いつもと同じ月曜日だと思った。いつもはぼーっと闇の中に浮かぶ天文部の部室も、明かりはない。だけど、足を運ばずにはいられなかった。
 いつもなら、部室に足を運べば久月先輩が何かしら本を読んでいて、たまに天宮先輩が部活に対して愚痴りに来ていたりして。そんないつもの裏部会だと思っていたんだ。

「誰か、いますか…?」

 電気がついていないにも関わらず、鍵が開いている。ということは、鍵を開けたのは天宮先輩ではなく久月先輩だろう。そう確信を抱きつつも恐る恐る部室の中に入っていけば、確かに人の気配がする。ただ、気配がするというだけでその姿―部室の主の姿は見受けられない。
 窓からこぼれる月の明かりが眩しくて、それだけでこの部屋の中くらいなら歩けた。星を見るには適さない環境の中、敢えてここに来ることの意味。

 部室の奥に進んでいくと、キラキラと、と言うよりは少し鈍めに床が輝いていた。その上に横たわるのは、その長い髪からして久月先輩で間違いないだろう。

「あの…久月先輩?」

 呼びかけても応答はない。俺の存在に気付いているのか、いないのか。はたまた起きているのか、いないのか。もっと言えば……生きているのか、いないのか。

「ん…貴弥…?」
「先輩、大丈夫ですか?」
「……ああ、なんだ。大丈夫。ちょっと寝てただけだから」

 床に敷かれていたのは断熱効果のある銀マットだ。久月先輩曰く観測会の際、地面に敷いて使うものなのだという。今ではほとんど観測会も開かれないからか、すっかりお役御免といった状態なんだとか。

「ここ3日程寝てなくてさ」

 そう銀マットに寝そべりながら言う先輩の声はどことなく弱々しい。本当に睡眠不足であることは容易に想像できた。誰も来ないこの部屋で、銀マットの上に寝そべる方が家よりも安心するという。

「この銀マット、そんなに寝心地がいいんですか?」
「疑うなら寝てみればいいよ」

 言われるままに誘われた銀マットの上に寝そべると、確かに。直接床に寝ているという感じではなく、少し沈む感覚があって、床の冷たさも気にならない。おまけに、寝そべることで窓から月がいい角度で見えるのだ。確かにこれは寝れる、そう思った。

「月が形を変えるみたいにね、私の心も形を変えるの」
「はあ」
「今は、このままここで朽ちたっていいかな、とも思えるくらいには自由だよ」

 朽ちる、とはそのまま言葉の意味のまま捉えてもいいものだろうか。要は、死んだっていい、そういうことなんだってことだろうと。

「誰の心だってずっと同じじゃないと思いますけど」
「まあね。ただ、私はもうここで風化したい。誰にも見つからない場所で、ひっそりと。惜しまれつついなくなるなんて真っ平」
「でも」
「仮に私が今ここで天文部を辞めますと言ったところで、泣いて私を引き止めたり、どうしてって疑問を持ったりする人なんていないってこと。嘘でしょなんて疑いの心を持つことも無く、誰からの応援を受けることも無くただ私はいなくなる。それでその人にとってはまた新しい日常が始まるし、私もそんな人のことなんて考えずに自分の日常を始める。そうでしょ? だって生きてる時間なんて無限ループだって言うけど、実際ループじゃなくて螺旋なんだよ。去年の今日、この時間に私は同じ様にこの部屋で銀マットに寝そべってたけど、誰も私に声をかけることはなかった。たった1年違うだけで同じ毎日の中に確実に変化は訪れてる」

 これだけ饒舌な久月先輩は初めてだったかもしれない。彼女の考え方に対して理解は出来なかったけれど、俺は否定も出来ず、あくまで俺は俺だし先輩は先輩だ。それぞれの道を歩んでいる真っ最中で、その邪魔をすることは出来ないし、されたくもない。

「しっ」

 突如、久月先輩が身を屈める様に言い、俺はそれに従った。息をひそめていると、コツコツと響く靴音に、ちらちらと動く光。

「何ですか?」
「巡回」

 そして、光がこの部屋の前で止まる。巡回の人からすれば、誰もいない部屋。鍵が開いていることが不自然な現象なのだ。俺たちの存在には最後まで気付かなかった巡回員の人がこの場を去ってしまえば、あとはもうやりたい放題。

「あの、この部屋の鍵って」
「合鍵がある。貴弥に作ってもらった」
「いいんですか」
「どこの部活だってやってる。放送部や演劇部なんて日常茶飯事」

 巡回の人がこの建物の鍵を閉めてしまえば俺たちはもうこの建物の外から出ることは出来なくなる。何となくイケナイコトをしている気分になって後ろめたさが先行する。ただでさえ、この部活では肩身が狭いのに。

「考えてみて」
「はい?」
「天文部が夜に活動しなくていつするの?」

 考えてみればそれは当たり前のこと。ただ、今日は煌々と月が輝いている。観測会をするにはやや条件の悪い中で――しかも、この建物の中に閉じ込められてしまってどうしろと言うのだ。

「今日は貴弥も来ないから、棟の扉が閉まれば完全にアウトだよ。どうする?」

 寝そべったままの銀シートが気持ちよくて動く気になれなかった。空腹感を覚えたけど、やり過ごせそうな範囲内。

 ゴォン、と錠の落ちる音が響く。完全に外には出られなくなった。だけど心だけは空にあって、目を閉じればそのまま浮遊できそうな気さえした。同じように先輩も銀シートの上で目を閉じ、ただ、彼女は浮遊しているのではなくその身の風化を望んでいるのだ。
 俺がこの銀シートに寝そべって感じたのはここでこのまま朽ちたいということではない。窓で切り取られた空にいくつの星があって、あの光は何年かかって俺の目に届いているのかということ。

「天文部としての活動は、今から、ですよね」


(10/10/22)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -