「ユーリ…?」
「少しは落ち着いたか?」

 最後に光をこの目に入れて、どれほどの時間が経っただろう。気が付けば、ここは研究チームのいるモノクロの研究施設だ。そうだ、事調委の会議前に暇潰しをしようと思ってここに来たら――

「あ……うわああああっ!」
「落ち着けアイク!」

 どこかへ行けっ! 嫌だ、嫌だ、嫌だッ!
 手が赤い…これはきっと血だ、俺は誰かを殺した? レイン? そうだ、レインは?

「ユーリ、レインは!」
「アイク、レインは5年前の事故で死んだ。それはお前もわかっているはずだ」
「ウソだ、きっとどこかで待ちぼうけになってるんだ、迎えに行かなきゃ――…いてっ」

 ぶつけた左の膝に目をやれば、机の角。角でぶつければさすがに痛い。

「その左目が見えていないことが何よりの証拠だろう? アイク、頼むからここに居てくれ」
「うああああっ!」
「アイク!」
「ああああっ! 離せ、離せぇっ!」

 怖い、怖い…!
 痛い? 痛くない、でも赤い。じゃあ、きっと痛い。

「アイク、吸って」
「はぁっ…はぁっ…いあああ……」
「――吐いて」
「はっ…ぁっ…はっ、はっ……」
「ゆっくり、もう一回。……吸って」
「すぅーっ……」
「吐いて」
「はぁー……」

 深呼吸のペースをユーリと合わせていると、さすがにこの荒い呼吸と胸の苦しさは少し落ち着いてくる。それでも俺の手はまだ赤い。怖い、怖いよ…誰か助けて……

「アイク、大丈夫か?」
「手、洗わせてくんないかな? 血まみれの状態じゃいられないよ」
「アイク、お前の手は血に汚れてなんかいない。まっさらだ」
「じゃあ、この赤は何なんだよ」

 こんなにも赤いのに、俺の手は血まみれじゃないだなんて。ユーリ、目がどうかしちまったんじゃないのか!?
 苦しい、苦しい――…あれっ、空ってこんなに重い灰色だったっけ? 俺はもっと綺麗な青い空の色を知っていたはずなのにな。俺の知っている空の色はどこにいっちまったんだ? 今にも雨が降りそうだ。その雨でこの手にまとわりつく血を洗い流せるかな。

「アイク」
「ナニ?」
「何でもいい、色を出してくれないか? 出来れば鮮やかな色で。そうだな、いつかここにぶちまけたスカイブルー、もう一度作ってくれないか?」

 スカイブルー、って言うからには空の青、だよな。そもそも、青い空ってどんな色だっけ? 窓の外を見ても答えは見えない。そもそも俺は色をどうやって作ってたんだろう。そもそも俺は色を作り出すヤツだった? あれ、俺って誰だ? 目の前にいるヤツがユーリだということはわかる。いや、俺はアイクだ。調合師のアイク。だけど、色の作り方だけがすっぽりと抜け落ちたみたいだ。

「ゴメンユーリ、リクエストには応えられそうにないや」
「ああ、無理を言って済まなかった。しばらくこの施設の病棟で療養するといい。精神的に疲れているようだ」
「俺が入院なんて知ったら、レインは笑うかな? それとも怒りながらお見舞いにでも来てくれるかな?」
「さあ、きっとナンダカンダで心配するんじゃないか?」

 螺旋階段を上れば、研究施設内にある病棟に辿り着く。途中、「リッカ」という名札が下がった病室の前を通過して、もう少し歩けば何もかもがしっかりと整備された俺仕様の病室が既に出来上がっている。

「何かあったら言ってくれ。あと、どんなに鈍い色でもいい、色が作れるようになったら要報告だ。オレはリッカの様子も診ないといけなくてな、お前に付きっ切りというワケにはいかん」
「他に、まだあるんでしょ?」
「お前には関係のないことだ」

 一人になった病室では特にすることもなく、重い鉛色の空を眺めるだけ。俺は調合師のアイクで、普段はどんな風に過ごしてたっけ。ああそうだ、「修復班」に属してるんだった。あと、事故調査委員会の委員長という肩書きだった。事故? 何の事故だ?
 そこまで覚えてるのにどうして肝心なところは思い出せないんだ。色が出せなきゃ俺の存在意義なんて無に等しいじゃないか。それに、レインはどこへ行った? この施設の中のどこかにいるんだろう?

「やられた…!」

 扉が開かない。ここはただの病棟ではなく閉鎖病棟だったんだ。俺は外界から完全に隔離されたんだ。ちきしょい…どうしろっつーんだよ…!

 うな垂れながらベッドに横たわると、本当にこの病室がモノクロというか、モノトーンなのがわかる。研究チームの2人の趣味なのかもしれないけど、これはさすがにやりすぎだろう。外の世界もモノトーンになっちまってる。
 いや、違う。外の世界はさすがにモノトーンにはならないだろう。空以外の部分はちゃんと鮮やかな色が広がってたはずだ。それなのにどうしてその色がわからない? 思い出せない? 

 ひょっとして、俺から色が抜け落ちちまったのか?

 まさか。ちょっと待て、調合師から色を抜いたら何が残んだよ。いや、赤はわかった。鮮やかな血の赤、俺の一番嫌いな色はわかった。ほら、こないだまではちゃんとした色をしてたはずの俺の手だって、何で無彩色になってんだよ。

「レイン……」

 左目の奥が痛い。

「レイン、レインっ!」

 どこにいる? 耳の奥に残ってんだ。レインはこの施設のどこかに安置されてるって。まさかユーリ、レインを研究材料か何かにしようとしてんじゃないだろうな。もしそうだとしたら…! 一刻も早くユーリを止めないと――

「ユーリ、開けろ! ユーリっ!」

 どれだけ叫んでも、扉を叩いても蹴っても叫びはユーリに届かない。このブレスレットがある限り、聞こえてるはずだよな? なあ、お前はレインで何がしたいんだよ……

「っ…ひくっ……ユーリぃ…お願いだから、ここから出してぇ……」

 泣いて請うても願いは聞き入れられない。もう、どうすりゃいいんだよ……自分の存在意義も価値もなくなって、そこからさらに理由すらも奪うのかよ。

「やっぱり俺は独りになるんだな、アイラ――…」


(2010/07/27)
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