「来たか、T2」
「スイマセン遅くなりました」
「いや、そんなに待ってない」

 あんなに明るかった病室とは打って変わって、今度は暗いガレージだ。同じ研究施設内というのにここまで雰囲気が違うとかなり戸惑ってしまう。俺を向かえるルイ先輩の背後には、なにやらよくわからない機材や発明品の数々。

「俺がここに呼ばれたのは、レインさんの件ですか?」
「正確には、「表」の個体に関する件だな」
「大丈夫です、まだ誰にも話してません。もちろん、アイク先輩には」

 こないだ、いきなり結界を突き破って「表」から降ってきた女の子が、「裏」ではアイク先輩の恋人のレインさんだったなんて。その辺の事情はまだ詳しく聞いてないけど、「事調委にこのことは言うな」という研究チームからの指示に現在は従っている状態だ。
 俺たちがしているブレスレットはルイさんが開発したものだ。これは俺たちにとってもいい道具だけど、ルイさんがこのブレスレットにハッキングをかければいつ誰がどんな風に動いているのかが瞬時にわかってしまうんだ。俺たちは常に監視されているのだとマーノ先輩から聞かされたときはさすがに少しショックだった。

「と言うか、警戒を解いてくれないか? 信頼しろと言える立場じゃないのはわかってるけど」

 先述の予備知識があるとやっぱり身構えるし、表情も強張る。だけどそれもルイ先輩にはわかられてしまうみたいだ。

「大丈夫だ、俺はブレスレットへのハッキングなんてよほどの緊急性がない限り行わない」
「それだけレインさんの件は緊急性が高かったんですね」
「ああ、T2が現場にいたと聞いてな。お前は同じ修復班だし、アイクにこの話が伝わる可能性も高いと思って。そうだ、その後アイクはどうだ?」
「アイク先輩はまだこのことを知らないみたいで、普段と何ら変わりません。今日もいい空の色でした」
「そうか、それならいい」

 アイク先輩が普段通りだと聞いた瞬間ルイ先輩が浮かべた表情の柔らかさに、少しは警戒を解いてもいいのかなと思った。普段からアイク先輩は、「研究チームの2人はそれぞれの種族じゃ変わり者扱いされてるみたいだけど、根はいい奴らだ」って言ってるし。
 でもそれは、アイク先輩の人柄だからこそこの2人もここまで心配してくれてるんじゃないかな、と思ったりして。一緒に仕事をしていて、俺がアイク先輩に憧れるようになっていたのは言うまでもない。

「それと、もうひとつ」
「他にも何かあるんですか?」
「願っただろ? 「強くなりたい」って」

 そう言って差し出されたのは針だ。確かに強くなりたいとは思ったけど、今まで縫合に使ってるのと何ら変わりがないようにも見える。この針で、一体何が今までと変わってくるんだろう。

「最近、穴が開く頻度が高くなってるのは、縫合をしていてわかるな?」
「はい。穴も大きくなってるような気がします」
「最悪、探索班の処理速度が追いつかなくなることも十分に予測できる。こないだみたいな事態に陥ったとき、お前は自分を守る力を持っていないだろう? 結果、リッカがダメージを負って穴を塞ぐ速度が落ちてるのが現状だ」
「……はい」

 そうだ、俺は自分の身さえ守ることが出来ないんだ。だからいつも俺じゃない、別の誰かが傷付いてしまう。厳しいし悔しいけど、それが現実なんだ。俺は単に結界と次元の壁を縫い合わせることしか出来ない非戦闘員。

「そこで、だ。これは縫合用縫い針じゃない」
「え?」
「「影」を止める待ち針だと思えばいい。そもそもお前の「縫合」の能力は言わば「影」の固定化だ。ただし、現状では固定化して定着させられるのは無力化された「影」に限る。だが、この待ち針は無力化される前の「影」を固定化することができる」
「なるほど…!」
「その気になれば急所を狙って刺せるようになるかもな。防御は最大の攻撃って言うだろ?」
「そんなの初めて聞きましたよ…!」

 でも、これがあれば少なくとも自分の身は自分で守ることが出来るようになるかもしれない。そうすれば、こないだみたいな状況に陥ったとき、俺も「影」と戦うことが出来る。戦うまではいかなくても、戦う人をサポートすることはできる。

「ただし、「影」を直接穴に縫合して修復、というワケにはいかないからな。あくまで、穴の修復には「影」の無力化からの一連の作業が必要だ。でも、「影」を見つけたらどっか適当なトコに磔にしとけばナユが無力化してくれるだろ」
「磔、ですか」
「でも、生きる「影」に対処するのは修復班の仕事じゃないし、ついで程度に覚えとけばいいだろう。「影」の姿を正確に捉えることが出来るのはマーノだけだし。今のお前に出来るのは、リッカの1日も早い職場復帰を願うことだな」
「はい、それはもちろん」

 新しい針をブレスレットにしまいこみ、もう一度細心の注意を払うべきことが繰り返される。「レインさんの件はアイク先輩には言わない」ということ。噂をすれば、光るブレスレットが示すのはアイク先輩からの通信。

「はいT2です」
『俺だけどー、そっちどんな感じー? リッカのお見舞いに行ってたんだよな?』
「あ、アイク先輩…! お疲れさまです」

 通信の相手がアイク先輩だとわかった瞬間、ルイ先輩の顔色が変わった。

「はい、リッカ先輩は元気そうでした。今はルイ先輩から新しい針の使い方をレクチャーしてもらってたトコで」
『あ、マジで? そうだ、ルイがいるならさ、今日の夜の議会までそっちで暇潰ししてていいか聞いてくんないかな?』
「――だそうですけど、ルイ先輩」
「好きにしろ」
『じゃあすぐ行くわ!』

 こうして切れた回線。ルイ先輩は続けざまにユーリ先輩に回線を繋ぎ、この件を伝える。

「ユーリ!」
『ああ、わかってる。レインはわからないところに安置して――』

 鳴ったインターホンと同時に開いたガレージの扉。まさか――…

「ルイ、レイン…って」
「アイク、先輩……」

 アイク先輩の目から生気が消えたのが俺の目から見てもわかった。呆然と立ち尽していた先輩が膝から崩れ落ち、次の瞬間には、悲鳴のような声が響いた。そして、空の色が所々鉛色に変わる。
 俺は何が起こったのかわからないまま、迫り来る夜の訪れを待つしか出来ないでいた。


(2010/07/01)
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