黒猫の気持ち



ありえへん…!なんやこれ、夢なら覚めて欲しい。首を二、三回振ってから再びそろり、と水溜まりに顔を写してみる。だが現実は変わらなかった。
「…にゃぁ、」
水溜まりに写っているのは紛れもなく、猫そのものやった。考えろ、昨日俺何か変なモン食ったやろか!?いや何か食って猫になってたらそこら辺の人間みんな猫になってまうか?…やったら、やっぱり昨日のアレ、とか。俺は力が抜けてぐったりと座り込んだ。
昨日、千歳先輩と別れた。理由なんて分からない。ただ千歳先輩が辛そうな顔をしとって、俺は頭の中が真っ白やった。
はっきり言うたらまだ、好きや。今でも、思い出すと悲しくなる。遠ざかる千歳先輩の背中が忘れられない。
千歳先輩が去ったあとも俺は公園の片隅に立ち竦んで、気がついたら雨にも打たれてた。髪も制服も顔も雨でぐっしょりと濡れて。…それからの記憶はない。
意味がわからん。何で俺ばっかりこんな目に合わなあかんの。項垂れると、水溜まりにしょんぼりと情けない顔をした猫の姿が写る。
「どぎゃんしたとね、こんなところで」
急に地面が離れ、驚いて暴れると上からくすくす楽しそうに笑う声が聞こえた。よく知ったその声にどくん、と心臓が高鳴る。

「濡れちょるね。着いてきなっせ」
腕の中に抱かれ、見上げるとやはりそこには千歳先輩の姿があった。千歳先輩は俺が見ていることに気がつくとにこりと笑ってみせた。背中を撫でられていつも髪を撫でてくる先輩を思い出した。背中を撫でられてうとうとし出した頃、いきなりある場所に降ろされた。何やろ。
ぺたぺたと前足で触るとタイル?みたいなんやって分かった。
辺りに水音が聞こえ出してきょろきょろと辺りを見渡す。足元に水が流れてきた。もしかして、
「お前さん、むぞらしかねぇ」
「ミッ!?…ふに゛ゃああああああ!!!!?」
急に生温い水をかけられて半ばパニックになる。何やねんっ!毛が貼り付いて気持ち悪っ!千歳先輩を見るとめっちゃいい笑顔でシャワーをかけてきよった。そう、今、千歳先輩に洗われてる。
猫とか動物が洗われるの嫌うのってこういうことなんか、なんて考えながら千歳先輩に泡でモコモコにされて再び泡をシャワーで流される。
…て、アカンやろ。何普通に猫になってんねん俺。
「ん、出来たばい」
千歳先輩は俺をバスタオルに包むと抱き上げソファの上に降ろした。そして俺の頭を一撫ですると何処かへ行ってしまった。何や急に緊張の糸が途切れたみたいに脱力感に襲われて俺はバスタオルに身を寄せると目を閉じた。


* * *


『光君、』
呼ばれてる?
目を覚ますと千歳先輩が横にいてドライヤーを片付けていた。起き上がると肌に毛が貼りつく不快感はなくなっていて、千歳先輩が乾かしてくれたんがわかった。おおきに、そう言おうとしてにゃあ、という声が出る。なんやめっちゃ不便や。でも今のままでもいいかなんて思った。今のままの姿やったら、千歳先輩の傍に居れる。千歳先輩の傍に。
「起きたと?」
にこりと微笑まれて手を伸ばされたからその手に擦り寄ってみる。
「…ほんなこつ、似とうねお前さんは」
一瞬悲しそうに笑い千歳先輩は俺を抱き上げるとぎゅっと抱き締めてくる。少し苦しかったけど温かくて、好きやと思った。

「…好いとう人が、おったとよ」
好きな、人?
どくんと心臓が高鳴る。なんやそれ、千歳先輩は他に好きな人がおったから俺に別れを告げたん?悲しくなって見上げると、千歳先輩も悲しそうに笑っていて、胸が締め付けられた。
千歳先輩の隣に綺麗な女の人が並んでいるのを想像してしまい涙が出そうになる。やけど、それは杞憂に終わった。
「光君て言って、黒猫みたいな子ばい。俺から別れを切り出したったい。でも、今でも好いとうよ。…俺と居ったら、きっと幸せにはなれんち思った。光君には普通に可愛い女の子と付き合って結婚して、幸せになって欲しいと思った」
だから後悔はしていない、と言う。…嘘つきや。後悔してへんのやったら、猫の俺にこんな話したりせんやろ。そんなに、泣き出しそうな顔なんかせぇへんやろっ!!!
「痛、っ!?」
気がついたらがぶりと千歳先輩の腕に噛みついてた。そんなことを思った千歳先輩に腹が立った。やって、全然俺のこと分かってへん…!俺は、おれは…!
この姿じゃあ言葉は通じないと分かっているけど、叫ばずにはいられなかった。にゃあにゃあと情けない声が響いてぼろぼろと涙が零れてきて体が熱くなる。
千歳先輩を見るとゆっくり目が見開かれる。少しだけ目線が高くなった気がしたのは気のせいやろうか。
「アホっ!ほんまに、アホや…!俺の幸せを、勝手に決めんでや…!おれは、千歳先輩の傍に居れれば、それで良かったんに、それだけで幸せやのに、なんで…!!!」
「光君…?」
子供みたいに泣き叫んで千歳先輩の胸元を掴む。掴んだその手は、人の手やった。
「…っ光君、光君ひかる…!」
抵抗を許さないというようなくらい強い力で抱き締められて、痛いし苦しいけれど、その倍愛しいと感じた。千歳先輩が何度も名前を呼んでくれて、俺も千歳先輩の名前を呼んだ。
「ほんなこつ、好いとう。…弱くてごめん、ありがとう、好きや、…ばい。」
ゆっくり頬を撫でられて口づけられる。ふにゃりと笑ったその表情と不慣れな大阪弁が可愛くて愛しい。
もう二度と離さんといてな、千歳先輩。





―後日談―
「何で猫になってもたんやろ」
「でもお陰で仲直り出来たばい。感謝しとうよ」
「物凄く気になるんやけど…」

2010.7.21光誕より



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