「ユーリさん! いらっしゃいますか!?」
「どうした、騒々しい」

 研究施設の扉を開けたユーリさんは、俺の姿を見た瞬間目の色を変えた。
 抱きかかえるのは、ひとりの女の子。今日の作業中に、恐らく次元の穴に迷い込んだと見られる表世界からの迷い人。

 研究チームの提唱している仮説は、「このまま2つの世界の間に穴が開き続けると、次第にどちらの世界も混沌の渦に飲み込まれる。同じ世界に人としての同じ個体が2つあることは、どちらの存在も消滅する」というもの。
 そしてこの仮説に最近、「「世界」もひとつの生命体と考えるべきであり、穴が開き続けるとやがて2つの世界が激しく歪んでぶつかり合い、どちらの世界も消滅する」ということが追加された。
 ここのところ、本来いるべき世界ではない場所に迷い込む人が増えた。この子のように「表」から「裏」に来てしまう人もいれば、「裏」から「表」に行ってしまうことも。もしそこで、「自分」と重なる存在がいたら――

「ユーリさん、個体情報分解をお願いします」

 ――というワケで、「表」からの迷い人に関しては、「裏」での消滅を防いで無事「表」に帰すために一時的に生命維持措置とも言うべきか、その「人」としての情報を分解して「裏」独自の物に変換することになっている。これが3年前にユーリさんの開発した「個体情報分解」と呼ばれる技術だ。簡単に言えば、一時的に別の名前を与える感じ。

「いや、この女に関しては個体情報分解の必要は無い」
「えっ」
「しかしお前も、まためんどくさいのを拾ってきたな。ちなみに、このことを知ってるのは?」
「現場にいたのは俺とT2です」
「T2か、マズいな。ルイ!」

 ユーリさんに呼ばれ、ルイさんが自室のガレージからこちらの部屋にディスプレイを映し出す。

『全員のブレスレットにハッキングをかけたが、事象発生時刻から現在にかけてT2との交信、会話履歴はない。その他も、この件に関してはまだ誰も気付いていないようだ』
「わかった。この件については口外するなと伝えろ。事調委にバレる前にコトを済ますぞ」
『了解。相変わらず人遣いが粗いことで』

 「表」からの迷い人が何人いて、とか、どこにどんな穴が開いてどんな「影」が漏れてきて…といったようなことは基本的に事調委がデータを取りまとめていて、そのデータに基いて活動計画が立てられる。それなのに、この子の存在をここで止めておく意味。

「あの、どういうことでしょうか? わからないことばかりです」
「何から聞きたい?」
「この子の個体情報分解の必要がない理由からです」

 聞けば、すんなりと教えてくれるのだろうか? 事調委では、恐らく議長よりも多くの情報を持っているのがこの研究チームだ。研究チームから事調委に、そして事調委から俺たちにもたらされる情報。どうせなら、採れたての情報を聞きたい。

「仮にお前も技術屋なら簡単な条件分岐だろう。もし、目の前にある個体のデータが今現在「裏」に存在しなければ、「個体」としては重複しない」
「あ、「表」と「裏」のデータが重複すれば消滅、ということですから…この子のデータが「裏」になければ個体情報分解の必要性はない、と」

 つまりユーリさんは、この子と同じデータを持つ人を「裏世界」で見つけることが出来なかったということ。

「そういうことだ。これがどういうことだか…わかるだろ?」
「「裏」ではまだ生まれていない、もしくは亡くなられた方ですね」
「だが、「まだ生まれていない」ということは基本的にあり得ない。それが並行世界という性質だ。片方が何らかの原因で死ぬことはあっても、生まれるのは基本的に同時だ」
「それでは、この子は「裏」では既に亡くなられているのですね」

 それで個体情報分解の必要がない、と。ただ、他にも解せぬポイントはたくさんある。例えば、この子の存在を事調委に伝えない理由だったり、この子が迷い込んできたのは「開いている穴」からではなく、「結界を破って」だったこととか。それに、ユーリさんは何も調べもせずに裏のこの子が死んでると断定したじゃないか。

「結界を破ってこられたのは、結界が弱かったのと縫合作業中だったという原因が考えられるな」
「それでも、普通の方は大抵「穴」からじゃないですか」
「それはこの女が「普通」ではないということだろう」
「それと、このことを事調委に報告しないこととの関係があるんですね?」

 真実を知りたい俺と、それをなるべく濁しておきたいユーリさん。無言のまま真っ直ぐに睨み合って、溜め息と同時に放たれた言葉は「オレの負けだ」と。

「この女のことをちゃんと語るには、まとまった時間が必要だ。だから今は少ししか語れないが、それでもいいか?」
「通います、何度でも。本当のことを知りたいです」

 多分、生半可な気持ちで聞いちゃいけないことなんだろうと思う。だからこそ、しっかりと彼の目を見据えて。

「だが、お前は今勤務中であることを忘れていないか?」
「あっ」

 すると、冷蔵庫から出てきた飲み物。今回の話だけでも少し長くなるから、と出された飲み物。そして、ルイさんにはこの空間に外部干渉がかからないようにしろと指示を飛ばして。

「安心しろ、ナユにはこっちから話をつけておく。「分析眼がイカレて救急で駆け込んできた」ということにでもしておけば、まず疑われまい」
「申し訳ございません」
「それじゃあ、話を始めるか」


(2010/06/15)
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