目の前にいるこの女の子は、レインの姿をしているけれどレインじゃない。レインと同じ情報を持った「表」の女の子だ。
 いっそこの子をこの手で殺してしまえば「表」と「裏」の情報が完全になくなって、もう一度生まれ変わってくるのかなとも思ったけど、もちろんそんなことは出来るはずも無い。

「とりあえずさ、その注射器下ろしてよ」

 自分で自分の目を潰そうと握った注射器を受け取り、それを彼女の手の届かないところに放り投げる。あまりに短絡的な行動だ。俺じゃなくてもそう思うのが普通だろう。

「ねえアイクさん」
「何?」
「今は色、わかるの?」
「わからない。今俺が見ているものは幻覚かもしれないし、それすらも」

 少し遠巻きに俺たちを監視しているユーリが燻らせる煙の色こそ俺の知っているそれと何ら変わりない風に思ったけど。それでも今の俺に見える色は無彩色だけだ。

「あと、聞いていい?」
「ん?」
「アイクさんは、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるの? レインさんが事故に遭ったから? 誰も自分を理解してくれないから? それとも、「裏」の苦労を知らずに暢気に暮らしてる「表」のうちらが憎い?」

 自分では、上手く笑えてるつもりだったのに。他の人からは、そう見えていなかった?

「レインが事故に巻き込まれたのはそれこそ事故だって、割り切れてるって言えばウソになるかもしれないけど、仕方ないことだって無理矢理理解してる。俺を理解するしないに関しては……俺だって周りにいるヤツらのこと全部理解出来るワケじゃないから諦められる」
「じゃあ、何が」

 今まで誰にも話したことのないことを、吐き出すか否か。それこそこんな面識のない子相手に。どうせ後々何もなかったことにして「表」に返されるだろう彼女にだからこそ話せるのかも知れないけど、それじゃあ何の意味もないんだ。

「5年前にレインが死んだ後、親友が姿を消した」

 ユーリ、どうせこの話にも聞き耳を立ててるんだろう?

「レインが巻き込まれた事故の原因は、新エネルギー研究施設の爆発事故だったと言われてる。その研究施設にいて、当時稼動していたプロジェクトのリーダー、アイラが事故の原因を作ったとして罪に問われた」
「罪に問われて……どうなったの?」
「裁判も行われて、出た判決は問答無用で「死刑に処する」だった。そして死刑執行直前、アイラは姿を消した。最後にアイツがいた痕跡の残っていた場所には看守の屍がゴロゴロ転がってたよ。そして、「表」と「裏」……次元の間に無数の穴が開いていたんだ」

 アイツの能力は「調教」……「影」を意のままに操る能力。そして、そこに転がっていた看守には「影」に喰い散らかされた形跡。漂う死臭と、血の池に重なるように滴る血液を思い出して、少し息苦しくなる。

「それからアイラがどうなったのかは知らない。生きているのか、死んでいるのか。ただ、ユーリが「生きてる」って言ってたから、生きてはいるんだろうけど」
「事故の責任をアイラさん1人に押し付ける形で問題を解決しようとした世論が、辛かったの?」
「厳密にはちょっと違うけど、強ち間違ってもない」
「アイラさんは「生きたい」、「死にたくない」って思ったから姿を消したんだよね……多分」

 アイラの「生きたい」という願い、か。
 事故が起きたのは誰の責任でもなく、裏世界があんな状況になっていたからこそ、アイラの存在はあらゆる意味で鍵になる。そう俺は思っていたんだ。アイラがしていた研究は私利私欲に走ったものじゃない。人々のための研究だったからこそ、それを「悪」だとすることに抵抗があったんだ。

「アイク」
「ユーリ」
「確かにお前は事故調査委員会の中でも、アイラに対する刑の執行には慎重派だったな」
「そりゃそうだろ。ダチだからとかじゃない、アイラ1人死刑にして片付く問題じゃないって言い続けてきたのに!」
「その甘さが今の事態を引き起こしていると言われても、決して引き下がらないよな」
「何とでも言え」
「いや、褒めてるんだ」

 5年前、レインと目を交換してから心の奥底から笑えることが明らかに少なくなっていた。望んだわけではない特殊な能力。俺はレインに光を見せたかっただけなのに、言われもない疑惑。
 「俺がレインの特殊な調合能力欲しさに目を奪った」――そんな話が世界の天使と悪魔の間で広がって、いい目はされなくなった。何処へ行っても冷ややかな目で見られるだけだった。
 だけど、そんな俺を理解してくれたのがアイラだった。ガキの頃からずっと一緒にいたから気も遣わなくてよかったし、何よりも楽だった。互いに互いのことを理解し合えてる、そう思ってたんだ。

「ちょうどその直前、アイラ率いるプロジェクトが迷走し始めたな」
「ああ。「気」がよくなかったのか空の色もどんよりしてたし、先の大戦の影響で街は廃墟状態。そんな中で俺たち調合師に求められたのは、希望の色」
「レインさんは光を知って、どう言ってたの?」
「レインは、光を知って絶望してたよ」
「……どうして?」
「それまで信じてきた希望の色がこの世界にはどれ一つなくて、くすんだ、濁った色ばかりだったんだ。それまで思い描いてきた世界を根底からひっくり返されて、レインは色を作ることが出来なくなった」

 そして起きた事故。繋いだ右腕が、レインの体から切り離されていた。俺の左手に残るその手の感触。

「その事故で流れた自分の血の色が、この世の中で一番鮮やかな色だったんだ。レインが夢見た透き通るようなスカイブルーなんて、その時代にはなかった。見せてやれなかったんだ。レインが夢見たスカイブルーも、アイラが作ろうとした新エネルギーがいい利用のされ方をした新しい世界も」

 俺が作る疑似的な色じゃない。自然に存在する色じゃないとレインには意味がなく、アイラには誰もが平和に、文明的に過ごせる世界でないと意味がなかった。

「アイクさんは、優しい人なんだね」
「え?」
「さっきはゴメン。アイクさんは自分で全てを背負いすぎてるよ」
「俺はただ……」
「レインさんやアイラさん、アイクさんを一番愛してくれた人が一気にいなくなって、寂しかったの?」

 だから俺は自分を独りだと思った? レインやアイラの変わりなんてどこにもいやしないって、心のどこかで思っていたから?
 ふわりと甘い香りがしたと思えば、背中に腕が回されている。

「もっと自分を愛してあげて。もしうちがレインさんだったら、そう思う。自分の好きな人が自分を嫌いだなんて、悲しすぎるよ」
「……エリカさん」

 彼女の背中に恐る恐る腕を回し、レインと同じ情報をした固体ではなく「エリカさん」を抱いて。その抱擁が解かれ、無意識に広げた手の中には、何色かはわからないけど確かに「色」がある。

「おい、アイク……」
「ユーリ……」
「アイク、スカイブルーだ。スカイブルーだぞ!」
「綺麗な色……これが、この世界を埋める希望の色なんだね」

 出そうとして出した色じゃない。それなのに、色が出たことに対して自分以上に喜んでいるユーリ。特に、ユーリが他人のことでこんなに喜びの感情を露わにするだなんて。俺にはそれが信じられなかった。そんなユーリ、見たことなかったから。

「アイクさん、多分「理解者」はすぐ近くにいるんじゃないかな」
「な、何を見ている。オレはただ医師としての仕事をだな」
「ナニ言ってんのユーリさん、顔真っ赤にしながら言っても説得力ないんですけど!」
「ホントだめっちゃ真っ赤」
「夕焼けが差し込んでそう見えているだけだろう!」
「って言うか、この部屋窓ないんですけど」
「アイク、お前色が認識出来るのか?」
「いや、わかんない。でも、お前のその様子見てりゃ赤面してるってことぐらいわかるって。それに、赤の情報は残ってるし」

 すっかり気持ちが晴れたと言えば嘘になる。ただ少なくとも俺は、少しずつ取り戻して、少しずつ受け入れられてるんだ。


(2011/04/04)
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