こうして俺が見ている分には、何らいつもと変わりのない作業室だ。課長の厳しい目はいつだってどこだって光っているし、どこどこのプロジェクトが火を吹いているとかいう話が飛ぶのだっていつものこと。
 幸い、自分のいるプロジェクトはそこまでヤバいって言うほどヤバいってワケじゃないのがせめてもの救いで、そのヤバいプロジェクトに誰が飛ばされた、誰が現地に派遣されたという話は飛び交っているけれど、今のところそういう火の粉が俺には降りかかりそうにないし、至っていつも通りの。

「守川さーん、ちょっと見てもらえますー?」
「あ、うん」

 そのように、ただそのように。

「これ、入力フォームに全角入っちゃうのアウトだと思うよ生野君」
「え、あっ」

 そうだっけ、とバタバタ自分の仕様書を見返していると、俺たちの向かいから飛ぶ先輩の声。

「こないだ仕様変わったときにそこも地味に変更になってたでしょ」
「光田さん、他に地味〜に変更になったところってありましたっけ?」
「生野君もう1回言おうか、こないだの仕様変更」
「スイマセンお願いします」

 4期上の先輩である光田さんが、変わった仕様を読み上げようとしてくれている中で飛ぶ筋肉を硬直させる声。

「光田さんストップ。えー、TPRのプロジェクトの人、また仕様変わったから」

 この課長の声にはさすがにプロジェクトメンバーがまたか、と声を上げて溜め息を。前の仕様の状態で完成したと思っても、新しい仕様に合っていなければそれは振り出しに戻ることと同じだから。
 とは言え、こんなのは実際よくあることで、前述のとにかくヤバいってプロジェクトの人なんかは仕様書が届く前に納期を迎えたとか何とかっていうハチャメチャな現場らしく、願わくは、誰もがそこには飛ばされたくないと思っている戦場。
 だから、社内で比較的安全にって言ったら怒られるな。社内で作業の出来るTPRに就けてもらえて助かっていると言うか。そもそも俺が社外に出て人間的に、技術的に通用するかって言えば答えは恐らく「否」だろう。

「守川さん、また変わったみたいですね」
「ああ、うん、そうだね。ま、言われた通りにやるだけだよ」

 言いながら、守川さんはチョコレートの包みを開く。マシンの横に高く積まれていたチョコの箱は、あたかかくなってきたからか引き出しの中に移動され、そんなことでも季節の移り変わりを感じる。

「守川君、ちょっと」
「はい」

 再びこっちに向かって飛んだ課長の声。標的が自分じゃなくてほっとしたのも束の間だった。自分は変わった仕様通りに部品を作り直すのに必死だったし、隣の空席が少し寂しいなって思ったけど、とにかくそれどころではなくなっていた。やけに話が長いな、と思ったのはその空席にセルフ休憩上がりの前原さんが座ってきたことに気付いてから。

「そっちどうよ、順調に進んでっか?」
「何回か仕様変更はありましたけど、まあ順調と言えば順調なんですかね。前原さんはどうなんですか?」
「まーこっちもぼちぼちっつー感じかな。何でか知らんけどペアプログラミングに移行してっから辻に任せるところは任せてっし」

 ペアプログラミング。ひとつの画面に向かって2人で作業をする方式だ。あ、もちろん自分でもやるトコはやってっから別にサボってるとかじゃねぇよと自己弁護をする前原さん。

「タバコ吸った後はしばらく近寄るなってよ。ひでーよな」
「まあ、そういうの、気にする人は気にしますからね」

 などと話していると、部屋の端から飛んでくる高い声。

「前原さん! いい加減帰ってきてよ!」
「あーわり、今行く」

 今日もハツラツとした辻さんの声には、作業室全体がコイツらの代はまた賑やかだな、という空気になる。そして前原さんが自分の持ち場へ戻ってしまえば俺はまたひとりになる。隣の席に元々誰がいたのか思い出せないくらいには集中していた。こんなに集中できるなんていつ振りだろうと思うくらいにはいつ振りなのか。これもジョニーの光合成効果なのかと勘繰ってしまうほどには。
 あ、ジョニー。そう言えば最近水やってないかもしれない。昼休みになったら水をやらないと。そんなことを考えながらでも作業が捗る。今日は絶好調かもしれない。波に乗っている。やっぱり俺はやれば出来る子なのかもしれない。でも出来れば外には飛ばされたくない。社内で、今までのように穏やかに作業をしていたい。

「はぁ……」

 それからさらに何十分も経った頃、ようやく隣の席の主が戻り、第一声が溜め息だったことからその話がそんなに軽い話ではなかったことを窺わせる。そうだ、守川さんだ。

「あ、そろそろ彼にも水あげなきゃね」

 そう言って守川さんが観葉植物のジョニーを片手に立ち上がってしまう。あ、俺が昼にやろうとしていたのに。まあいいや。元々ジョニーは守川さんの持ち込んだ物だったし。そもそも守川さんの持ってきた観葉植物の水やりが俺の日課になっていたっていうのもおかしな話で。本来なら世話も守川さんがやるべきで。

「水加減、失敗したかな」
「少し多めですね」
「あっちゃー、いざとなったらコイツは生野君に所有権を移さなきゃいけないかもね。って、もう親みたいなものか」
「いやいや、ジョニーはあくまで守川さんの植物ですよ」

 そう言えば仕様変わりましたよと伝えれば、「その時点ではいたよ」とあっさり返される。何て穏やかで、何ていつも通りの日常。ただそれから、俺たちの同期内で人事異動の噂が流れ始めるまでにさほど時間はかからなかった。


to be continued...


(11/05/03)
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