スーツの裾から覗くシルバーのチェーン。ほんの少しだけ膨らむポケットに忍ぶのは、懐中時計。
 腕時計ではなく敢えて懐中時計という、正直に言えば少し古臭いイメージのある物を彼が好んで使うのか。それが俺にはわからなかった。
 俺から見れば古臭いというイメージの懐中時計を見るその仕草が、今この時代を生きる人間っぽさを彼から奪うようにも思った。

「守川さん」
「ん?」
「今、何時ですか? 俺、今日時計忘れちゃって」

 えっとね、とポケットから取り出される懐中時計が指すに、今の時刻は午後1時15分。昼休みも終わって、午後からの仕事に取り掛かり始めたところでこの質問は相当煩わしいはずだ。なのに、守川さんは笑顔を絶やさない。

「それ、時計高そうですよね」
「そうでもないよ。生野君が思ってるような値段じゃない」

 守川さんと俺は、今年この会社に一緒に入社した同期だ。それなのに、未だに守川さんに対する敬語が抜けないのは、守川さんの纏う大人な雰囲気と、四大卒と専門学校卒という、実年齢にして2年ある歳の差の所為だろう。
 実際、守川さんのイメージは優しくて物静か。怒っているところなんて見たことがない。そういうのを大人の対応だと思ってしまうくらい、俺はまだまだお子様だ。それくらい彼は俺にとって大人で、完璧な人だ。

「でも実際1万くらいしそうですよね」
「買ったのは4000円くらいだよ。知り合いに2000円ほど安くしてもらったから、実際は6000円か。学生時代から使ってるものだけど、これくらいシンプルなら会社に入っても使えるだろうと思って」
「守川さん物持ちいいんですね」
「普通に使ってるだけなら2、3年くらいもつでしょ」

 俺高いの買っても1年しないうちに壊しちゃうんですよね、と言えば守川さんは「それは君の扱い方の問題じゃない?」と笑う。
 この人、こんな笑い方も出来るんだ。女の子たちと話してるときの優しい感じじゃなくて、少し呆れたような表情。
 そんなことを考えていたら、課長に「業務に集中しろ」と注意された。巻き添えを食らった守川さんも俺と同時にパソコンに向き直し、それからは時間が経つのも忘れるくらい画面とにらめっこ。

「生野君」
「はいっ」

 名前を呼ばれて現実世界に戻ってくると、目の前にはお菓子の箱を持った女の先輩。どうやら先輩はこの前の休みを利用してどこかに旅行に行ったらしく、そのお土産を配っているようだった。

「これ、お土産です。よかったら。チョコとプレーンがあるんですけど」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、プレーンの方いただきます」
「それとね、守川君を起こしてあげた方がいいかな。このままだと課長の雷が落ちるから」
「え?」

 ふと横を見ると、一見ディスプレイを見ているように見せかけて、目をしっかり閉じている守川さん。今は微動だにしていないからわからないけど、このままだといつ舟を漕ぎ始めるかわからない。

「守川さん、守川さん」
「……あ、ん? どうしたの」
「守川さんめっちゃ寝てましたよ」
「ありがとう。あー、すごい普通に寝てた」
「それと、光田さんからお菓子いただいたんで、守川さんもどうぞって」
「はい、守川君。プレーンとチョコがあるんだけど」
「ありがとうございます」

 そう言って守川さんが選んだのはチョコ味のお菓子。よく見るとデスクの上にはチョコの箱が常備してあるし、選ぶ飲み物だって甘いミルクティー。
 こんなにも甘党で、居眠りをしてるときは可愛いと思うのに、その他のときが大人っぽいんだから反則だ。そして、壁にかかる時計を見るより先に、時間を確認する手段はポケットの中の懐中時計。

「生野君、もう3時半だって」
「もうそんなですか?」
「俺普通に1時間くらい記憶ないんだけど」
「1時間って、寝すぎじゃないですか?」
「ほら、起きてる風に見せかけるのは得意だから。何も今日に限ったことじゃない。今までも結構寝てたよ?」
「え、そんな寝てたんですか」

 隣にいたのに、案外知らないことはたくさんある。いや、きっと俺が目の前にあるパソコンのディスプレイにしか目が行っていなかったんだと思う。
 意外と甘党で、仕事中に平気で寝る。彼のそんなところを知ってしまえば完璧な人だとは思えない。むしろ人間味が溢れていて、これから仲良くなれそうだとも思う。

「さ、そろそろ午後の仕事に集中しよう。あと2時間で片付くかな」
「片付けられたら片付けられたで結構腹立ちますけどね。守川さん寝てたのに」
「それなら、生野君も一緒に残業する?」
「俺は今のままでも十分残業コースです」
「それなら都合がいいや。仕事が終わったらラーメンでも食べに行かない?」
「いいですね。てか守川さんラーメンとか食べるんですか」
「生野君、俺を何だと思ってるの?」

 あ、また違う表情だ。少し怒ったような、拗ねたような表情。
 思えば、懐中時計とパッと見の雰囲気だけで俺は守川さんをとっつきにくい人だと思っていたけれど、実際そうでもないんだ。
 これから、少なくとも席が隣の間は彼との付き合いが続いていくワケで。もう少しちゃんと彼と向き合って、同じ時間を生きてみようと思う。

 そうだ、明日はちゃんと腕時計してこないと。


end.


(10/03/26)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -