死に損ない



初めは、憧れだったはずだ。どこで間違えたのかそれは恋情へと姿を変えた。そして、それは俺を酷く傷つけた。



中学の頃のことだ。何となく入部したテニス部で俺は自分でも驚く程に成績を残していった。まぁ、それなりに努力はしたが多分それも“部活を頑張っている”程度のもので、何時からか俺は「天才」だなんて大層な称号を得てしまった。もてはやされ先輩からは可愛がられた。だが一部の先輩や同級生から反感を買うのは当たり前で、しょっちゅうロッカーに入れて置いた荷物が消えたり、知らないアドレスから気味の悪いメールが届いたりと陰湿な嫌がらせを受けた。
だが、それをいち早く気付いたとある先輩、というか部長の白石蔵ノ介が何をしたのかそれらを一掃してしまった。そして、ぴたりと無くなったそれにほっとした。同時にボロボロ涙が溢れてきて、みっともなく部長の前で泣いた。なんや、結構気にしてたんやな俺。なんて内心苦笑しながら部長を見た。瞬間、心臓が止まるかと思った。
部長は、綺麗に笑って俺の頭を撫でてきた。その笑顔が滅茶苦茶綺麗で、びっくりした。普段も綺麗な先輩、て思ってたけどそれとは違う。なんや、これ。ドキドキする、体が熱くなる、脳が融けるようにクラクラする。
俺はその時、部長に恋をしたのだと思う。その日から気が付けば目が勝手に部長を追う。止めようとしても、止められなかった。そしてある時気が付いた。部長と、目が合う回数が多い。気のせいとかやないよな…?
自然と顔に熱が集まるのを感じる。嫌や、俺めっちゃ女々しいやんけ。


***

何時もより少し張りはりすぎたから念入りにダウンしてたら遅くなった。部室に戻ると部長しかおらんかった。他の先輩らは、もう帰ったみたいやった。部長は俺に気が付くとにこりと笑ってお疲れさん、て言った。部長は部誌となんや分からん資料みたいなんと睨めっこしとって、忙しそうや。部長に頭だけ下げて自分のロッカーへ向かう。静かな部室に着替える衣擦れの音と、紙の捲る音だけが響く。はっきり言って気まずかった。
「なぁ財前」
急に名前を呼ばれボタンを閉めていた手がびくりと跳ねる。振り返ろうとしたら、目の前に影が出来て思わず見上げる。いつの間にか真後ろに立っていた部長は、俺に覆い被さるようにロッカーに手をつく。なんやこれ、どういう…。
「最近俺のこと見よるやろ?それとも、俺の勘違いやろか」
笑っている部長は、いつもと雰囲気が違った。いつもと違う笑顔、雰囲気、声音。すーっと背筋が冷えていく。あんなに好きな部長を怖い、と思った。
「部長、なに、…」
「可愛えなぁ」
部長の目が細まったかと思えば、すぐに見えなくなった。変わりに唇に温もりを感じる。部長の睫毛が近くて、前髪が鼻先を擽る。
「ふ、ぅん…んん…ぁ!?」
俺、キスされてる?冷えた背筋に一気に熱が這い上がる。顔も同じように熱いから、きっと真っ赤だ。部長にキスされてる、そう考えたら体が熱くなった。だが同時に思考は急激に冷めていく。
なんで部長はこんなことするんやろ。それに先程の言葉は、俺が部長を好きなことを知っているかのような口振りやった。
「…………財前」
混ざりあった唾液が糸をひいて、ぷつんと切れる。部長を見ると至極楽しそうに笑っていた。嗚呼そうだ、この笑みは、楽しんでいる時の。テニスをしている時とか、策略を巡らせている時だとか、そういう時に見せる笑みだ。
俺は思わず伸びてきた部長の手を振り払っていた。足ががくがくと悲鳴をあげて俺を恐怖に追いやる。
俺、部長に遊ばれとるんやん。部長は俺が部長を好きなことを知っていたんだ。だから、部長はそれを利用して遊んでいる。…俺、で。
俺が部長の手を振り払ったのを気に入らなかったのか部長の表情から笑みが消えた。焦ったような、悲しんでいるようなそんな表情に変わる。まるで子供がお気に入りの玩具を取られたような。部長は痛いくらいに強く俺の腕を掴んで床に引きずり倒す。背中を思いっきり叩きつけられ痛みに目を瞑る。その隙に俺の腕を替えの包帯で部室に置いてあった椅子にくくりつける。止めかけの制服のボタンを一つひとつ丁寧に外していく。部長の手がズボンのベルトにかかったとき、俺は嫌でも今から部長がしようとしていることに気付いてしまった。
「え、嫌、嫌やっ嫌…!部長、止めて!嫌や嫌や嫌や、部長!いやだ!」
頭を左右に振るが顎を捉えられ固定されるとまたキスをされた。今度は、噛みつくような激しいキス。ぐちゅ、と部長の舌が口内を抉っていく音が鼓膜に届き涙が止まらなかった。
そんな俺を、うっとりとした表情で見つめる部長。その視線はだんだん下に降りていき、俺の下半身を舐めるように見つめた。部長の手が俺の足にかかったとき、確かに俺は部長に絶望した。でも、体は熱を孕んだままで、部長に触れられるだけで更に熱くなる。
「これで、俺のモンや…」
部長が何かを呟いたが、それは俺の耳には入ってこない。

「っぅ、あ…あ゛あああああ!!!!!」

最後に感じたのは、引き裂かれるような痛みと太股に感じる滴る血と精液の感触だけだった。ブラックアウトした視界。暫くしてパタン、と扉が閉まる音と共に意識が浮上する。立ち上がろうとしたら有り得ない場所が痛んで眉を潜める。シャツの裾が血で真っ赤に染まっていた。痛かった、体じゃなくて心が。
「こんなん、――――…嘘や…!」

確かに俺は部長が好きだった。
だけど、こんなことを望んだ訳ではなかったのに。





その後俺は徹底的に部長を避けた。部長が要るときには周りに誰かがいるように心がけたし、必要以上に部長に近付かない。
あんな思いはもうしたくなかった。人間は愛情を確認するためにセックスをするらしい、と誰かから聞いた。愛故の行為だと。セックスは、愛故のの行為?…違う。だって俺と部長の間には何もなかったのだから。
つらい。心が痛い。でも、仕方がない、これは俺が馬鹿だったから招いたことだ。仕方がない。…仕方がない。

気がついたら、部長達は卒業式を迎えていた。舞い散る桜がそれを物語っていた。俺は、校舎裏にある大きな桜の木の下に来ていた。
部長が、卒業する。これで俺はもう何も思い悩むことなんてしなくて良くなるのだ。そう思ったらすっきりする―――…筈だった。だが残ったのは悲しみと後悔に似たわだかまりだけ。
「財前」
名前を呼ばれる。聞き慣れたその声音に振り向かなくても誰だかわかった。わかって、しまった。
「部長、卒業おめでとうございます」
振り返らずにそう告げると後ろから近付いてくる足音が聞こえた。その足音一つひとつに心臓が反応しているような気がした。
「聞いて欲しいことがあんねん。財前、俺は…」
「やめろや」
それ以上聞きたくない。何故かは分からないがそれを聞いてしまえば自分が何か変わってしまうような気がして怖かった。
「聞いて。財前、こっち向いて」
聞きたくないのに、土を踏み締める音は止まらない。そしてそれは俺の真後ろで止まった。
「お願いやから、聞いて欲しい。」
後ろから抱き締められて、胸が詰まる。あんなに怖かったのに。あんなに苦しかったのに。部長の体温と伝わる鼓動に酷く安堵している自分がいた。
嫌だ、気付きたくないのに、どうしてあんたはいつも、…。

「あの時、俺は阿呆やったから、欲しいもん手に入れる方法なんて知らんかった。財前に避けられて、嫌われてから気付いた。…言い訳にしか聞こえんかもしれへんけど聞いてや」
体を反転させられて、部長と向き合う形になる。部長の目は、表情は、真剣で思わず息を飲んだ。意識が全て目の前の部長に持っていかれるようだった。また、あの時感じた感覚が俺を襲う。部長は俺を真っ直ぐ見つめて俺が大好きやったあの笑顔で言った。
「財前、俺はお前が好きやった。愛しとった。…いや、今も愛してる」
やめろ。お願いだから、やめてくれ。ドクドクと心臓が軋む。昔、抑え込んだはずのこの感情がどろどろと胸の奥から溶け出した。
「やから、もう一度俺にチャンスを下さい」


自分でも未練たらしいと思う。
憎んだはずだった。嫌いになったはずだった。だけど、部長のその言葉だけで全てどうでも良くなってしまうだなんて。
部長を、許せてしまうだなんて。
瞬きをするとぽたりと一粒涙が転げ落ちた。


「―――俺も、部長が好きです」







俺のこの気持ちは、死に損なったようだ。





2011.1.14
私の精一杯の蔵光です。
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