目の前の惨劇とも言えるこの状況が、まるで理解出来なかった。己の意識という意識が、一切を拒否するかのように。赤く飛び散るかのように目の前を過ぎ去った鮮血を、見たくも、ましてや信じたくもなかった。

それが愛おしいひとのものだというのなら、尚更。肝が冷える、とはこのような気持ちなのだろうか。だとしたら私は、今まで彼に一体幾度、こんなにも酷く苦しい想いをさせたのだろう。こんな感覚、肝が冷えるだなんて言葉じゃ、言い尽くせない。精神がずり落ちると言っても過言ではないこの、酷く冷たい焦燥感はさながら生き地獄のようだ。


「……名前、」


切なくか細い、今にも消え入りそうなその声を私は今まで聞いたことがなかった。こちらに伸ばされた腕を咄嗟に掴めば、ぬめりと赤いそれが私の腕にも纏わり付き、私の中で一層現実味を帯びてゆく。

事実として真っ直ぐに受け入れ難い彼の姿は、気が付けば驚く程白くなっていく。赤いそれが流れ出す度に、抜けていくように血の気が無くなるレオンの頬を指先で撫でる。僅かに残る体温が無償に哀しくなった。

先ず、何故こんなことになってしまったのだろうか。レオンの何がいけなかったのだろう。私には何が出来たのだろうか。やはり、運命の前では斯くも無力なものなのだろうか。アメティストスは何故、こんなにも呆然とこちらを見ているのだろうか。頭で必死に考えようと、冷静になろうと試みるものの、今の私にはそれが全く。全くと言って良い程それは困難なことだった。

そうこうしているうちにみるみる広がって行く赤は止まるどころか、夥しさばかりを増していった。嫌、だ…。嫌だと心の底から私は思った。それが理性のリミッターの限界を表していたのだと知らずに。


「い、や…だ。嫌、嫌だっ!やだやだ、いやだよっ!何なのよこれ。レオン!!」


先程までとはまるで違う。別人のように、幼子のように泣きわめく私は、一心不乱に彼を掻き抱く。私の白い服には生暖かい赤が染み込む。直で肌にそれが触れると、あたたかさを通り越し生々しい熱を感じた。

とくとくと鳴るレオンの心臓の音が少しずつ小さくなっていくのが分かり、嫌だった。怖くて、怖くて、死にそうになる。レオンの上半身を抱き、ひしっと腕の中に閉じ込めると私はゆっくりと耳を彼の胸元へと押し付けた。

とくとくと弱々しく刻むレオンの音と、どくりどくりと不安で押し潰されそうな私の音が聞こえる。小さな心音とは対象にどくり、どくりと大きく確実に脈打つレオンの体が妙に精神を堪えさせる。

どくりと脈打てば、また紅が零れ落ちる。ねえ、レオン。貴方の頬がまるで死人のように青白くなっていく。あんなにも些細なことで乙女のように、薔薇色に染めていた貴方の頬が。今じゃ…


「ど…して彼なの、何でレオンが…っ」


じわじわと視界がまた歪み、霞む。かさかさになった彼の唇が、小さく動く。こちらをじっと見詰めていたのか、そんな私を見たレオンは一瞬至極悲しそうな、寂しそうな顔をした。嗚呼、悲痛とはこんなにも苦しいものなの?


「名前、」


深い絶望の淵に立たされた私とは対象的に、困ったように弱々しく笑うレオン。それが酷く痛々しくて、今にも消えてしまいそうで余計に苦しくなった。怖くなった。
ぼたりぼたりと私の服を汚す紅と無色透明な雫。噛み締めた唇がぷつりと切れて、口の中に鉄臭い味が広がった。だらりと私の唇から顎を伝って、私の血が滴り落ちるとレオンは酷く辛そうに顔を歪めて、眉を寄せた

鈍く光ったレオンの瞳の中には、涙で酷くぐしゃぐしゃな顔をした私が写っている。嫌だ、私はこんなにも酷い顔をレオンに晒していたのか。頭の片隅でそんなことを考えながら、一向に目をレオンからは逸らさなかった。
今の私はなりふり構わず、と言う奴だろう。ぐしゃぐしゃなのは顔だけじゃない。レオンが綺麗だと言ってくれた髪だって、似合うと言ってくれたこの服だって、心の中も、全てがすべてぐしゃぐしゃとしていた。

不意に私へと伸びてきた、角張っているのに長く細いレオンの指は、そんなことを気にすることなく私の頬へと手を寄せた。そしてゆったりと唇へと指を運び、切れた私の唇に優しく触れた。その手に残った温もりが今にも消えてしまいそうで、私はすかさずその手を力強く握ると再び絶望の淵へと身を詰った。


「っ…レ、オ…」
「………、」


嗚呼、Moiraよ。もう、永遠にこの時がだなんて、贅沢言わない。ずっとだなんて言わない…から。だから、だから、わたしから彼をレオンティウスをとらないでちょうだい。


届かぬこの思い
(名前、私の言葉を聞いてくれ)




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -