「死んだら枕元に立ちに行くから」

 そう一方的に交わされた約束に、わかりましたともそんなこと言わないでくださいとも言えないまま、玄関のドアが重く閉まる。

 数ヶ月振りに会った彼女は、会話の節々に生きるだの死ぬだのと云った単語を挟み、ちらつかせるようになっていた。いや、彼女の第一印象はそんな感じだったから、「変わった」と言うよりは「回帰した」という感じだ。
 生きるだの死ぬだのといった単語を言葉の節々に挟む彼女だけど、自ら命を絶つという選択をするような人ではないと俺は信じているし、本人もそんな勇気はないと言っているからこそ深く心配はしない。

 一人になった部屋は広く感じるという月並みの表現も俺に限ってはその通りではなく、一人になっても部屋の広さはさほど変わらない。それだけ彼女はその場にいても存在感を消すのが上手かった。
 彼女がこの部屋に出入りするようになった初めの頃は、この部屋から出るときに駅の改札まで送っていた。そしてその駅の改札で別れた後、その背中が見えなくなるまでその場所から動くことも、視線を動かすこともなかった。
 それが今では玄関先でまたいつか、と曖昧な言葉を交わし、扉が閉まれば「ちゃんと鍵かけなよ」と云う忠告の下に、ひょっとするとその耳にも届くんじゃないかと思うほどの勢いで部屋の鍵を閉める。

「先輩、これからどうします?」
「適当に」

 そうやって、何をするでもなく過ごす部屋。本当に何もしないのだ。普段は何かしらの音が流れている俺の部屋が無音になるのは、彼女がいるときくらいだろう。
 彼女はテレビや音楽が嫌いなわけではなく、むしろ好きな方だと認識しているのに無音の時間を演出するのは、この時間を無音の名曲として共有していたいからなのだろう。それは決して記憶にも残らない物語だけど、体だけがしっかりと覚えている。
 そもそも彼女が「適当に」と俺にこの先の決断を委ねるときは、その場から動く気も、何をする気もないのだと気付けなかったのは俺があまりに他人のことに無頓着だったのだろう。
 ただ、それを叱責するでもなくただただ無言で、俯きながら携帯を触る俺のことを凝視する彼女の目の中にこそ潜り込むべき小宇宙があって、俺はそこでは呼吸が出来なかった。

 こうして一人になった部屋。机には、飲みかけのコーヒー。ベッドには、自分のものとは違う髪。俺以外の人がいた痕跡だけは残っている。今では二ヶ月に一度くらいの頻度でこの曖昧で浮遊した関係が続いている。
 とは言え、この関係をはっきりさせたいわけではない。俺と彼女の両方を知る人からは恋愛関係にあるのかとよく聞かれるけど、恐らくどちらもそんなことを意識したことはないだろう。
 男女が揃うとまず疑わしきは恋愛あるいは肉体的な関係、というのもどうかと思うが、人に言わせるとここまで逆に何もなさすぎるのも不自然であるらしい。ただ、俺にとってはごく自然なことだったのに。
 恋人の有無を聞かれて、いないと答えると嘘だとまず疑われる。その手の話題に関して嘘を言ったことはないのに周りの人は彼女を俺の恋人だと信じて疑わない。ただ、彼女は「恋人」とか、そういった言葉で表すことの出来ない人。


「先輩、今日の夕飯はどうします?」
「んー、どうしよう。まあ、適当に」
「うちには何もないですよ」
「佳介(ケイスケ)」
「はい?」
「ゴメン、私に技術があれば「今日は私が作るね」くらい言えたんだろうけど。女らしさの欠片もないからね」
「いえ、気にしないでください」

 遠く離れた場所に住む彼女がこうやって俺に会いに来るときはだいたい泊まりがけで、回を重ねる毎に暗黙の了解として俺は部屋に彼女を上げ、共に時を過ごした。
 そうやって女の子を部屋に上げると下心を疑われるかもしれないが、彼女が持つ特有の破滅志向にもよく似たニュアンスで使われる「適当に」という言葉が、このまま彼女を放っておくとどうなるかわからないといった恐怖を煽った。だから、彼女を家に上げるのは「保護」といった意味合いが強かった。

「憂芽(ユメ)先輩」
「ナニ?」
「料理が出来ないから女らしくないとは思いませんよ」
「それ、フォローのつもり? 言っとくけど、佳介よりは出来るよ」
「はい、得意料理はオムライスとカレー、ですよね」

 それが本当かどうかはわからない。実際見たこともないし食べたことはないけど、彼女がそう言うのだからそうなのだろう。
 結局コンビニで適当な食料を買い込み、それを部屋に持ち帰って囲む食卓。俺はカツ弁当を、彼女はお湯を入れるだけのスープを。

「それだけで足ります?」
「ここ一年で食べる量減ってさ」
「それでもこれじゃ少なすぎですよ」
「本当は食べなくてもいいんだよ。食べてもどうせ戻すし。でも、胃の中に何か入れないと薬が飲めないから」

 この一年で彼女が変わったのは、どうやら食べる量だけではなさそうだった。
 大学を卒業して地元企業に就職したまではよかったものの、ストレスが原因で身体と精神が悲鳴を上げたとのこと。そう打ち明けてくれた彼女の鞄の中から出てくる白いピルケース。

「ご飯を食べる目的が変わってませんか?」
「食べる物の味は美味しいと思うよ」
「じゃあ、一応楽しみはあるんですね」
「それに、朝や昼はちゃんと食べてるし」

 だから栄養面は問題ないよと言いながら沸かしたお湯をカップに注ぐ彼女は、心なしか去年の今頃より身体がほっそりしたような印象を受けた。それはひょっとすると、病気ということを知った上での印象かもしれないけど。
 立ちこめる湯気の向こうには、今か今かと出来上がりの一分を待つ彼女のうきうきしたような表情。その表情からはとても彼女が現在病気療養中には見えないし、とてもネガティブなことを考えているようにも思えない。

「いただきます」
「いただきます」

 ご飯を食べながら、何か会話があるわけでもない。ただそこにいるだけ。今ではもう最初の頃とは違って保護という意味合いもなくなった曖昧な関係。だけどそれが当然のようになっていて心地いい。
 互いを背景にして、同じ空間にいるだけ。たったそれだけでいいのに、この関係に納得しない人間は余計な思考を植え付けようとしてくる。一緒にいる、それだけで他には何もいらないのに。






(10/03/31)

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -