子供達はマーデルに勝った事に歓声を上げるが、同時にその犠牲に気付く。集団の1人が、ぽつぽつと言った。雷を待つ夕の雨のように涙は広がり、地に少しの潤いを与えた。

「死んじゃった…
大人を殺した…みんなも殺された。たくさんたくさん。
せっかく自由になれたのに、こんなのってないよ…」

シンは振り切ろうとしているようだった。
私なら子供達にどんな言葉を掛けてやれるだろう。

「泣くな、みんな。彼らは未来を掴み取る為、果敢にも戦い、惜しくも命を落とした。残された俺達が、その遺志を継がないで誰が継ぐんだ!!彼らの分まで生きるんだ」

きっと、それはシンにしか出来ないのだ。
これから何年隣に仕えても、出来るようにはならないだろう。
以前、シンのようになれるか、エナは無理だと否定した。私達の先を知るのは各々の遺伝子だと。
学者に聞いてもらうには隙が多いその言葉は、彼女の軽い気休めなんだろう。例え私の中に残っても。


後ろの私を振り返り、彼は問うた。

「軽蔑したか?」

「……何が?」

「こうやって…子供達を操っている事さ」

子供達は、木を積み火を持ち寄り、犠牲となった者達を燃やした。それを指示したシンは、平和を唱える指導者との間で、立つべき位置が分からずにいるんだろう。

「反乱を起こせばこうなると分かっていた。殆どが子供の奴隷だ。
犠牲者が出ると…子供達を死なす事になると知っていて俺は煽動した。

皮肉だよな…
理不尽を憎み、戦争をなくす為に国を作ろうとしたこの俺が…

弱者を都合良く利用し、考える力を奪った。
マーデルやかつてのパルテビアと同じ事をしているなんて…

俺も結局あいつらと変わらない。
自分の為に誰かの命まで利用する。最低な人間って事さ。

失望しただろ?
こんな醜い汚れた人間が世界を変えようだなんて。
笑える話じゃないか」


失望、というよりは、、
まだその時は幾分かの余裕があったのかもしれない。
しかし、笑える、と聞いた時。
その言葉を呑み込む事は出来なかった。



「いつかお前が言っていたな…
「俺を失望させたら殺す」って…
その通りになったのかもしれないな。


今の俺には…何かを言う資格なんて、もうーー…」


私の認識しない所で、感情は筋肉に、ただ一点の拳に力を託した。
シンを殴ったと、少し遅れて気付いた。

それを機に、抑え込んでいたものが一斉に溢れ出す。




「…じゃねェぞ…


ふっざけんじゃねェぞ!!シンドバッド!!!」


28.8.19
29.2.3 大幅改訂
9巻分完結しました。


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