『今回の件に関して、アイクに対しての治療方針を聞いてくれないか?』
「ああ」
心の状態が色に大きく作用する特殊な調合師であるアイク。そのアイクがレインの「表」の個体がこっちに来ているという事実を知って受けたショックにより、ここ最近彩色された空の色は鮮やかなスカイブルーから一気に鉛色へと変貌を遂げた。
心を閉ざしてしまったアイクに対する治療方針として打ち出すユーリの考えは、何となくわからないでもない。恐らく俺がユーリでもそうするだろうなといった内容が飛んできそうな予感はする。
『場合によっては、ショック療法も辞さない考えを持っている』
「ショック療法って」
『目を交換して以来、レインに対する罪悪感がアイツをここまで苦しめてるのは明白だ。どうせ記憶を消すなら、アイク復活に利用しない手はなかろう』
ユーリは恐らくレインと同じ情報を持ったあの「表」の女を利用する気なのだろう。「レイン」として一芝居打たせるのか、それとも「表」の個体としてアイクと接触させるのか。その辺の考えまではわからないが、ユーリがいつになく本気なのはわかる。
『修復班の班長のお前に聞きたい』
「ああ」
『ハイリスクハイリターンを狙ってもいいか?』
「表」が「表」なら「裏」も「裏」でギャンブラー気質だな。ただ、ユーリの声からは不安のようなものは滲んではいない。自信と、使命感。ああ、俺もわかってるさ。俺やナユ、ケイティだろうが誰だろうが今のアイクを救うことは出来ないって。今のアイクをどうにか出来るのはユーリだけなんだ。
「ああ、お前に全部ベットしてやるよ」
『このオレ様がその命を担う以上、配当は低いけどな』
「損はさせるなよ」
『愚問だな』
ああ、そうだな。今のアイクをどうにか出来るのは……ユーリか、アイラだけだ。
『BJ』
「あ?」
『間違っても、禁忌を冒してまで彩色するなよ。縫合まで出来れば持ち堪えられるんだ』
「わーってるよ、俺だって――」
『わかっていると口では言いながら、前科者はその罪を繰り返すものだからな』
「つーかお前がアイクをさっさと復活させてくれりゃ、俺だってンな無茶はしねぇよ」
『ほう?』
「それこさお前風に言やハイリスクローリターンな彩色法なんだ」
ったく、どいつもこいつも禁忌キンキ言いやがって。そんなに俺の動向が怪しいなら首に縄結んで縛り付けとけっつーの。
「とりあえず、アイクについてはまかせた。T2はこれからそっちに向かわせる」
『修復班は暫く1人になるが、大丈夫か?』
「ああ、俺の心配は無用だ。それより、マーノのサポートを強化してやってくれ。ルイなら出来るだろ」
『そうだな』
「――…っ!」
ユーリとの通信に集中してて気付くのが遅れた。この不穏な空気は空の色の所為だけじゃない。
『どうしたBJ』
「来やがったぜ、黒幕サマがよ」
「やあBJ、久し振りだな」
黒い髪に、赤い目。数年前に姿を消して以来初めて見たアイラの姿は、俺の知るそれとは違う。俺の知るアイラは銀髪で青い目をしていた。そして、奴がはめている手袋には「影」に刻まれていたあの紋章が同じように刻まれている。
「アイラ…!」
「睨まなくたっていいだろう? それとも、堕天がそんなに憎いか?」
「何故堕天になった? 何故2つの次元間に穴を開ける?」
「2つの次元間に穴が開けば、こっちの世界じゃ天使と悪魔のパワーバランスが崩れるんだってな? それに影響されない存在が堕天だと気付いたとき俺は悟ったよ。2つの世界が融合する際のエネルギーを利用すれば、俺が5年前にやっていた研究なんて目じゃないってね…! なあ、そうだろユーリ!」
「2つの世界を融合させて、お前は自分の思う世界を作り上げようとしてるのか」
「ああ、それもいいな。創造主か、悪くない響きだ」
少し話しただけでもわかる。少なくとも、コイツが持つ思想は尋常じゃなく歪んでる。コイツにはもはや「表」だって「裏」だってどうでもよくて、「セカイ」は知的探究心と好奇心に任せた新エネルギーの開発という名目の遊び、それを繰り広げる場所に過ぎないんだ。
「BJ、お前の読みは当たってるよ」
「どういうことだ」
「言っただろ? 姿を消した天使や悪魔が俺についてなきゃいいなって」
「まさか……」
「何人かは既に俺の味方だ」
懐に隠し持ったナイフに手をかけ、いつでも構えられるように。
「俺を刺してもいいけど、そのときは「目」と引き替えだな」
目を疑った。アイラの視線の先には黒く渦巻く澱んだ空気と、その中で捕らわれているマーノ。悪魔の活動能力が下がる時間帯にやられたか!? 何やってんだナユ、あれだけ忠告しただろ!
「何も、見えることだけが全てじゃないだろ? さ、失明までのカウントダウンだ」
目の前で次元が裂けていくのは初めて目の当たりにする。そしてそこから漏れてくる悪意に満ちたモノ。はっきりとは見えないけど、何となく感じる。きっとコイツが普段ナユたちが相手にしてる「影」というヤツで、5年前にはそこたらじゅうの空を埋め尽くしていたヤツだ。
「探索班基準で言えば「クロ5」か。なあBJ」
「あ?」
「自分の強い苦悩や劣等感。無力な自分に対する嫌悪感、絶望、後悔。そんな物が混ざり合った「影」を真正面から受けて正気でいられるヤツなんているかな?」
「……。」
「これを受ければしばらくは意識すら取り戻せないかもな。混濁した苦悩の渦で苦しみ続けるんだ」
「やめろアイラ…!」
「行け、標的は探索師・マーノだ」
天使だったときのアイラの能力、それは「調教」――「影」を意のままに操る能力だ。その能力を持っているからこそ、ここ最近の「影」には悪意が満ちて、俺たちを意図的に攻撃してきていた。
「それじゃあ、また会う日まで」
「待てアイラ!」
そう言い残してアイラが消え、「影」はマーノ目掛けて一直線だ。だけど今の俺は「影」を見つけたところでどうしようもない非戦闘員の天使だ。しかも、ナユが来たところで「影」を正確に捉えられるのはマーノのみ。だけど今はそのマーノが使えない。
「ちっ……まさかこんなに早く俺が探索することになるとはな!」
(2010/09/09)