あれから2ヶ月、再び会った彼女はまた心なしかか細げだった。求職中の人間にこんなこと言うのもおかしいけどね、と紡がれる言葉の節々にはどこかこの世を見限り、諦めたような色。だけど、しばらく話しているうちにこれはこれでありだと思ってしまっている自分がいた。

「佳介、就活の調子はどう?」
「あー…まあ、ぼちぼちですね。よっぽど選ばなければあるとは思うんですが」
「時代ってヤツは無情だね。私みたいに休職中の身でも一応無職ではないのに」
「先輩、仕事は」
「まだ辞めないよ、自分からは。辞めさせられる可能性はあるけどね」

 机の上には、お湯を入れるだけのスープと薬の空き殻。食が細いのも相変わらずだ。薬を飲むための食事。
 辞めさせられるかもしれない――そんなことすらも明るく言い放ってしまえるのは、どういった心理で? もし、就活中の俺にほんの少しでも気を遣っているのなら、そんなことしなくていいのにって言えればどれだけ互いに楽になれるだろう。
 彼女の言葉に含まれる表情がどこまで本音なのかはわからない。だけど、あまり深いところまでは踏み込まない。何故って、彼女が中途半端な同情こそを一番嫌う人だと知っているからだ。

「先輩」
「ナニ?」
「先のことなんて、俺だって見えないです」
「そだね」

 自分の言葉の意味は、深く考えない。考えて物を話す癖はついていない。

「そもそも私の場合、1年先は生きてるかどうかすらも怪しいし」
「先輩、冗談でもそんなこと言わないで下さい」

 今度は言えた。
 この前は言えなかった、自らの死をほのめかす発言に対する制止を。毅然とした態度で、これだけは。

「死んだら、ちゃんと枕元に立ちに行くからね」
「ぜひ、天寿を全うしてから」

 先輩が作ったオムライスを食べながら、縁起でもない話をする。だけど、死んだら向こうの世界でこんな風に暮らすんだ、とあの世での生活を語るときの先輩の表情は明るい。

「佳介」
「はい」
「ひとつお願いがあるんだけど」

 部屋の電気が消される。そして、先輩は俺の真ん前に座る。ただ、俺のことを真っ直ぐ見据えているというわけでは無い。部屋が暗くなると、街の明かりがいかに眩しいかがよくわかる。ネオンや街灯、近くのマンションの明かりなんかが目に届く。

「何ですか?」
「後ろから、ギュッてして」
「はい?」
「死ぬなって言うなら、繋ぎとめてよ」

 恐る恐る、言われるままに回した腕。右手を取られ、彼女の手の冷たさに驚きつつも抱き締めることは止めない。それが彼女の意思だから。
 この行為に俺の意思は関係ない。俺の意思は混ぜちゃいけない。だけど、いつもより近くに感じる彼女の存在が俺を惑わせる。どうしてこんなにくらくらして、目の前が真っ白なんだ。
 こういう「お願い」を、俺じゃない他の誰かにもしてきたのだろうか。俺じゃなくても満たされるんなら、何も今ここでそんなことをさせる必要なんてないでしょう?

「……佳介? 痛いよ」
「すみません」
「ううん、ゴメン。私も爪、手の甲に立てちゃってた」

 言われるまで気付かなかった爪の痕。不思議と痛みは感じない。

「先輩、憂芽先輩……」
「……。」
「俺からも、お願いです」
「なあに?」
「俺のモノになって欲しいなんて言いません。だけど、こういうことを……誰にでも、しないでください」

 お願いだから、何処にも行かないで――

 案外佳介は心配性なんだね、と。2人とも両手が塞がってるはずなのに、頭を撫でられているかのような錯覚。
 愛とか恋とかの関係でもないのにこういうことをするのはおかしいかもしれない。だけどそれはあくまで一般論の上でのこと。
 一緒にいられるだけでいい。一緒にいるだけの、言葉の要らないこの関係が楽で、もう自分の一部になっている。何ヶ月かに一度だけなのに。


「私、寝るね。薬効いてるっぽい」
「あ、はい。ベッド、使ってください」

 もうしばらく無言で抱き合って、程よく俺の体温が移ったのだろうか先輩が睡魔を訴える。先輩のためのベッドメイクと、自分が使う毛布を分け、ぽんと1回掛け布団を叩けば準備完了だ。自分の使う毛布は床に置いただけ。床で寝るのにも慣れた。

「何度か途中覚醒起こすかもしれないけど、気にしないで」
「途中覚醒?」
「寝てる途中で何回も目覚めること。おかげで全然寝た気にならない」

 布団に包まってすぐ、先輩は寝息を立てる。俺とこうやって過ごしているときは生きることに対して辛そうには見えないけど、如何せん俺の知らない部分の方が多すぎる。そこで彼女に何が起きているのか。
 「生きている」というただそれだけじゃ、どうして彼女は満足しないのだろう。得意料理だと自称していたオムライス。その言葉に二言はなく、実際に美味しかった。「生きている」だけじゃない。少なくとも俺は、何度も彼女の存在に救われている――

「繋ぎとめてよ、か……」


 背中に当たる、固い感触。そうだ、俺は床で寝ているんだ。カーテンの隙間から漏れる月明かりが一瞬遮られて目覚める。きっと、夜明けにはまだ早い。頭の上の方に感じるのは、人の気配。

「……憂芽先輩…?」
「枕元に立ってみた。リハーサル」
「そんなリハーサル、要らないですよ……」

 死んだら枕元に立ちに行くという言葉のリハーサル。きっとこれがさっき言っていた途中覚醒とやらなのだろう。目映い月の光が彼女を照らして幻想的に見せる。メガネをかけていないという事情もあるけど、まるで元々彼女はこの世の住人じゃなかったんじゃないかとすら思う。

「ゴメン、起こして」

 そう一言だけ残して彼女は俺の視界から消えた。蛇口の水が流れていく音も、深夜に、それも他人が放っている音だと思うとなんだか新鮮だ。そんなことを思ったのも一瞬で、次の瞬間にはもう眠ってしまっていた。耳元で何か聞こえたような気がしないでもないけど、それが何か認識出来るほど覚醒はしていない。

 彼女の言葉が嘘になってしまった――いや、約束が果たされなかったと知るのはそれからさらに2ヵ月後のこと。暑い暑い真夏に於いて、異常気象とも呼べるくらいに冷え込んだ日のことでした。


(10/04/17)
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