正十字学園近くの某所。
とある繁華街の傍ら、視界を遮るほどの魍魎が発生している往来が見える窓ガラスに、二人の青年が映り込む。


丈の長い黒いジャケットを羽織り、それと同じ配色のカッターシャツによく映える銀と黒のトーンをしたネクタイが曲がっていないか、目の前の半透明の自分をよくよく眺めている男。
そして、往来の中でも特に目立つ銀髪と、その合間から覗く木賊色の瞳を居心地が悪そうに濁らせて、その様子をじっと見つめている、正十字学園の制服を着こなす不良の少年。


簡単に言い表すと、奇抜な黒い男と派手な銀髪の不良が立っている。

傍から見れば聊か奇妙な組み合わせだ。
加えて二人が立っているのは、昔ながらの駄菓子や子どもの玩具が並んだショーウィンドウがある老舗の駄菓子屋である。


人も人だが場所も場所だ。
二人のちぐはぐで奇抜な印象が、よりいっそう際立っていた。


無論、当の二人がそのようなことを気にするはずはないのだが。



「久しぶりだな、アスタロト」


通常より多い魍魎の群れを手で払いながら、◎は隣の少年に向かって声をかける。

アスタロトは黙ったままだ。
有り得ないほどの勢いで漂う黒い粒を横目に、ショーウィンドウに並べられたより取り見取りの駄菓子を選ぶ兄の表情を、ガラス越しに睨んでいる。


それを特に咎める気はないのか、はたまた気づいていないのか。


いくつかの駄菓子にあらかたの目星をつけた◎は、そのまま店内に歩いていった。

苦々しい表情をするアスタロトも、渋々といった風にそのあとに続く。
陽気な音をして二人を迎え入れた鈴が、彼らの頭上でかんらかんらと楽しそうに揺れた。



「随分と会っていなかったが…二十年、いや五十年ぶりか?」


間延びした声で挨拶をする店員が◎の言葉に耳を疑う。

それもそのはず。
どこからどう見ても、まだ二十歳かそこらの青年が、十五、六の高校生にかける言葉とは思えない。
店員が首を傾げるのも当然である。

◎は怪訝な顔をするその店員に向かって、あらかじめ選んでいた駄菓子を陳列されている分だけでなく在庫分も持ってくるように指示すると、アスタロトに向き合った。

ぎょっとして、慌てて商品を取りに向かう店員の困惑した様子をちらりと見たあと、アスタロトは肩を竦めて口を開く。



「さあ……覚えていません」

「そうか。そういえば、最後に会ったときお前は初老の男に取り憑いていたな。それがまさか…これほどまで若くなっているとは思わなかったぞ」


歯を食いしばったアスタロトの顔が苦虫を噛み潰したように歪む。
小さく聞こえた舌打ちに◎は近くにあった水色の飴玉を手に取ったまま顔を上げた。



「私こそ、貴方が物質界に来ていらっしゃったとは思いもしませんでした」


口調こそ穏やかだが明らかに虫の居所が悪そうだ。

忌々しげに◎を見るアスタロトに呼応するように、彼の周りにたかっていた魍魎がざわめく。

ゆらゆらと揺らめく黒い大群に蝕まれ、腐り始めた駄菓子。
喉が渇くような甘い香りが充満していた店内がじわじわと腐敗していき、あっという間にあの鼻を擽る香りがなりを潜めていった。

微かな腐敗臭に気分を害したのか、◎はすう…と爪で空気を裂くように片手を横に払うと、近くにいた魍魎を一瞬で消し殺す。

そして目的の駄菓子だけを逃げ惑う魍魎から遠ざけると、アスタロトに向かって問いかけた。



「不服か?…当然か、お前は俺が嫌いでたまらないだろうからな」

「っ、まさか!…そんな大それたことなど……!」

「取り繕うな」


ぴしゃりと言い放たれて木賊色の瞳が怯む。
うろたえるアスタロトは◎から僅かに一歩後ずさるが、それ以上足を引くことは出来なかった。

アスタロトの嫌いな黒い眼差しが、それを許さなかったのだ。


堪らなくなって顔を歪めきったアスタロトに、◎は手に収まっているいくつかの飴玉をころころと転がし、弄ぶ。



「お前が俺を嫌っていることなど承知済みだ。…ああかまうな、だからと言ってどうこうするつもりはない」


瞬時に身構えたアスタロト。
それを片手で制する◎だったが、アスタロトは己に向かって伸ばされた白い手に警戒の色を滲ませる。


冷や汗を流すアスタロトに、やれやれと溜息を吐く◎。

その手から伸びた黒い爪に、一匹の魍魎が止まった。


◎はきいきいと鳴く魍魎を暫くの間じっと眺めると、ふいに感情の篭っていない声で低く笑い始める。



「大いにかまわん」


その顔はとても笑っているとは言い難いものだった。

完全なる無表情で、完全なる無感情な声でくつくつと笑う。
ある意味器用な◎にアスタロトはますます警戒心を強め、元から悪い顔色をますます悪くした。


◎はその後ろ、店の奥から大量の商品を抱えて現れた店員を見つけても、笑うことを止めない。


背後にある気配にさえ気づかないほど窮地に陥った様子のアスタロトに突きつけられる白い指。
不審な顔をしながらも向かってくる店員は、その指に止まった魍魎など見えていない。
それどころか、◎を遠巻きにして店内を埋め尽くすようにさまよう魍魎の大群も知らず、軽い咳をしながら二人の側を通り抜けていった。



「兄弟だろうがなんだろうが、上だろうが下だろうが、どうでもいい。そんなものは大した理由にもならん。嫌いな者を嫌って何が悪い。憎くて結構!殺して当たり前。それが悪魔が悪魔たる所以だ」

「なっ、…何を仰って………!」


目を見開くアスタロトに向かって◎は親指と中指をそっと重ねる。

パチン!と鳴らされた指から慌てて飛んで逃げる魍魎。

そこから現れた飴玉は、異様な銀色をしていた。


人目はばからず悪魔だ何だと物騒なことを口にする◎と、それに驚愕して数えていた商品から顔を上げた店員を睨みながら、アスタロトはこれだから嫌なのだと内心悪態を吐きながら小さく唸る。


間違ったことは言っていないのだ。
◎が言うとおり、アスタロトは己の上にいるこの黒い兄を毛嫌いしていた。

殺せるものなら殺したい。

視界に入るだけで虫唾が走る。
同じ悪魔だというだけで吐き気がする。
存在さえも我慢なら無いその男が、ましてや己の兄で、八候王をまとめる権力者だなどと、アスタロトは鼻持ちなら無い感情で腹の奥がいっぱいだった。

心臓を鉤爪で引っ掻き回されるような気持ち悪さが胸を支配する。


それほどまでアスタロトは、目の前で佇む◎が嫌いで堪らないのだ。


心底嫌悪するように牙を剥き出すアスタロトに、だがしかし◎は無表情のままでいる。

それどころか何を思ったのか苛立つアスタロトの眼前に、銀色の飴玉を差し出した。


すっと差し出された甘い甘い飴。
それとは対照的に底冷えするような冷たい声が、アスタロトの鼓膜をざらざらと撫でて抉る。



「固定概念などというものは所詮人間が作り出した俺たち悪魔には無縁なものだ、気にするな。兄弟で身分も上だからと思い取り繕っているようならば…」


不穏に途切れた言葉とともに燃え屑のように粉々に散った銀色のそれが、アスタロトには自分の未来を現しているように見えてままならなかった。



「……アスタロト、お前は物質界に蝕まれ随分とつまらない者になってしまったようだ。この俺が直々に殺してやることにしよう」


小指からゆっくりと指を折って上を向き、ぱっと開かれた◎の手から零れ落ちる屑。
数十年ぶりに感じる激しい動悸に、嫌な息苦しさを覚えたアスタロトは咄嗟に己の胸元を押さえた。

どくどくと暴れる心臓が痛みを訴える。
無意識に荒くなった呼吸を落ち着かせながら◎を見れば、◎の黒い瞳は値踏みするように細められていた。


その瞳に映るアスタロトは、瞳の中で恐怖する自分をまざまざと見せ付けられ、唾を吐きたくなった。


情けない。
そう自覚するとよりいっそう悔しくなる。

ぐっと唾を飲み込んでいつの間にか前のめりになっていた体を起こす。

思い切って◎を見据えたアスタロトは、相変らず無表情な兄に向かって勢いよく吐き捨てた。



「このクソ野郎が…ッ!オレに指図するんじゃねェ!」


魍魎がざわっと波打つ。
突如響いたアスタロトの怒声に店員の肩が大きく揺れ、再びなんだなんだと顔を覗かせる。


短い銀髪の間からメキメキと現れた角と、見る見るうちに伸びていく爪。
鋭く尖った犬歯を光らせ豹変したアスタロトに、対する◎は満足げな視線を投げかけた。



「まだまだぎこちないな。だがよろしい。それでこそ悪魔だ」

「ッチ!ふざけやがって…誰がテメェに殺されるものか。ここが虚無界なら八つ裂きにしてやるのによォ……!」


無表情ではいるものの、その愉快そうな雰囲気に殺意が沸く。
だが、殺気立つアスタロトにあっさりと背を向けた◎は、今しがた魍魎から避けた駄菓子の山を手にすると、何も見えていない店員に向かって声をかけた。



「会計をしてくれ。ヨハン・ファウスト五世と書いた領収書も頼む」







[]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -