僕がゆいいつ慕ったあなた | ナノ







レオーネ・アバッキオの朝の日課に、「レア・ロハンネリのピアノ演奏を聴く」というものがある。

その為に、わざわざ朝からエディコラで新聞を購入し、モーニングコーヒーを二人分用意するのである。とにかく、レアはモーニングコーヒーが無いと絶対にピアノ演奏などしない。アバッキオがチームに加わるまで、彼女の遅起きは当たり前だったのだから。


「朝から素敵ねぇお兄さん」

「夢なんか見てんじゃあねぇ。遅えぞ」


レアの精一杯の皮肉は聞こえていないらしい。カップ片手に朝日を浴びていたアバッキオは、彼女の姿を確認するとグランドピアノにかかっていたカバーを取り、早く座れとでも言いたげにピアノの椅子を軽く叩いた。

朝早くから叩き起こされた…と言うより、嗜虐性の高い起こされ方で朝を迎えたレアの目の下には、深彫りのクマがいる。

とんでもない重みを感じて咽せ返り目を覚ませば、般若のような顔で腕を組んだアバッキオが腰掛けていた、と言うのは昨日。

今日は彼女の嫌いなゾンビ映画のラスボスの声で目覚めた。そういえば目覚まし時計をプレゼントされ、喜んで受け取り設置までした。自分を恨みながら、彼女は目をこすった。


「今日はどんな曲をご所望で?」

「【ラ・カンパネッラ】パガニーニによる大練習曲 第3番 嬰ト短調でどうだ」

「そろそろ演奏料徴収するわよ」


アバッキオからコーヒーを受け取り、レアはディバイスで譜面を検索する。

【ラ・カンパネッラ】

タイトルにもある通り、この曲は超絶ムズカシイ。マジの技量が必要…言い換えるなら、演奏者の腕の程を試す一曲............。
寝起き一発、この曲を演奏しろと言うピアノ指導者は地球の裏側にもいないだろう。


(アバッキオ......朝から鬼ね)


レアは「ハア」とため息をついて、眉間のシワをほぐす。毎朝これを続けているせいか、アバッキオが音楽に詳しくなってきたような気がする。曲のリクエストも最近は自分で調べているのか、だんだんと難易度が上がってきた。

すなわち、アバッキオの肥えた耳に合わせて彼女も演奏のクオリティを上げなければいけない。手を抜くなんて以ての外だ。


(私の音楽家としてのプライドが許さない)


そう思う。ギャングに落ちても、音楽家としての彼女は死んでいなかった。例え、それが彼に試されているだけだとしても、もはや構ってなどいられるか。


鍵盤に手を置き、一つ深呼吸。


始まる。と、アバッキオはゴクリ息を呑む。レアのこの所作を見て、緊張と胸の高揚を感じる。


アバッキオはこの、朝のひと時が好きだった。

夜は裏切りである。賄賂を受け取り『正義を裏切った』時も、そのせいで仲間を死なせてしまった時も、思い返せば全て夜だった。

反して、朝は違う。

パッショーネ合格後、初めてブチャラティのチームの広間に通された時、レアと出会った。その日は今日ほど晴天、と言うわけではなく、世間一般で言えばそれほど良い朝ではなかったかもしれない。辺り一面の雨雲が時折イナズマを地に向け走らせていたものだから。

そこで出会い頭に【シューベルトの「魔王」】をこんな雷雨の日にピアノ演奏する女などいなければ、その日が良い朝だとは思えなかった。それからも朝が来るたびに、出会いの朝を思い浮かべながら『朝が好きだ』とは思えない。


「こらレア。新しい仲間が増えるとは前に話したじゃあないか。出会いにはもっと希望のある歌が相応しいだろう」


レアというガキの隣でフーゴが面を輝かせて、「馬の疾走を表現したとされる最初のスタッカート三連音!完璧すぎます!こりゃあ魔王も唸る!」と言う。その興奮度は顎を外す勢いだった。

アバッキオは若干引きながらも、レアというガキはただのガキではないことに気付いたのだ。こいつのピアノの演奏は、オーケストラや協会、或いはリサイタルで見たものとは違う。

ドラマや映画に例えるならば、憑依型の俳優というものが存在するが、音楽においての憑依型演奏者とはレアのことを言うのだろう。

そんな演奏者が雷や雨に見舞われた、神の機嫌の悪い日に限って【シューベルトの「魔王」】を演奏しているのだから、面白い。新しい客が来ていようが、そこに全く歓迎の態度もなしにピアノに食いつきガン無視を決め込むところもまた、面白い。


「ククッ、ハハハハハッッ!面白いじゃあねぇか!コイツ、気に入ったぜ」


それからだ。レアを朝に決まって叩き起こすようになったのは。


「生意気なガキは好まねぇが、お前の演奏は聴く価値がある。今日は何を弾くんだ」

「人のことベットから突き飛ばしておいて。何その上から目線」

「毎朝俺にピアノを聞かせろ。レア・ロハンネリ。お代はくれてやる」


アバッキオは少々説明不足で、不躾であるかのように思われた。しかし、上から目線でも褒められるのは悪い気分ではないらしい。レアは片眉を吊り上げ少し考えた後、快く承諾し、余裕を含んだ笑みで応えた。


「私の演奏は高いわよ」










こんなにも、寂しいものだろうか。

レアは最近の映画【LA・LA・LAND ミアとセバスチャンのテーマ】を引きながら、悲しみを堪えるように美しいメロディーラインに酔い痴れた。

アバッキオのいなくなった朝、身についてしまった癖を持て余したレアは、一人ムクリと起き上がりピアノに向かった。淹れたてのモーニングコーヒーが自然と鼻腔に流れ込まない違和感は、彼がいなくなったことの象徴だった。

映画【LA・LA・LAND】は、アバッキオと一緒に観た唯一の映画だ。あまり映画に関心のない私であるが、「ジャズ音楽も盛り込まれてるんだぜ」と言われては見る他に選択肢がない。

【ミアとセバスチャンのテーマ】と名付けられたこの歌。劇中ではこの曲を演奏することでセバスチャンが一つ職を失っているが、アバッキオ曰く『酷く残忍な情景を思わせるコード進行』は特に彼のツボにハマったらしく、何度も繰り返し「聞かせろ」とリクエストされたものだ。


「ピアノを弾きながら泣いている人は、初めて見ました」

「起こしちゃったのなら謝るわ。フーゴ。もう少し寝ていていいのに」

「レアのいなくなった布団が寒くて居られなかったんですよ」


後ろからそっと包み込むように抱き締められる。涙を掬うための手なのだろうが、おかげで冷えた耳まで暖かくなり、私の心は帰るべき場所に無事帰れたのだと安堵する。


「映画のワンシーンじゃあないですけれど、僕も隣に座っていいですか」

「どうぞ」






アバッキオはもう帰らない。


彼が死んだと知ったのは、実際の彼の死から大分経った頃だ。

その間にも新しい朝は何度でも訪れ、日で照らし、次第に彼の残像が薄くなる。いずれこの朝のことも、彼と過ごした朝の日々も、記憶から薄れて消えてしまうのか。


それでも、私はピアノを弾き続けるのだ。

あの頃のような異様な程の使命感ではなく、今はただ一人の、男へのレクイエムとして。












【魂だけのオーディエンス】

レオーネ・アバッキオ。魂だけになった彼も、きっと朝には彼女の旋律を聴くため、耳を澄ませている。



31.1.3
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