その後
コポコポ。
穏やかな音を立てながら、注ぎ口から熱い液体が流れ、何もないカップの中へとおさまっていく。湯気が立ち込めると同時に、微かに良い香りを漂わせていく紅茶は、ちょうどよく蒸らされていた。
「で、とっととずらかってきたというわけか」
『あぁ』
2つ分のカップが盆の上で揺れる。
◎が運んできたそれは、ガラステーブルの上に静かに置かれ、そしてすぐに一人の男の手によって持ち上げられた。
形の良い、薄い唇が、ふーっとカップの中へ息を吹き込む。そして、暫くして縁に軽く触れると、程よい熱さの紅茶を一口、二口と飲んだ。
◎はその様子をちらりと見ながら、カップとともに持ってきていた白い蓋がついた陶器を手に取り、中にある砂糖を己のカップの中にいくつか入れる。そして、それをテーブルのちょうど真ん中に置くと、次に蓋のない、中にミルクの入った取っ手付きの陶器を手にしてそれも入れた。乳白色が入り混じった紅茶は、みるみるうちにミルクティーに変化する。
「なかなかうまい。ストレートでも充分すぎるほどだが…今日は砂糖を入れるか」
『いつもそう言って、ストレートで飲むのは殆どないじゃないか』
「毎回書類仕事で疲れているんだ、人間の脳ってのは疲れているときは甘いものを好むんだよ」
そう会話を締めくくった男―ジークレインは、砂糖を2杯ほど紅茶に入れる。ティースプーンでぐるぐると混ぜたあとにもう一度飲んだ彼は「うん、うまい」と呟くと、自分よりも何杯も多めに砂糖を入れていた◎が飲むミルクティーの、甘ったるい香りを嗅ぎながら笑う。
「こっちはお前んとこのギルドがやらかしたことで毎日飽きねーぞ。今日だってその書類仕事さ」
足を組んでにやりとするジークに、◎は素知らぬ顔をする。◎が所属するギルド―妖精の尻尾は、◎とナツ以外にも問題児は沢山いた。毎日毎日、評議会にはギルドの起こした問題に対する苦言やら何やらが入り込んでいる。
『それが貴様らの仕事だ…とはいえ、ナツは壊しすぎだがな』
「お前の相棒か。面白い奴だ…そいつに関する問題が一番多い」
先ほどまで◎たちは、先日起きたハルジオンの港半壊について話をしていた。
ジークと◎は大体妖精の尻尾でどんなことをやらかしただとか、評議会の仕事はどうだかとか、会うたびにそんな話をしている。それ以外にも好きな映画や本の話をしたり、あれが美味しかった、これは不味かっただと、仕事先で食べたものの話や、こういう場所があっただの、本当にとりとめのない話などもしていた。
二人は友人だった。出会いはひょんなとこから。街ですれ違って、お互いを目視して、まあいろいろあったわけだが、そこで何度か会話をして―そこからはなし崩しだった。
気づけば休日が合うとき、気が向いたときにともに時間を過ごすようになっていた。
『滅竜魔道士…古代魔法の持ち主ゆえに力の加減が出来ない、むしろしようとしても力が強すぎるんだ』
「力の加減できるような性格でもなさそうだしな。大方、◎、お前がブレーキ役と言ったところか?」
『そんな面倒なことはしない、好きにやらせる』
「はっは!自由奔放だな!…ところで、そのナツは今日どうしたんだ?最近はずっと一緒についてて、俺とも中々会えなかったじゃないか」
ジークの問いに◎は紅茶を飲み干す。そして新しく入れようと立ち上がった。
『ハルジオンの港で出会った女の話はしたな?あのあと、彼女を妖精の尻尾に入れたんだが…』
「もっぱらその女と行動してるってわけか…フられたなぁ」
『………』
紅茶を入れて戻ってきた◎のじと目。それだけで充分答えになっていると思ったジークの笑い声が、部屋に響く。
まあ飲めよ、と砂糖とミルクを差し出してくるジークに、◎は無言でミルクティーを作る。先程よりも砂糖は多めだった。
『アイツはなんでも拾ってくるからな』
「お前もナツに拾われて妖精の尻尾に入ったんだったか?」
『あぁ。懐かしいほど昔の話だ…。まあそんな話はさて置き』
甘いミルクティーを飲み、溜息をひとつ。
ルーシィを妖精の尻尾に連れてきてからのことを、◎は思い出して目を閉じた。
『バルカン退治に、エバルーだかなんだか言うやつの屋敷で傭兵ゴリラ相手に暴れまわったり、なんだかんだでチームを組んでるよ、あいつら。結構相性もいいようだ』
◎は同行を拒否した2つの依頼を口にする。
1つは、同じギルドメンバーをさがしにバルカンという魔物のいる雪山に向かったもの。
もう1つは、エバルー伯爵が持つ本を破棄するというもの。
どちらもナツに同行を迫られたが、ルーシィがついていきそうだったのでやめておいたのと、本の依頼に関してはメイド服を差し出してきたので引きちぎって拒否した。そのことを聞いたジークは愉快そうに笑う。
「メイド服着りゃよかったじゃねーか」
『しばかれたいのか貴様は?逆に着せるぞ。…と、そんなわけで、暫くはナツとルーシィでチームを組んでもらおうかと思っているわけだ』
けたけたと声をあげるジークに呆れた視線を返す。しかし、ジークは顔をにやつかせたままテーブルに肘をつき、そんな彼の顔を覗きこむ。
◎の行動が面白くてたまらないと言ったような表情だ。
「チームねぇ…お前が混じらないのは、仲間っていうのと一線ひいてるからか?」
『…愚問だな』
「ああ愚問さ。◎、お前は仲間などいらないと思っている。だから不必要に関わりたくない。ナツ以外とはな」
青い髪がさらりと揺れる。艶めいたその色の隙間から、ジークの斬れ長の瞳が◎を射ぬいた。◎はその視線を受けて、さらに呆れたように溜息をついた。
ジークはよくこうしてわざと煽ってくる。怒らせたいのかどうか、◎はわからなかったが、しかし人が口にしないことをわざと堀りだしつついてくるのだ。仲間と一線ひいてる。仲間が不必要。どれも本当のことだった。
しかし◎はそのことをつつかれても特に何とも思わない。彼にとってその事実は、怒るほどのことでもないのだ。
「ナツ以外とは殆ど口も聞かないんだったか?」
そこまでじゃあないんだがな…。そう思ったが、ジークの楽しげな表情の中に、どこか嬉しそうな雰囲気を読み取った◎は黙る。なんでここまで嬉しそうなのか。口元をにやりと引き上げ、目を緩やかに細めたジークは、◎の黒い目をじっと見つめて笑っている。
『何嬉しそうにしてるんだよ』
「くっくっく…気にするな」
ふう、と息をこぼした◎は、とりあえずその額にデコピンを食らわしておく。
痛い音がしたが、それでもジークは笑っていた。
*←
[back]