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千里さんと別れて急いで祖母の病室へ向かった。少し切れた息を整えて扉の取っ手に手を掛ける。嗚呼絶対オカン怒るやろなぁ、そう思いながら取っ手を持つ手に力を入れた時だった。

「私にとってお姉ちゃんはとても大切なんです!」

扉の向こうから明るい藍華の声が響いてくる。その声に一瞬俺の動きが止まる。

「私たちが小さい時に両親は二人とも死んじゃって、私とお姉ちゃんが二人ぼっちになっちゃったんです…。そんな時にお姉ちゃんが高校を中退してまで働いて私を学校に行かせてくれた。自分も学校に行って、勉強したり友達と笑い合ったりしたい筈なのに、私を一番に考えてくれたんです。だから私はお姉ちゃんが一番好き!」

どくん、と心臓が異常な程に波打った。何言うてるん、お前。扉に付いている小さな窓から中を覗くと藍華はポロポロと涙を流しながら悲しそうに笑っていた。祖母とオカンはそんな藍華を慰めるように撫でて、兄貴は至極嬉しそうに微笑む義姉さんの肩を抱き寄せていた。普通に見たら微笑ましい光景。だけれど、俺は見てしまった。藍華が俯く一瞬に厭らしく口端を吊り上げるのを。
込み上げる吐き気と寒気に俺はその場で呆然とその光景を見つめた。大切?大好き?よう言えるわ。まぁせやろなぁ、お前は前世の世界で俺を殺してまで手に入れた世界やもんなぁ。しかも夢にまで見たテニスの王子様という漫画の世界や。そりゃあ大切にするはずや。…でも、それは俺も同じなんやで?お前に殺されて消える筈やった俺が得体の知れない男に頼んでまで手に入れた俺の居場所なんや。元の自分の姿をも捨てて手に入れたんや、その居場所をお前は俺から奪うんか。

「お姉ちゃんは、私の全てなんです」

にこりと笑う藍華に悪意が芽生えた。その細い首に手を掛けて力を込めて呼吸を止めてしまおうか。…あかん、出来ない。そんなん藍華と変わらんやんか。俺は藍華みたいにはならない。取っ手を掴む手から力が抜けて手はすとん、と下に落ちる。感情がすっと覚めていくのがわかった。今この場所の時が止まったかのようやった。感じたのは自分の心音と握り締めた掌(てのひら)の痛みだけ。

「――…光?」

俺の名を呼ぶ声が聞こえ横を見ると大きなキャリーバッグを持った父親が立っていた。息を切らして汗を流しているところからかなり急いで来たようやった。

「…オトン」
「光どないしたん、そない真っ青な顔して」
「何でもない。あ、せやばぁちゃん大丈夫やったで!」
「ほんまか!!」

安心して破顔する父親に先程までの悪意が覚めていくのがわかった。大丈夫、まだ大丈夫や。

「今来たで〜!!!!」

先程までの疲れた表情は何処へ行ったのか、満面の笑みを浮かべた父親が俺の腕を掴んで病室に入った。ちょっオトン!病院では静かにせやアカンのやで!オトンは相変わらずテンション高くてKYやったけど今の俺はそれに救われた。あのままやったらずっとマイナス思考のままやったしな。俺はよくマイナス思考に陥るからそういうポジティブさは尊敬しとんのやで。

「暁彦さーん!」
「彩里〜!」

…前言撤回。やっぱウザいわぁ。病院に入って直ぐにオカンといちゃつき出すオトンにため息を吐く。いい年して何でまだバカップルやねん。兄貴も嫁さん命やしな。ていうか尻に敷かれてんちゃう?俺は絶対あんな風にはならん!!

でもそんな家族が楽しくて愛しくて、俺は笑みを溢した。今の状況が幸せやって、信じとった。やから今の自分が限界やって気がつかんかった。コップの中に並々と注がれた水が容量を越して溢れるように、俺の押さえ込んだ負の感情も溢れそうだということに。





2010.3.29


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