落ちるのは一瞬



あの地獄のような研究所を抜け出して1年。俺は普通の中学生活を送っている。
研究所を抜け出したあと、協力者の研究者の人は俺を元の家に戻してくれた。はっきり言って俺は両親の顔を覚えていなかったから最初は不安やった。
だって、俺を研究所に売った人たちやで?無理矢理研究所に送り返されるんやないかって思った。でも、

「ひかる…!!!!」

両親は、俺を抱き締めてくれた。
涙を流しながら嬉しそうに愛しそうに俺を。二人の腕の中は温かくて、今まで味わったことのない温かさはぽっかりと穴が空いていた俺の心の傷跡を癒してくれた。戸籍も戻ってきたし両親は中学校にも入れてくれた。“財前”ちゅう名字もくれた(仁王さんが羨ましかったからごっつ嬉しかった)。

今まで感じることが出来なかった幸せをめいいっぱい感じた。
―――…俺は、幸せに浸りすぎて物凄く貪欲になってもたみたいや。




「お早うございます、」

眠気のせいで止まらない欠伸を噛み殺し部室の扉を開くと中からやたらテンションの高い先輩らの声がした。

「財前っ!お早う。今日は朝練遅れへんかったんやなぁ」

「朝弱いんすわ。てか謙也くんウザイ」

にやにやと笑う謙也くんを軽く蹴ると自分のロッカーに向かう。謙也くんが怒ってる声が聞こえたけど無視して耳からイヤホンを抜く。途端に鮮明になる先輩らの話し声に眉間に皺を寄せた。人の声は、苦手や。研究所にいるときの、実験室から聞こえてくるサンプルの子供の悲痛な叫び声を思い出しぶるりと寒気が走った。きっと俺はこの呪縛からは一生逃れることは出来ひんのやろうな。

「財前、言葉には気ぃつけなさい」

痛いくらい強引に頭を撫でられる。見上げると四天宝寺テニス部の部長、白石先輩がおった。

「…ちぇ。ま、しゃーないすわ」

「ええ子やな」

部長はにこりと笑うと部室を出ていった。白石部長、イケメンやなぁ…顔だけは。試合でテンション上がって「絶頂!」とか言わへんかったらええのに残念な人やな…。
ぼーっとしてたら待ちきれなくなったんか謙也くんが俺の手を掴んで引っ張ってきた。せっかちすぎるやろ!何やねんっ!スピードスターめ!

「財前っ!コート行くで!」

キラキラと綺麗に笑って俺を引っ張る謙也くん。…あんま嫌いやない。白石部長も謙也くんもユウジ先輩も小春先輩も石田先輩も小石川副部長も、金ちゃんも。
あ、一人忘れるとこやった。

「謙也遅い!本当はスピードスターじゃないんでしょ!」

「アホかっ財前が遅いだけやっちゅーねん!」

ふわりとした自然な茶髪に十人中九人は綺麗と答えるであろう美人顔。阿高紫音先輩。部長と謙也くんの幼なじみらしい。小学校低学年まで東京で暮らしていたらしく大阪の四天宝寺では珍しい標準語や。ええ人やし、テニス部のマネージャーでめっちゃ頑張っとる。

「あぁもうどうでもええから謙也と紫音と財前、はよ来い。今日は新しいテニス部の仲間紹介するんやから」

小石川副部長が呆れたように言うと渋々謙也くんたちは皆の輪の中に入って行った。てか新しいテニス部員?いまの時期に何でやろ。部員が噂しよったら、急にからんという下駄の音が聞こえた。ちょっと遠いからまだ他の人には聞こえてへんやろ。ちらりと音が聞こえた方向を見ると四天宝寺ユニフォームを着た…滅茶苦茶背がデカイ奴がのんびり歩いてきてた。なんやアレ、ユニフォームに下駄ってどういうことやねん。
暫く見ていると部長らもその男に気が付いたのか視線を向けた。

「千歳ー、はよ来い!」

千歳、と呼ばれた男は俺らの前に立つとへらりと締まりない表情をして笑った。

「千歳千里たい。仲良くしてくれると嬉しかね〜」

そのギャップに皆一瞬ぽかんとしたがすぐに千歳?先輩に近づいて談笑し始めた。このままやったら今日の朝練は無くなるやろ。止まらない欠伸を再び噛み殺しながら集まってる先輩らを見てるとふいに千歳先輩と目が合った。千歳先輩は人の集団からふらりと抜け出すと俺の前に立ちふさがった。…いやでかすぎるやろ、身長。何センチあるんやろか。

「初めまして、千歳千里ばい」

「知っとるっすわ、今自己紹介したとこやろ?…俺は、財前光て言います、まぁ適当に宜しくお願いしますわぁ」

じっと見上げてたら千歳先輩はふにゃっと笑って俺の頭を撫でてきた。

「…むぞらしか」

「むぞ?」

知らない言葉に首を傾げれば先輩は笑いながら耳の後ろとか撫でてきた。ちょっとくすぐったい。でもなんでやろ、この人が笑うと胸がむずむずする。

「よろしくね、光君」






2010.8.10

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