正直彼を、姉に似ていない男だと思ったのだ。
何かと引っ込もうとする僕の手を妙ちゃんは少々強引に、けれどやさしく引いてくれた。くんと体が未来に引き寄せられた瞬間に、なんだ、僕はほんとはこうしてほしくてずっと膝をかかえていたんだと、足し算をかけ算してしまっていたことに気づくときのようなあっけなさが、胸にいっぱい広がった。
そうして妙ちゃんに連れられた神社の境内で、乾いた地面に銀杏の枯れ枝で絵を描いていたのが彼だった。妙ちゃんに気づいてほろりと笑い、彼女の半歩後ろを守る僕に視線をずらし目を丸くする。気が弱かった僕は少しどきりとしておじぎをするように下を向いた。ゆっくりと顔を上げると小さな彼が頬を赤くして、笑おうとするのを緊張が邪魔するとこんな顔になるんだろうな、というふうな表情で肩をすくめていた。新ちゃん、あいさつは、と妙ちゃんが言う。姉に似ないと思ったと言ったけれど、彼女らが姉弟だと本人から聞いたのはこの後であって、僕には二人が姉弟なのだと予想を立てる要素がすでにあたえられていた。出会った瞬間にわかるような、ほとんど決定的なもの。ふたりはその顔のつくりがそっくりだったのだ。大きな目も、すっと通った鼻筋も、やわらかく笑むときの唇も、この子、私の弟なのと教えられるとっくの前に確信するほどよく似ていた。しむらしんぱちです、よろしくおねがいします。妙ちゃんに言い聞かされて何度も自己紹介を練習する様子がすぐに想像できた。なぜご両親ではなく妙ちゃんを想像したんだろう。そのことも後になってそれで間違いはなかったのだと知るのだけど、ただほかの誰でなく僕が、親でもない付き人でもない、きょうだいに憧れていたからなのかもしれないと今は思う。

二年ほど時が経ってから、また彼と会った。今度は妙ちゃんはいなかった。このあたりに住む者なら誰もが顔を見知ったおじさんが、その老舗の果物屋を切り盛りしていた。護っていた、というほうが近いだろうか。それでもあの時代ではまだまだそれなりに繁盛していたように見えた。
彼は大きな風呂敷に、赤ん坊の頬っぺたのような色をした果物を包んでもらっているところだった。ひとつ、ふたつ、みっつ、桃だ。おじさんにお礼を言い、彼が風呂敷をそっと持ち上げたところで、距離を保って見ていた僕の口からあっと声が飛び出した。風呂敷の横裾から大きな桃が転がり出て、地面へ落ちた。彼は大きな目をさらにめいっぱい開いて、桃を拾おうと屈んだ。その拍子にまた風呂敷のすきまが大きく割れる。いてもたってもいられなくなって僕は彼めがけて走った。風呂敷をはしりとつかむ。彼はわかりやすくびっくりした顔をして、まるくほほえみこちらを見上げて「九兵衛さん」と言った。僕はとっさに彼の名を思いつくことができなかった。「ありがとうございます」にうなずいただけで、転げた桃を持ったまんま彼の横を歩いている間、僕らはなにも話さなかった。やっぱり似ていない、と思った。

彼が足を止めた場所には、ぎらぎら照りつける日光をさえぎることのできるものはひとつもない。土も雑草も僕たちも、皆平等にじりじりと焼かれている。切り出された四角い石たちは行列をつくってこちらをじっと見ているような気がしてきて、なるべく目が合わないように焦点を泳がせながら歩いてきた。その中のひとつの前で彼は立ち止まったのだ。背伸びで柄杓から水をかけ、水鉢を満たし、樒を取り替えた。流れるようにここまでを彼はひとりでやった。最後に風呂敷を広げて桃を両手で大事そうに、石に供えた。

「こんにちは、父上、母上」

僕はなぜか盗み見るような目つきを以て、石に彫られた字を攫った。『志村家之墓』。彼と、妙ちゃんのご両親の墓標にちがいなかった。三つの桃を横一列に並べ終えた彼は、膝をついたまま両手のひらを胸の前でぴったりとくっつけ、頭を垂れた。それでこの石はさっきまでよりいっそう僕らを凝視しはじめたような思いこみに駆られて、急いで僕も彼の真似をする。長い長い沈黙を僕は蝉の声で紛らわせた。いつまでたっても立ち上がる音がしない隣をこっそり薄目で覗くと、見えた横顔はかたく目をつぶって唇をぐっと引き結んでいた。まるで何かに耐えているような顔だった。彼のこめかみをしずくが伝って落ちていくのにぎくり、とする。汗だ、汗だ。そう何度も何度も胸の中で繰り返しながら、僕は自分の足下にできた染みを見つめていた。
永い永い時間に喰われたような気がする。ようやく彼の頭が持ち上がったとき、思わず少しほっとしていた。

「あ、あの、新八くん」
「えっ、あ、はい!」

初めて彼に話しかけた。僕ひとりのときに。いまここには僕と彼のふたりしかいない。

「その、この桃は、みっつも要ったの?」
「え?」
「…だって、君は抱えきれずに落としていたし、なにより桃って高いだろう」

きょとんとしていた彼は、三秒の後に合点がいったようで、ちょっと笑った。その瞬間に僕は彼の顔をまだ目の前においておきたい気持ちと、いますぐ後ろへ走りだしたい気持ちと、両方がいっぺんに跳び跳ねたことに驚いて瞼が働かなかった。だってとても、似ていたのだ。認めたくなかった。

「僕の父上は、いまから三年前に亡くなったんです」
「………」
「だから、これは、父上が亡くなってから三年目のしるし」
「……そうか」

小さな手が、右端の桃にそっと添えられた。みっつの桃が頬っぺたをよせあって、墓石に照り返される日光の中で静かに座っている。彼はその毎年ひとつずつ増えるお供え物をいつまで続けるんだろう。一列に並べられなくなるまで、それともお金を工面するのがつらくなるまで、それとも、今年いくつ買えばいいのか彼が忘れてしまうまで。

「…母上には、特別になにかしてあげるのはできなかったんですけど」
「…うん」
「でも、父上も母上も桃が好きだったから」
「…ううん」
「えっ?」
「お父上とお母上は、君と妙ちゃんのことがいちばん好きだよ」

根拠なんかなかった。そうだといいなあ、と思いながら、自分のことまでが自然と重なり、たくさんの感情を詰めこんで呟いた。その言葉は新八くんに唇を噛ませていたようだったけれど、顔を上げたとき僕を見て、笑ってくれた。さっき見たのより、もっと妙ちゃんに似ている笑いかただった。やっぱり悔しい。帰ろうか、と言って、僕は空になった手桶を持った。


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