46 俺の悲鳴染みた声を聞いて偶々通りかかったらしい先生が止血をしたり救急車を呼んだりして忙しく動いている。俺は只その場に座り込んでそれを見ていた。音が鳴りそうなくらい震える体を抱き締め、乾き始めている手にこびりついた血を見つめる。べっとりと付着したそれに心臓が気持ち悪いくらいドクドクいっているのがわかった。 「…光、大丈夫か?」 ぐっと肩を掴まれびくりと体が跳ねる。振り返ると謙也さんがおった。心配そうな顔をして此方を見ていて、少しだけ申し訳ないような気分になった。千里さんの血で汚れた手をぎゅっと握り締めているとその手を取られゆっくり優しい手つきで開かされる。 「取りあえず手、拭きや」 「謙也さん…何で」 何で此処におるん、とか色々聞きたいことはあったけれど震える体と唇では声を出すのも困難で、謙也さんにされるがまま手を拭われる。ポケットから取り出したらしいハンカチはぐしゃぐしゃになっていて、謙也さんらしいわぁて思った。小さく笑うとそれを見たらしい謙也さんが安心したような顔をして俺の頭を撫でた。何時もと変わらないその行為に入っていた力が抜けていくのが分かる。弱いなぁ、俺。 千里さんが倒れて、血を流したのを見て前世での出来事を思い出した。妹に、藍華に刃物で刺され自分の体から血が溢れ出すあの光景がフラッシュバッグした。もう忘れたと思っていた。あの出来事は終わったのだと。だが、あの出来事は未だに俺に深い傷痕を残したままやったらしい。 「オサムちゃんが病院行くから光のこと連れて来いやて。あ、千歳はきっと大丈夫やから安心しぃ。…病院行くやろ?」 こくりと頷くと謙也さんは笑って俺の腕を引き俺を立たせてくれた。 謙也さんて意外と力強いんやな、なんて思いながらその優しさに泣きそうになるのを堪えた。泣くのは嫌いや、弱くなった気がするから。涙が溢れそうになるのを唇を噛み締めることで耐えて、謙也さんに手を引かれるまま歩く。謙也さんはいつもスピードスターや言うて速く歩くが、今はゆっくりとした速さで歩いてくれる。学校を出ると校門辺りに一台の車が止まっていて、中からオサムちゃんが手招きしてる。促されるままに車に乗り込む。車が動き出してからも謙也さんはずっと手を握ってくれていて(手汗酷かったけど不快やなかったんやろか)、割りと落ち着いて病院まで辿り着けた。 病室のドアを謙也さんが開けると中から人の話し声が聞こえた。テニス部のレギュラーの皆の声や。そしてその中に、 「千里、さん」 頭に包帯を巻いているものの何時もと変わらない笑顔を浮かべた千里さんの姿。千里さんは俺がいるのに気が付くと目を細めて柔らかく笑い俺に向けて手を伸ばした。「おいで」と言われているみたいで、俺は千里さんのところへ駆け寄り千里さんの胸元にぎゅっとしがみついた。何時もやったら人の目とか気にするんやけど今はそんなこと吹き飛んでた。しがみついた俺に驚いたのか千里さんは一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうに笑い俺を抱き込んできた。 良かった、千里さん、無事や。 そう実感したら涙が止まらなくなった。泣かへんて決めてたんに。 「ごめんなさい、俺のせいや…!」 「よかよか。それより光君が無事で良かったばい」 大きな手で優しく頭を撫でられて抱き締められた腕から千里さんの熱が伝染してくるみたいやった。胸がぎゅう、と締め付けられて堪らなくなる。千里さんは、いつも俺の傍にいてくれるから忘れそうになる。幸せは、直ぐに消えてしまうものやなんてわかってる…わかってたのに。忘れそうになってた。なら、消えてしまう前に。 「千里さん、好き」 千里さんにしか聞こえないくらいに小さく、耳元でか細い声で呟いた。 この時、俺は消えそうになっていたその場の幸せを掴むのに必死で、近くに存在した歪みに気がつけなかった。近い未来で俺はこの時千里さんに想いを打ち明けたのを後悔することになるなんて、思いもよらんかった。 2010.5.3 |