「ありがとおぼろん」
「そんなに可愛く言うな」
「え?全然そんなつもりないけど」
「魔性の女が」

透は最近病院臭い。運転席のシートベルトを外し、彼女の首筋に顔を近づけ、香りをすうと吸い込んでみる。今日もやはりあの匂いがした。ちょっとくすぐったい。笑う彼女を見ると、朧は胸がきゅうと締め付けられるようだった。

「いつから病院に行かなくていいんだ」
「死ぬまで、かな」

自分をそんな気持ちにさせる原因はこれだと分かっている。透は誰にも言わないけれど、そっと気づかれないように去り支度をしている。ここから去ってどこに行くのかは彼女自身、きっと分かっていない。けれどいずれそう時の経たないうちにいなくなってしまうのだと、そのことだけは分かっているらしかった。わた人形のように眠る透を抱きしめれば、彼女は何か落ち着くもの欲しさに手を伸ばす。そのように、素直にまだ生きていたいと、朧は彼女に叫んで欲しかった。

「今日の夕飯は焼きそばにしようか」
「俺が作る」
「え、いいの?」
「ああ。透は何もしなくていい」
「私をダメ人間にするつもりなのかな」
「そうだな。俺がいないと何もできないくらいでいいさ」
「案外、束縛が強いんだから」
「逃げてもいいぞ」

「いや。心地いいのよ」


助手席で鼻先を見るように軽く目を閉じる彼女から、少しずつ生気が失われていくのを、朧はただ見るしかできなかった。



30.10.21