彼が彼女に圧倒されているのは、場に漂う空気だけでわかった。普段からミステリアスな雰囲気を醸している彼も、その上をいく彼女にはただただ押されている、そんな感じ。あくまでも空気のやりとりだけ。表面上はどちらも至って普段通りだ。

「1年の、瀬野雨音です」
「久月憂芽。貴弥と佳介から聞いてると思うけど、私の活動拠点はここ」

 今では人が来ることも想定内となった部室。それでもお世辞にも広いと言えないのは、周りに陣取った荷物。天文部はそれなりに機材が多い。望遠鏡だとか、プラネタリウムだとか。部のホームページ更新用のパソコンやサーバー用のマシンもある。それこそ過去の天文雑誌だって積んであるし、丸められた断熱シートは堂々とそびえ立っていた。

「あと、久月はこの部活の観測部長でもある。観測部長は、観測会のスケジュールを組み立てたりするのが主な仕事だ」
「そうなんですか」
「今じゃ佳介の教育係みたいになってるけどな。じゃ、行こうか、観測会」

 必要なものを天宮先輩の車に積んでいく。望遠鏡、断熱シート、ガスコンロに薬缶。さすがに3年生の先輩は手馴れた様子だった。久々に行われるというそれを楽しむかのように。俺たち1年生は初めてのことに少し戸惑いながらも、先輩たちの姿を見ながらこういう物なのかと吸収していく。ここから見る空は、街の明かりが映りこんでぼやけている。とっておきの観測ポイントとやらではどのように空が、星が輪郭を現すのか、期待値ばかりが上がっていた。

「佳介、瀬野。ちょっとばかし長丁場になるから覚悟しとけよ」
「長丁場って、どれくらいですか?」
「休憩込みで片道2時間半だな」
「想像以上にかかりますね」
「ガチで山の上だからな。あ、防寒具は持ってきたよな? 季節問わず冷えるぞ」

 思っていたよりも「観測会」はかなり本格的なものになりそうな予感がした。とは言え、昔はこれが当たり前だったのだと思うと、真っ当な天文部としての活動が今の部活で損なわれていると感じるのは至極当然のこと。あの、耳を覆いたくなるような会話を思い出すだけでも気分が悪くなる。

「佳介、大丈夫か? 顔色あんま良くないっぽいけど」
「あ、大丈夫です」
「酔ったとかトイレ行きたいとかあったら言えよ」
「貴弥、佳介は普段からこんな感じ」
「さりげに酷いな久月」

 車の中では、基本的に天宮先輩が話の起点になっていた。誰かに話を振って、それを広げてまた返す。それの繰り返し。多分、天宮先輩がいなければ、タイヤがアスファルトを転がる音まで鮮明に聞こえるだろう。きっとこの会話の中でも久月先輩は瀬野君を測っていて、先のことを考えているのかもしれない。

 先のこと?

 「とりあえず今日までは生きる」と言った人が、先のことを? 風化を望み、その身がどうなっても構わないと言う人が。どことなく、「久月先輩」と「先のこと」ということが不協和音を奏でているようにも思えた。頭の中は混乱し、天宮先輩から振られる話題も右から左。車がどんどん明かりの少ない方へやってきていたのに気付くのにも時間が要った。

「――棚橋?」
「あっ、うん」
「お前、ボーっとしすぎ。コンビニ着いたぞ」

 眩しすぎるくらいの看板。休憩ポイントのコンビニは、かつて複数台で行動していたときの第一次集合ポイントでもあったという場所。夜食や飲み物、必要な物を少し買って改めて進む道。まだまだ先は長い。

「部長、本当に距離あるんですね」
「瀬野、キツいか?」
「いや、キツくはないです。逆に楽しいと言うか」
「山の方に行かないと、どうしても星港の街の明かりが邪魔するからな。出来る限り、人が活動している気配のない場所の方が観測をするには適してる。人工的な明かりが少ない場所とも言うかな」

 この観測会に対する期待値が高かったのは瀬野君も同じだったようだ。彼の場合、俺とは違って元々星に興味があってこの部活に入ってきたのだから、それもまた当然のような気がした。彼の望んだ天文部らしい活動、その中にいるのだから。

「まあ、俺は乗せてもらってるだけなんでそう思うのかもしれないですけど」
「いや、運転しながら俺もテンションめっちゃ上がってる。久々だしな」
「しかも今のところ晴れてるじゃないですか、雲もない。イベントごとなのに雨が降ってない時点で感動してると言うか」
「だろ。俺と久月が揃えば雨男のひとりやふたり、どーってことねーよ。な、久月」

 そう言えば、瀬野君は雨男で、久月先輩曰く天宮先輩は無敵の晴れ男。その久月先輩自身も晴れ女だと。ただ、この観測会にかける各々の想いみたいなものを、空の方が酌み取ってくれたのかもしれない。

「それこそ昔は、私と貴弥が揃えば絶対に降らないし、雲すらないとまで言われてた。天文部のジンクスみたいなもの」
「偶然だろうけど、それにあやかるのも悪くないってな」
「観測会を開く日時なんかも、気象条件やシーズンによって変わるんですか?」
「その年によって。例年通りのイベントもあるけど、稀に何年かに一度のイベントも入ってくる。そういうときは積極的に出たい、とかね。私の場合だけど」
「確かに何十年に一度とか、死ぬまでに二度と巡ってこないようなイベントは、この目に焼き付けたいと思います」
「瀬野君」
「はい?」
「例年通りのイベントの中でも、常に変化はある。死に近付いてる兆候を見せている星だとか。当たり前のようにあった星も、宇宙空間の中では消滅していたり。だから定期的な観測って大事。特別なイベント以外も面白い」
「俺にとっては全部が新鮮なので、多分どれをとっても面白いと思います」

 そして運転をしながら天宮先輩が一言。お前ってこんなに明るい奴だったんだな、と。俺も、まったく同じことを思っていただなんて言うのはもちろん本人には伏せて。

「ポイントについたら、大学からは見えない空を仰いでみよう。きっと、世界が見違えると思う」


(13/05/27)
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