翌日、守川さんはそれまでの「いつも通り」に俺の隣の席にいた。作業の合間合間にチョコを食べてるところとか、課長からはわからないように少し居眠りをしているところとか、何ら変わったことがあったようには見えない作業っぷり。
 この違和感のなさが逆に違和感で。でも、俺たちが思っているより深刻な話ではないのかもしれない、と守川さんを見ていると思ってしまう。それくらいには「いつも通り」の守川さんだったから。

「生野君、食べる?」
「あ、いただきます」

 そろそろ生チョコの季節も終わってきたよね、と残念がる守川さんに例のことを聞こうか聞くまいか。いずれにしても来週の頭には仕事だって前原さんに引き継がれてしまうかもしれないんだから聞く権利くらいはある、と思う。
 まあ、今聞くことじゃないか。そうやってずるずる引き摺って、気がつけば定時はとっくに過ぎていたし、同じ作業室の人が続々と帰って行く姿を見送って。

「あの、守川さん」
「どうしたの生野君」
「異動になるって話、ホントですか」
「随分とストレートだな……」

 別に隠してたワケじゃないけどね、と守川さんは笑う。大方の予想通り、まだ確定事項ではないために口止めされていたようだ。

「いつどうなるかわからない話なんだよ。だから一応前原君に引継ぎファイル送ったけど、来週の頭からきっちり俺がいなくなるってワケでもない。最短で来週の頭、ヘタすればなくなるかもしれないっていう不確定要素。だから、こっちで仕事を進めたら進めただけ前原君には引継ぎファイルを送らなくちゃいけない。これもまた面倒な仕事だよ」
「もし、東都に異動になったら、どうするんですか」
「まあ、この会社だから「3日後に飛んで」とかザラじゃん。覚悟はしてるよ。住むところには困らないし、生活用品だってある程度は揃ってるらしい。もし俺が東都に行くなら期間は3ヶ月くらいだっていう話だし」
「そうやって3ヶ月が半年になって、半年が1年になった人がたくさんいることぐらい、守川さんだって知ってますよね」
「しょうがないじゃない」
「えっ」
「仕事だし。誰が異動になろうが、辞めようが、こういうのは縁だって思う。いちいち大騒ぎすることでもないよ。それに、生野君だっていつどこに飛ばされるかわかんないんだよ。俺の心配より、自分の心配をすべきだと思うよ」

 今この状況で、誰がどうなろうとその場の縁でしかないと言う守川さんの笑顔が少し怖かった。とても口には出せないけれど、きっと守川さんのことだから俺の表情でそれを感知したに違いない。
 そうだ、元々俺だって守川さんとはそんなに仲がいい方ではなかったし、そもそも話すようになったのはこのプロジェクトに配置されてからのこと。そんなに互いを知っている間柄でもない。それこそ、単に「同じ1部1課に配属された同期」という間柄でしかない。

「生野君、最近好調みたいじゃん。噂には聞くよ」
「はい、実際ちょっと調子はよかったです」
「そうやって、普段の言動を誰がどこでどうやって見てるかわからない。そういうのの積み重ねだよ、異動なんて。まあ、俺が今回飛ばされる候補に挙がるに至った理由までは教えてくれなかったけどね、課長は」

 その日は、それ以上その話題に触れることはなかった。
 その次の日も、そして、守川さんの仕事が前原さんに引き継がれる予定の週が来ても、何かが動き始める様子は見られなかった。そこにあったのは、あまりにも平穏すぎる日常。

「辻さんおはよー」
「守川さんおはようございますっ!」
「相変わらず生野君は無視なんだね」

 辻さんも、表面上はあんな噂があったことを忘れているかのようなミーハーっぷりを見せているし、前原さんも至っていつも通り。ただ、何かを握っているとするならこの人なんだと思う。

「あの、守川さんっ」
「ん、どうかした?」
「昨日、休みだったんでチョコ作ったんですよ。それで、もしよかったら守川さんにも食べて欲しいなって」
「辻さん、噂には聞いてるよ。バレンタインの話は」
「だーいーじょーぶですっ、今回は!」
「え、辻さん俺には?」
「しょーがないからアンタにも食べさせたげる。アンタは守川さんのついでだから!」

 恐る恐るチョコに刺さる爪楊枝を手にした俺たち。見た目は普通のチョコだけど。そしてチラリと前原さんを窺うと、一瞬目が合い、そして彼はただ頷いた。

「いただきますっ! ――…ん、」
「うん、美味しいんじゃない? ごちそうさま」
「やったぁ!」
「辻さん、守川さんにそう言わせるってどんな媚薬使ったの」
「ウルサイ生野」

 いつぞやのバクダンよりもかなり上達して美味しくなってる辻さんのチョコにも、時間の経過を感じて。やっぱり、いつまでも今のままっていうワケにはいかないっていうのはどこかで納得しなくちゃいけない部分ではあって。

「おい辻! 目的果たしたならとっとと戻って来い!」
「うっさいハゲ!」
「ンだとこの野郎、お前が実験台っつってどんだけクソ不味いチョコ俺に食わしたかわかってんのか!」
「ちょっとぉ、そこ黙っとくトコでしょぉ!?」

 どうやらその上達の影には試食人あり、と見た。そして近付く重圧、降り注ぐ声。

「おっ、辻さん美味しそうじゃない。俺も1コいい?」
「あっ、課長! そんな…!」
「あーうん、美味しい美味しい。ごちそーさま」

 どうやら今日の課長はご機嫌だと見た。辻さんは、課長にチョコをつままれたのがよっぽど衝撃だったのかガタガタ震えている。

「そうだ守川君」
「はい。」
「例の件、なくなったから。引越し準備はやめて大丈夫だよ。前原君への引継ぎもなし。TPRは今のプロジェクトが終わるまで、生野守川を固定で行くから」
「「あ、はい」」

 それまではあんなに重々しく、隠すような感じだったのに、話がなくなってしまえばこうもあっけなく開示されるものなのか。

「生野君、その草そろそろ水やりどきじゃない?」
「だって。生野君、水やらないと。課長にも言われてるよ」
「って、元は守川さんの私物でしょジョニーは!」
「はい肥料」
「……行って来ます」

 相変わらずオフィスは戦場。いつ何が起こるかわからない世界で僕たちは生きていて、だけどその中にも人々の生活がある。だけど、その「生活」の中に必要なプログラムを、システムを作るという仕事は楽しく、やりがいのある仕事で。働く街は何も望まず、誰がそこにいてもいいとは誰かが言っていたけれど、少なくとも今ここの職場で、俺にいて欲しいっていう人が出来れば、いや、そうなれれば嬉しいと思って。
 そのためには、自分ひとりだけじゃダメだってことはわかっている。上司がいて、先輩がいて、同期がいる。その中で自分がどれだけ成長出来るかっていう部分なんだと思う。時にはこの場所を離れることになるかもしれないけど、それも縁。めぐり会いなのだと納得しなければならないのは社会の掟のひとつ。いろんな考え方の人がいて然り。

「生野君!」
「はい?」
「これからもよろしく」
「……はい」

 何に対しての「よろしく」なのか。でもとりあえず、今ここで、君と過ごす時を想う。


end.

(11/05/05)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -