どうしてこんなことになっているんだ。

「生野食べんの? 麺のびるよ」
「食べるよ」

 そもそも今日は定時で仕事を片付けて家に直帰して、ここのところ足りてなかった睡眠時間を貪るように寝ようと思っていたのに。
 それがどうした。思いっきり残業だわ、3歩進んで5歩下がる状態だわ。そして夕飯を食べようにも家に財布を忘れるっていう。ショックすぎて何も頭に入ってこない。

「まあ、今日の生野君は休憩もしないでものすごく集中してたから、今反動が来るのもわかるよ」
「それなら守川さんだってそうじゃないですか」
「俺はマジメにやってるように見せかけてちょっと寝てるから」
「どうでもいいけど、せっかく守川さんがアンタなんかに気利かせてくれてるんだからさっさと食べようよ」
「それじゃあ守川さん、いただきます」

 時刻は午後9時半、守川さんに誘われてやってきたラーメン屋。ちょうど仕事を終えたらしい辻さんも一緒だ。言いだしっぺが守川さんということで、今回の食事代を出してもらうことになっている。
 それと言うのも、財布を忘れてひもじい思いをしていた俺の姿というのが見るに見かねる状態だったらしく。それで気を遣わせてしまったのは申し訳ないと思いながらも、厚意には甘えてしまうわけで。

「守川さん醤油なんですか?」
「あ、うん。ラーメンは醤油だね。あと、煮卵にはどうしても譲れないこだわりがあって――」

 守川さんが箸で煮卵を挟みながら色艶、気味のゆで具合、味の染み込みに至るまでのことを語っている。
 辻さんはそれを一応真剣に聞いているみたいだけど、どうせ昼のガールズトークというヤツで「実際そんなのどうでもいいけど」とぶった斬るのだろう。
 その話を聞き流しながら俺は自分の器に浮かんでいる煮卵をレンゲですくい、塩ラーメンのあっさりしたスープごと一気に口の中に入れた。うん、美味い。個人的に、煮卵は半熟と固ゆでの間くらいがいい。

「辻さんは味噌なんだね」
「ラーメンは絶対味噌です! 味噌じゃないとダメなんですアタシ」
「へぇ。それじゃあ、塩は?」
「ああ〜、絶対ないです。塩とか食べる人の気持ちが理解出来ませんもん」

 ちょっと待った。その言葉、聞き捨てならないぜ。
 この俺、生野貴教が泣く子も黙る(自称)塩ラーメン王と知っての言葉なのか、辻!
 ――とは思うけど、食べるのが優先。辻さんに反論すると絶対に麺がのびきるまで解放されないだろう。美味いものは美味いうちに食べてしまわないともったいない。

「俺は塩も割と好きだけどな」
「え〜? それはいくら守川さんの頼みでもアタシ、そこは譲れるかどうか」
「いや、頼んでないよ」
「やっぱり、付き合うにあたって味の好みって大事な要素だと思うんですよ。醤油なら妥協も出来ますけど塩はちょっと〜」
「――だって。反論は? 生野君」
「え、俺ですかぁ?」
「言われたままでいいの? 眉間にシワまで寄せてるのに」

 守川さんに促され、とりあえず一旦箸を置く。そして、話のわからない辻美佳子に塩ラーメンが何たるかを説くけど、例によって生野キモイだのなんだのと聞き入れられない。こうなるのはわかっていたのに。

「だから、塩にもいろいろと種類があって、鶏ベースと魚介ベースの違いが――」
「アンタはちっともわかってない! 味噌だって! 味噌はもっとバリエーション豊富だし!」
「塩だって!」
「味噌!」
「しーお!」
「みーそ!」

 そして始まる塩対味噌の大論争。白熱する口論の傍聴者である守川さんはどちらの味方というわけでもなく、むしろ煮卵との相性を基準にラーメンを語り出すんだからたまったもんじゃない。替え玉があってもよかったな、などと呟きながら。と言うかこの人、傍観者と言うよりむしろ黒幕なんじゃないかとすら思う。

「あれっ!?」
「どうした?」
「器がない」

 気が付けば、俺の食べかけだった器も店員に運ばれている。まだ3分の1くらい残ってたのに。

「せっかく食べようと思ってたのに」
「アンタがさっさと食べないからー」

 きっと、食べ終わったと判断されるくらいに器の中の麺が残念なことになっていたのだろう。やっぱ辻さんと口論してる場合じゃなかったんだ。
 何だか不完全燃焼感は残るし、奢ってくれた守川さんには申し訳ないけどこの場はとりあえず器を持っていってしまった店員を恨むことにしておこう。ああ。こんなんじゃ絶対この後お腹空いて仕事どころじゃない。

「それじゃあお疲れ様でしたー!」
「お疲れさまでーす」

 辻さんと別れ、守川さんの車の中に流れるラジオからはラーメン特集。そう言えば会社でも誰かの机の上にラーメン特集の本が置いてあったなぁ。やっぱりこの季節はラーメンだー

「そうだ、関係ないけど生野君、財布忘れたんだよね?」
「はいー、そうなんですよー。あっ、お金今度返します」
「それは別にいいんだけどさ。帰るとき、検問がなかったらいいね。ま、免許を財布に入れてるならの話だけど」
「縁起でもないこと言わないでくださいよー!」
「さ、これからもうひと頑張りだ。あ、コンビニ寄っていい? 甘い物が食べたくなってさ」

 きっと今日は日付が変わっても会社にいるんだろうと思う。何てったって今日はまるで厄日みたいに災難が降りかかるから、また一段落ついた頃に作業が湧いて出るんだろう。
 だけど、輝かしい週末のためだ。中途半端にしておくよりはすっきりと今週を終わりたい。それが終われば予定より数時間遅く家に直帰して、死んだように眠るんだ。
 会社に帰ったらまず机の上にあった誰かのラーメン本を見て、次はどこに行くかを狙おう。都合よく塩ラーメンと煮卵の相性がいい店は見つかるかな。


end.


(10/03/26)
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