それが特別な天文イベントだと聞かされたのはしばらく後のことだった。
 普段星を眺めるのは月が出ていない夜。月が、満月が煌々と輝く夜に呼び出されて部室で天体観測だなんて少しおかしいと思いながらも、いつもよりも幻想的な月を眺めた。

「スーパームーン?」
「いつもよりも大きく、眩しく見えるんだって。私も見たことはなかったから、興味深かった」

 そう言って久月先輩はいつものように雑誌に目を落とした。毎週の恒例になっている裏部会。天宮先輩がいるいないに関わらず久月先輩の口数は少ないし、ここでやることもいつもと変わらない。

「一応天文部だし、月を見るのも活動の一環。違う?」
「違うとは思いませんけど」
「でも大きかった。それに、きれいだった。私、まだ少し興奮してるみたい。ルナティックハイってトコかもしれない」
「そんな言葉、聞いたことありませんよ」
「私が今作った」

 確かにいつもより彼女は明るく、饒舌だった。暗い方向に饒舌になることはあっても、少なくとも今現在、彼女は明るい。これもスーパームーンがもたらしたルナティックハイとやらの影響なのだろう。
 俺は彼女が読み尽くした雑誌に目を通し、自分にとっては新鮮な、新しい知識を取り込むことに尽力した。少なくともそれは、この裏部会にいる上での最低条件だと思っている。

 雑誌越しに考えていたのは、いつ瀬野君を久月先輩と引き合わせるかだった。「天文部らしい活動がしたい」と望む瀬野君と、「居場所を侵されたくない」と望む久月先輩。板挟みになった俺と天宮先輩の間では何度も話し合いがされた。
 「天文部の復興」というテーマの下での2カ年計画。その計画のキーマンは俺と瀬野君になると天宮先輩は言い切った。だからこそ、いつか彼と彼女の対面は果たされなくてはならない。だけど、タイミングがつかめずにいる。

「飛んだって構わないのにね」
「えっ?」
「願わくは銀河の果てへ、みたいな。星空や月がきれいな時なんかは特に思う。真空空間で呼吸も何も止められたまま、そのまま漂いたいって。いつ死んでもいいって思ってるからさ」
「……。」
「1年生に星に興味あるっていうコ、いなかった?」
「えっ、あっ、瀬野君ですか?」

 あまりにも唐突で驚いた。まさか久月先輩から瀬野君の話題を振られるだなんて。

「貴弥を「デキる」って言ってたんでしょ?」
「はあ、言ってましたね」
「見る目は、あると思う。どんな子?」
「そうですね、普段は表部会の方に出てるんですけど、そこでは寡黙です。小説を読みながら周りの雑音を消してるって感じで。観測会の予定が消える度にまたかって残念がってるんですけど、自分は雨男だから、観測会になっても雨が降るんじゃないかって不安がってます。だから実際の星じゃなくてお手製プラネタリウムとかでもいいからそれっぽいことがしたい、とは」

 久月先輩は少し考え込んだ。俺からもたらされるたった少しの情報で、瀬野君という人を評価しようとしているのか。

「次の新月の晩、曜日に関わらずその瀬野君てコ連れてここに来るといいよ。向陽大学天文部が誇る絶好の観測スポットで観測会、開こう」
「でも、天気とか、大丈夫ですか?」
「知らなかった? 貴弥って、無敵の晴れ男。まあ、雨男の力が強くても私も基本的に晴れ女だし、少しくらい雲が張っててもあそこなら多分それなりに星は見えるはず。そうと決まったら貴弥にメールしないと。車出してもらわなきゃ」

 久月先輩が柔らかい笑顔を浮かべながら天宮先輩に送ると思われるメールを打っている。俺も同様に、ようやく彼の望む天文部らしい活動が出来そうだと、交換して以来受ける一方だった連絡先に初めて自分からメールを打つ。

「まあ、お手製プラネタリウムもあるにはあるんだけど、雨が降ることは考えない」
「あるんですか?」
「言わなかった? 昔はちゃんと天文部としての活動が機能してたって」
「でもさすがにプラネタリウムがあるとまでは思わなかったです」

 この段ボールの中にあるんだよ、と積み上げられたボール箱をボンボンと叩く久月先輩の目に迷いはない。さすが主と言われた人だけあって、この部室の中のことはわかりきっているという目。

「ありがとう」
「はい?」
「少なくとも、次の新月の晩までは死のうなんて気を起こさない気がしてきた」
「そういう気、起こしてたんですか」
「いつ死んでもいいとは言うけど、「次の楽しみ」が出来たなら話は別。問題は、その瀬野君とやらがどんな人間か私が見極めてからだけど。だから、次の新月の晩はテストも兼ねてる。もしも彼がここを侵すような人間でなければ、基本表部会にいようとも、貴弥に託そうと思う」

 どうやら久月先輩の中で、瀬野君という存在がこの部活、そして久月先輩の居場所としてのこの部室のキーマンになるであろうことは理解されていたらしい。もちろん、俺たちが言うまでもなく。

「そうだ」
「はい」
「私、人のこと「君」付けで呼ぶの嫌いなの」
「はあ」
「だから、これからはアンタのことも呼び捨てるから」
「えっ?」
「改めてよろしく、佳介」
「よろしくお願いします」

 そもそも名字ですら名前を呼ばれたことはなかったけど。何となく、俺は久月先輩の居場所を侵さない存在として認識されているのかなと思った。それが下の名前を呼び捨てられたことに現れたのかと少し自惚れにも似た複雑な感情を抱かざるを得なかった。

「あの、久月先輩」
「何?」
「次の新月の晩っていつですか?」

 そして先輩から漏れる溜め息。

「佳介よりも、案外瀬野君ってのが星に対しては詳しいかもね、現状ですら」

 普段私が教えてること、ちゃんと記憶してる? そう言って、彼女は笑った。


(12/06/09)
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