■ 底から下の楽園




「はあ、お腹すいたわ」

ひと段落ついた所でそう言って、倫冴は先程入ってきたドアを見た。

「帰るわね。お邪魔しました」

槙島は帰ろうとする彼女の腕を掴んで、制止する。

「血を吸いに行くのかい?」
「ええ、そうよ。お腹が空いたら血が欲しくなるの。それが吸血鬼の性」
「そうか、なら僕もついて行くよ」
「なぜ。邪魔する気?」
「いいや、寧ろ協力するつもりだよ」
「信じられないわね。貴方は吸血見学するより、後ろの本の山に埋もれている方がお似合いよ」
「本。羨ましいの?」
「とても。私は昔から生きてるから、紙の本離れ出来ないの」
「じゃあ、好きな時にここに読みにくるといい。何なら合鍵も渡して置こうか」
「要らないわよ。何か企んでるって顔だわ」
「うん、企んでる」
「ほらね。何を企んでるの?」
「倫冴に協力する事さ」
「え?」

彼女は、彼の意志を探るように、彼の表情筋の動きをよく見ている。

「僕は、長年生きてきた君の思考が知りたい。きっと君は、人間なんかよりずっと深い考えを持っているんだろうね」
彼が褒めると、彼女は、
「当たり前でしょ」
と、自慢げに答えた。
彼は、まだ続ける。
「その代わり僕は、倫冴の手伝いをしよう。君は君の理解者と居れば、もう、無理に吸血欲求を抑えて人間社会に溶け込む必要は無くなる。そうだろう?」
「そうね。それは、行動を共にしろって言ってるの?」
「ああ。君の社会的援助もしよう。そして、ここを拠点として活動してもいい」
「ふーん。その場合、私は貴方に、私の思ってきた事を話せば良いのでしょう?」
「その通りだ」

彼女にとって都合が良く、且つ自分の出来得る事の殆どを、彼は条件に出した。
人を卒業し、またサイボーグでも無い彼女の協力が、彼は如何しても欲しかった。
人外を相手とする交渉に関して、彼は初心者である。まあ、初心者と言っても、人外を相手に交渉した事のある人間は居ない筈だが。

彼女は顎に手を当てて考える。暫くして、何か思いついたように笑った。

「なかなか…良い条件だわ。けどまだ足りないわね」
「他に何が欲しい?新しい本か?」
「本は勿論、貴方が買ってきてくれるんでしょ?それに、私も職に就けば自分で本くらい買えるわ。

足りないのは」
「血?」
「当たり。血を頂戴」
「それは…僕のかい?」
「そう、貴方のよ。槙島」

倫冴は槙島をソファに押し倒して、鎖骨を舐めた。

「随分と積極的だな」
「貴方に積極的なんじゃないわ。貴方の血に積極的なのよ」
「ふふ、面白い。
その条件、のんだ。交渉成立だな」
「じゃあ、早速。

ーーーいただきます」

手始めにまず首筋を舐め上げた。
気に入った所を見つけ、そこに牙を刺す。

「ん、倫冴…くっ、ふ」
「ちゅ、ん。んんっ」

彼の喘ぐ声に、唇を押しつけることによって生まれる彼女のリップ音、高く響く吸血音。
槙島聖護は、吸血鬼に会い血を吸われたのは初めてだ。本を読み、吸血される側は痛いだろうと立てていた予測は、今日で呆気なく崩れ落ちた。
性を感じる快感。あまりに淫らで、気付くとその瞬間に酔いしれる自分がいた。

彼女が満足するまで血を吸った後、彼は目眩でソファから起き上がる事ができなくなっていた。

「ああ、美味しかった。ありがとう。
貴方のおかげで外出する理由が無くなったわ」
「あ、ああ…」
「辛い?もう直ぐ楽になるわよ。
それと同時に私に血を与えた事を忘れてしまうのだけれどね。安心して。私は覚えている。
種明かしは、もっと仲良くなってからするわ。絶対よ」

そう言い終わる前に、目の下に隈を二重にかけた彼は眠りについてしまった。彼が目を覚ましたのは、それから1時間後、夜中の23時だ。
彼と彼女が出会ったのは夜の21時頃。つまり、彼女は彼の家に来てから2時間が経過していた。


「ん…おはよう」
「と言っても、まだ23時よ」
「僕ら人間にとっては夜中だ」
「そうね、最高よ」
「僕は、知らない内に寝ていたらしいな。すまない。結局、君に血を飲ませてない。
けど今日は体が怠いから、明日でも良いかな」
「ええ、良いわよ。明日ね。待ちきれないわ」

やはり彼には、彼女の言った通りに吸血された記憶だけが無いようだった。
それを仕掛けた当本人である彼女は悪びれる様子も無く、楽しそうに本棚を眺めて言った。

「今夜はここで本を読んでいてもいいかしら?」
「いいよ。今は起き上がれないから、僕のお勧めの本は渡せないけど、自分で好きなのを取るといい」
「まだ100年も生きていない男のお勧めなんて、聞きたくないわ。考えが薄っぺらそう」

彼は、自分の本が否定される筈が無いと思った。もし否定したのなら、彼女は長い人生を何に費やしてきたのだろうかと、疑問に思う。そして、その問題について考えるのも面白い。

大量に並ぶ本を眺めた後、僕を否定していた彼女は直ぐに考えを改めた。

「…でも、そうね。
集めている本は薄い内容でも無さそうだわ。少し悔しい」
「それは価値のある良い本だ、という褒め言葉かな?」
「ええ、認めたわ。貴方の集めた本をね」
「本を選んだ僕への褒め言葉として受け取っておくよ」
「図に乗るのはやめなさい。痛い目に遭っても知らないわよ」
「それは君の経験談かい?」
「さぁね」


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「ところで槙島。貴方はまだソファから起き上がれないの?」
「まだ少し辛くてね」
「そうやって貴方がソファを占領するから、私は碌に寛げないわ。1冊の本に1時間も掛かったのよ」
「その…かなり厚みのある本を?」
「ええ。速読術よ。教えてあげましょうか?」
「いや、いい。君じゃなきゃ出来ない気がする」
「私が随分と歳をとったお婆様だから?」
「そういう意味じゃない。はぁ、全く。倫冴は冗談が分からない娘だ」
「娘?今、娘って言ったのね?!」

思っていたより単純な彼女を、彼は簡単に手懐ける事が出来そうだった。

28.9.1
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