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「…なーんちゃって」

「は、…うむっ!?」

女性はにこり、と先程とはまた違った人の良さそうな顔で笑うと両手を広げて俺を抱き締めてきた。いや、抱き締めるっちゅうより突進してきたみたいや。思わず女性の胸に顔面からジャンプしてもた。外側男やけど中身女やからときめいたりはせぇへんのやけど、めっちゃ苦しい…!い、息が苦し…!死ぬ気でもがいてやっと女性から解放されキッと女性を睨むが、女性はうっとりとした表情をして俺を見てた。…あれ、なんやろ。何故か部長を思い出すんやけど!?もしかして部長と同属性…?

「…と、こんなことをしている暇はなかったんでした」

女性ははっとしたような仕草をすると俺の手を取ってきた。女性の表情は浮かべていた笑顔とは違う悲しそうな顔をしていて、何故か先程見た夢を連想させた。

「貴女に、お願いがあります」

「お願い?」

「はい。貴女の妹を、藍華を助けてあげて下さい」

ドクン、と心臓が痛いくらいに跳ねた。
何や、それ。藍華を助けるってどういうことやねん、何でそんなことを。
藍華は傷つけた。恵を、傷つけたんや。俺にだったら何をしても許せた。でも、無関係の恵を傷つけたとき何かが弾けた。藍華を許せないと心の底から、思った。今、俺の中で藍華という名前は禁句や。それくらい、許せない。
恵の痛々しい姿を思い出して思わずぎゅっと手に力が入った。それを感じて女性は悲しく笑う。

「彼女は許されないことをした、それは分かっています。でもこんな事、貴女にしか頼めない」

「嫌やて言うたら?」

助けるなんて、無理やと思った。こんなに憎んでいるのに。こんなに真っ黒な感情を藍華に向けているのに。
俺は聖者でもなんでもない。やから出来ない、そう思った。

「貴女にしか、出来ないの」

俺と同じくらいの身長の女性の顔を見た瞬間女性の瞳からぽろりと涙が一粒零れ落ちた。

「…なんで」

なんでそんなに必死なん。他人なんやろ?なんでそんなに藍華にこだわるん。
綺麗に涙を流す女性を見ていたら急に冷や汗が背中を流れて言いようがない感情が胸の奥に渦巻く。
唐突に、この女性が怖いと感じた。

「何、何なん…!お前一体、」

掴まれた左手が異様に冷たい。いや、女性の手が冷たいんや。ヒヤリとした手からじわじわと体温を奪われているような感覚に恐怖した。

「わたしは、―――…」

女性が何かを言い終わる前に俺はその手を振り払った。
瞬間、時間が再び流れ出したかのように風が一気に俺に向かい、風の強さに思わず目を閉じた。再び目を開けたときにはもう目の前には女性の姿はなかった。授業開始のチャイムが鳴り響いて周りに人がいなくなっても俺はその場を動けなかった。
まだ残っている左手の冷たい感触が今までの出来事が夢ではなかったことを物語っているようだった。

「光君?」

「せ、んりさん…!」

名前を呼ばれて振り返ると、千里さんの姿があった。きょとんとした表情の千里さんにとてつもなく安心感を覚えて、思わず駆けよってぎゅっとしがみつくようにして抱きついた。
千里さんは俺の行動に驚いて目を丸めたがすぐに柔らかく微笑んで頭を撫でてくれた。

「何があったかは知らんばってん、大丈夫ばい。俺がおるとよ」

千里さんに抱きついたまま頷くと抱き締め返してくれる。
そのことに、また安堵した。

やから気付かへんかったんや。千里さんが、泣きそうな堪えるような表情で俺を見ていたことなんて、知らなかった。
そんなことを知らず、このとき俺は、自分のことに精一杯だった。




2010.7.8

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