「アーサー、いるー?」
「そろそろ来る頃だと思ってたべ。あ、どっかその辺で待っといて」

 相変わらずチリひとつ落ちていない部屋。机の上も、床の上も。神経質な彼の性格が現れている。

「あ、何か飲むか?」
「お構いなく。糸だけもらったらすぐ帰るから。まだ一応勤務時間だしね」
「お前もやっとそういう心持ちになったか」

 相変わらずキマジメな彼の名は、アーサー。俺の「縫合」の仕事に欠かせない「糸」を紡いでくれる人だ。同じ天使の仲間でもある。縫合に使う糸のストックがなくなる頃、こうして俺は彼のいる機織小屋に足を運ぶ。如何せん針仕事だけに、糸がないと話にならない。

「テックス、コーヒーでよかったか?」
「そんな、よかったのに」
「まだ少し準備あるから、待ってろ」
「あ、そう」

 そうやって出てきたコーヒーは、いつか俺がドリップじゃなきゃ嫌だとワガママを言った結果。ナンダカンダ言ってもこうやって俺のワガママを聞いてくれる辺り、アーサーは優しいと思う。

「夜だったら酒の一杯や二杯でも飲みたかったんだけど、まだ夕方にもなってないっていう」
「あはは、今から飲んでたらBJ先輩に怒られちゃうよ」
「あの人のことだから、お前らばっか飲んでないで俺にも飲ませろ、ってか?」
「あはは、その可能性もあるかも」

 コーヒーを飲みながら冗談を話していると、光るブレスレット。これは誰かからの信号を受信してる光り方。誰かと思えばちょうど話題になってたBJ先輩。これが所謂「噂をすればナントヤラ」というヤツだろうか。

「はいT2です。お疲れさまです」
『あ、俺だけど。今日の夜空いてっか?』
「え、今日の夜ですか? はい、俺は全然」
『今日仕事早く終わりそうだしよ、久し振りに飲まねぇか? アイクも乗り気だし』
「ああ、いいですね。こっちもそんな話をしてたところなんですよ」
『ああ、そういやアーサーんトコにいるんだったな。それなら夜、アーサーも連れて来いよ。じゃあな』

 そして一方的に切られた交信は相変わらずの強引さだ。だけど、これぐらい意志が強くないと班長は出来ないのかなとは思う。そういうのは、俺には無い部分だから少し憧れる。

「アーサー」
「んー?」
「今日の夜、修復班で飲むっぽいんだけど、BJ先輩がアーサーも連れて来いって。来る?」
「どーせ行かなきゃウルサイだろあの人」

 とか何とか言ってアーサーはツレない顔をするけど、どうやらこの表情を見る限り本当は誘ってもらえて嬉しいようだ。よかったよかった。

「そうだテックス、本題忘れるトコだったべ」
「そうそう、糸だよ糸」

 テックス。正しくは、テックス・T・ニドリー。ミドルネームのTはスレッド。だからもっとちゃんと書くとテックス・スレッド・ニドリー、それが俺の本名で、T2というのはアイク先輩がつけてくれたコードネームだ。
 ただ、本名と言っても俺はその名前で呼ばれたこともないし、仮に呼ばれたことがあったとしても記憶には残っていない。少なくとも、俺の持ちうる記憶の中で、俺のことを「テックス」またはそれに準ずる名前で呼んだのは後にも先にもこのアーサーだけだ。
 何年前のことだっただろうか、この機織小屋の近くで倒れていた俺を介抱してくれたのがこのアーサーで、以来、俺に与えられた能力が「縫合」ということもあってずっとお世話になってきた。

「3セットでよかったか?」
「あ、うん。これだけあればまたしばらくは大丈夫そう」
「じゃあ、お代を」
「領収書もらえる?」

 お前とはダチとは言えこれはれっきとした商売だからな、と毎回のようにお勘定を済ませる。領収証は事調委の名前でもらってくるのが決まり。アーサーにもらった糸のスペアをブレスレットにしまいこんで、ソファから立ち上がれば、俺が座っていたところに見つけた小さな穴。

「あれ。アーサー、ソファに穴空いてるよー?」
「ウソだろ!? ――って、マジで空いてやがる。いつ空いたんだー? まあ、これくらいならすぐ直せるだろ。幸いここは機織小屋だし、これに合う生地だってすぐ作れる」
「それなら俺、縫おうか?」

 ダテにテックス・スレッド・ニドリーなんて名前じゃない。縫合の能力を持つのにこれ以上ないほどの名前だ。

「いてっ。アーサー、絆創膏あるー?」
「ったく、ムチャして慣れないことすっからだべ」
「俺、細かい作業は得意なんだけどなぁ」
「つーか、仕事としての「縫合」と「裁縫」はまた別なんじゃね?」

 そう言いながら、俺がさらに酷くした穴を器用に直していくアーサーは、「針とは相性が悪いんじゃね? 如何せん「T2」だけに」とバッサリ。「T2」というコードネームからは「針」に由来する「ニドリー」の部分が抜けているから、そう言われればそんなような気もしないでもないけど、きっと病は気からっていうのと似てるんだろう。

「よしっ、これでソファは直ったべ」
「ゴメンアーサー、穴大きくして」
「お前は表と裏の穴塞いでりゃいいんだっていう」

 さ、久々に飲むぞー、と小屋から出れば、スカイブルーの空に薄っすら混ざる透明なオレンジ。もう夕方? しまった、思いがけず長居しちゃったかもしれない。

「T2です。お疲れさまです」
『おう、どうした?』
「スイマセン、今から戻ります」
『あー、もうちょっとゆっくりしとけって』
「――でも」
『上だ、上』

 BJ先輩に言われて上を見れば、今まさに先輩たちが彩る空の色。真っ白な生地の上に重なる繊細な色は、夕方から夜へ向かう。色を調合し終えたらしいアイク先輩が、こっちに向かってひらひら手を振っている。

『つーかお前仕事速すぎだ。こっちがおっつかねぇよ』
「スイマセン」
『バーカ、褒めてんだ。お前は手先器用だしな』

 ふと見つめるのは、絆創膏を貼った左手の人差し指。まさか裁縫をしていて針を指に刺したなんて言えない。
 本当の名前に合わせたかのような能力を身に付けて。だけど俺にはその本当の名前の頃の記憶はなくて。どこか他人のようなこの名前に対して自分のことのように誇りを持てるのは、今の自分に居場所があるから。だからこそ俺は、針を手放さない。

「っつーワケで、宴までもうしばしご歓談を」


(2010/06/02)
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