オドントグロッサム



いつからこない心の狭い人間になってしもたんやろ。零れそうになる涙を左腕で拭う。強く拭いすぎてずるりと手首のパワーアンクルがズレた。
そこから覗いた気味の悪い紫色をした傷跡に眉を寄せる。治癒能力の向上実験の前に受けた点滴の痕。左手首と肘のあたりに散らばったその痕を見ると俺が他と違う化け物なんやて言われてる気がして悲しくてしゃーない。

「…千歳先輩もやっぱ俺やなくてええんやんか」

ぽつりと呟くと胸がぎゅっと締め付けられてまた涙が零れそう。

部長に言われて千歳先輩を探しに行ったあと、見てしもたあの光景。屋上に居るんやないかなて思って屋上に向かい、重い扉を少し開けたときに扉の隙間から見えた光景が…脳裏に焼き付いた。フェンスに背を預けた千歳先輩と、その横で同じく佇む阿高先輩。ふと二人の目が合い、阿高先輩が何か言ったかと思うと千歳先輩は吹き出したように笑い、阿高先輩もそれを見て微笑んだ。その自然な姿に先程までの浮かれていた気持ちはどん底にまで落ちてもた。
普通の男女の、恋人同士のような二人の姿に俺は見ていられずに屋上を静かに閉めてその場から走り去った。人の少ない廊下を走って、迷わず来たのは校舎の奥にある視聴覚室。人はまず滅多にこの場所には来ない。
校舎の奥やからか、それともあまり使われないせいでカーテンを締め切り薄暗いその部屋に恐怖を抱くせいか。何にせよこの場所は俺には都合がいい場所やった。視聴覚室やから、勿論防音設備がされとるし、締め切ってしまえば外からの音もほぼ遮断される。一人になりたい時にはちょうどええねん。

俺は視聴覚室に足を踏み入れる。一番奥まで行き座り込むと壁にもたれ掛かった。
膝を立て、そこに頭を埋めて耳を塞げば外界からの音や俺を傷付けるもの全てが遮断された気がして安心する。

「しゃーない、…しゃーないんすわ」

そう呟くと、いつも安心するんや。これ以上頑張らんでええんやないかって、思えるから。張り詰めたココロという風船が割れてしまう前に、制御せなアカン。今は一人になりたかった。誰にも干渉して欲しなかったんに。
どれくらい時間が経ったのだろうか、少なくとも部活は終わりに近づいたであろう時間。ガラリと視聴覚室が開く音がした。びくりと肩が揺れるのが自分でも分かった。でも頭を上げる気にはなれない。
やって、俺は分かってまうから。耳がええように作り替えられた俺は、知り合いならば足音だけで大体は把握してまう。普段、下駄を履いとるせいで少し引きずるように歩いてまう人。そんなん一人しか思い浮かばへんかった。
案の定、近づいてきた足音は俺の前で止まった。

「俺に近付かんでや」

「それは出来んばい。こんなとこでどげんしたと?白石達も心配して、」

「近付くな言うたんが聞こえへんかったんすか。………消えて。俺に近付かんで。一人にしてや」

自分でも驚くくらい冷たい言葉が次々と出てくる。こない酷いこと言いたい訳やない。こないなこと言ったら先輩に嫌われるかもしれへんて、そう分かってるんに止まらへん。

「光君、顔上げて」

千歳先輩の手が伸びてきて、優しく俺の頭を撫でる。それでも俺は顔を上げることが出来ひんかった。只でさえ涙でぐちゃぐちゃなんに、千歳先輩を見たらもっと泣いてまう。もっと弱なってまうねん。やから、嫌や。
耳を塞いでいる手に力を入れて左右に首を振ると上からため息を吐くような呼吸音がした。
――…いやや、嫌わんで。そう浅ましくも望んでまう。なんで俺はこない弱いん。

「しょんなかねぇ、」

「―――――…っ!!!」

ぐっと腕を握られて耳から外される。その拍子に顔を上げさせられ情けないくらい涙で濡れた顔を先輩に晒してもた。恥ずかしくてしゃーないのに、先輩の顔を見た瞬間安心した自分もおる。唇を噛み締めようとしたら、それより先に先輩が指の腹で俺の唇をなぞってきて、出来んかった。

「こげんなるまで一人で泣いて。少しは俺に頼っても良かとよ?」

ふわりと笑った千歳先輩に、また涙が零れそうになるが我慢する。先輩の手に恐るおそる手を伸ばしたらちゃんと指を絡めてくれて、ぎゅっと握ってくれた。
千歳先輩、俺はまだ先輩の隣におってええんですか。先輩の隣に立つ資格はあるのですか。千歳先輩はまだ、俺のこと好きやって言うてくれはるの?そう聞きたいけれど、その言葉は先輩を縛ってまうかもしれへんから、俺はまたそれを飲み込んだ。

「…千歳先輩」

俺はまだ、先輩の隣にいたい。




2010.9.15

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