「ん……」

 薄っすらと開いていく目は、やっぱりオレの知るそれじゃない。紛れもない「表」の人間。間違っても、天使や悪魔なんかじゃない。その様子を瞬きひとつせずに見詰めていたアイクの心中は、表情のように穏やかでは無いだろう。

「気が付いたか?」
「……ここは?」
「まずは、説明から入るか?」

 この女に「表」と「裏」、2つのセカイの概念について説明していて思ったのは、「表」の人間の割に柔軟な考えをしているなということ。少なくとも、頭でっかちになりがちなオレやルイなんかよりはよっぽど柔軟だ。もちろん、ケイティなんかとは比べ物にならない。
 「表」の人間は「裏」の存在は知らない。「裏」の連中、と言うか修復班の連中なんかはたまに「表」を覗き見していたようだが、そういうヤツもごく稀。2つのセカイの存在を知った上で、天使や悪魔、この「裏」世界に起きていることの諸々を、理解されないということを前提に話していく。

「つまりうちは今、これまでいた方の世界じゃない方の、もうひとつのセカイに来ちゃってる、と」
「そういうことだ。で、お前に用事があるのはオレじゃない」

 アイクの方に視線をやると、女の目線もアイクに向く。そして驚いた表情をしたが当然だろう。アイクにとってこの女は死んだ恋人と瓜二つかもしれん。だが、この女にとってアイクは今現在自分が生きている「表」世界にいる恋人と瓜二つなのだから。

「スゴイ……本当に同じ情報を持った個体、ってヤツなんだね。本当にソックリ」
「……声も、同じだ。あ、俺はアイク。そっちは? あ、名前」
「エリカ」

 2人からは少し距離をとって飲むミルクティー。だが、完全に2人きりにさせるワケにはいかない。事情が事情だけに監視は必要だ。

「色か……ねえアイクさん、色を作れるんだよね? 何か作ることって出来る?」
「いや、今は出来ないんだ」
「どうして?」
「わかんない。こないだまでは見えてたはずの他の色もわかんなくなって――…モノクロと赤以外わかんなくなっちまった」
「アイクさんの作る色って、心に左右されるんだよね?」
「うん、そうみたい」
「じゃ、今は落ちちゃってるアイクさんに感謝だなー」
「え?」
「だって考えてみてよ。「表」にいたんじゃこんな、スカイブルーと灰色が人工的に斑になってる空なんて絶対に見られないんだよ。物事の表面だけじゃ見えない部分をうちは今、見せてもらってる」

 ふっ、いかにも「レイン」の言いそうなことだな。
 さすが、レインと同じ情報を持ってるだけのことはあるな。

「きっと、うちが「表」で見てる空の色はアイクさんが見せてくれてる色なんだよね」
「俺1人じゃ何も出来ないよ。たとえ個々の能力が高くったってどうにもならないこともある。たまにすっごい逃げたくなるときもあるけど、戦ってるのは俺1人じゃないから逃げられないし」
「ねえアイクさん」
「ん?」
「たまには弱音吐いたっていいじゃん。嬉しいコトも、悲しいコトも、どんなことだって分かち合える人がいると思うよ」
「でも、俺にはもう――」
「アイクさんってば視野が狭い! あ、片目見えないんだっけ。でもそういう物理的な話じゃなくて気持ちの話!」
「何でそんなわかりきったみたいに、」

 マズイ、

「アンタにはまだダチだって、恋人だっているんだろ? でも俺にはもう誰もいないんだ。いいよな、「表」のヤツは気楽で。自分のことだけに一生懸命になってればいい。だけどこっちはそればっかじゃねぇんだよ!」
「やめろアイク!」

 アイクを制止しながら気にかけるのは空の色。鉛色だった部分がそれを通り越してさらに明度を失っていく。ただ、さらにまくし立てるアイクの言葉にも女が動揺する気配は見られないのが逆に不気味だった。

「は? うちらがお気楽? ふっざけんなっていう話! そりゃうちらはアンタらみたく世界守ってるワケでもなきゃ外からの脅威に怯えてるワケでもないよ。だけどうちらは少なくとも、自分のことだけに一生懸命なワケじゃない」
「バカ言ってんな、所詮ヒトなんてみんな自分が一番なんだろ? 何か都合の悪いことが起きれば真っ先に誰かをターゲットにして責め立てる、そうやって自分を守らなきゃ生きて行けないクセに!」

 大粒の涙を零しながら言うアイクの脳裏にあるのはどの映像なのか。事故のときのことなのか、自分が偏見の目で見られていたときのことなのか。それとも、アイラの裁判のときのことなのか。いずれにせよ、今のアイクを悲しく辛い記憶が支配しているのは確かだった。そんなことは空の色を見なくてもわかる。

「アンタに何があったかなんて知らない。だけどそれが他の人を責める理由になるなんて思わないでよ! 大体、誰もいないなんてウソばっか言ってんなって話! アンタを心配してる人たちを無視して、それを見ようともしないで自分の殻に閉じこもってるじゃん。うちから言わせりゃアンタは自分にも他人にも一生懸命じゃない。生きることを諦めてるじゃん!」

 そして女が手にしたのは機器脇にあった注射器。

「それなら、うちの目を潰してこの腕削ぎ落としてよ。うちはそれでも生きて見せる。理解者がいないって言うんなら、同じ苦しみを「表」の自分に味わわせるくらいすれば? 出来ないんならうちが自分で――」
「バカやめろ!」

 針が、右目を捕えようとしたときだった。女の目を捉える寸前でそれはアイクの右腕に止められていた。

「どうして止めたの?」
「エリカさん、アンタには帰る場所があるだろ?」
「――「理解者」は?」
「理解者なんて要らない」
「キレイゴトだね」
「俺もそう思う」


(2010/03/09)
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