失敗バレンタイン
―ジュウウ…ぷすぷす…
『ああ…やってしまった………』
城の食堂の一角にて上がる情けない声。
何とも形容しがたいものを前に酷く落胆した様子でうなだれる◎は、額に手を当ててもう一度あああ、と泣き言を漏らすと弱々しく溜息を吐く。
彼の目の前には、何とも痛々しい音とともに、辺りに焦げくさい臭いをばらまく謎の物体。
可愛らしいドット柄のカップからおどろおどろしく溢れる黒い物体それは、もはや原型をとどめていない。
そのある意味グロテスクな物体から放たれる異臭が、◎の鼻腔をつんと刺激して、彼はたちまち顔を歪ませた。
失敗、したのだ。
俗に言うバレンタインのお菓子づくりとやらに挑戦し、悲惨なことになってしまった。
『全滅してる…よなあ、どう見ても……』
慣れないことはやるものではない。
そう身を持って知りながらも、◎は料理を作るのは得意なくせにお菓子となるといまいちな己を恨めしく思う。
もう一度やれば成功できるのではないか、確証は持てないが失敗したまま諦めてしまうのは癪に触る。
ちらり、と手元へ向けられた瞳に映るチョコレートや小麦などの山積みにされた空箱。
初めは沢山あったそれらの中身も、今は何一つ残っていない。
正直に言って量が量だ。
再度買いに行くのも大変な労力を必要とするのは分かり切っているし何よりも…今からでは間に合わない。
それに、張り切ったにもかかわらず大失敗してしまった直後に、もう一回!と再チャレンジする不屈の精神など今の◎には皆無だった。
『……仕方ないよなあ…』
今日はバレンタイン当日。
町の食品店からはチョコレートなどがごっそりと消え去っているのは想像に難くない。
がっくり。そんな音が聞こえそうなほど勢いよく肩を落とし、深くうなだれて息を吐いた◎。
もうやめだ。多少日にちずれてもいいから明日にしよう。どうせ自分で食べようと思っただけだし…それに皆で食べるにも失敗したからやれないしなあ。
ぶつぶつと呟きながら表面が焦げ付いたマフィンやらケーキやらを眺める。
すると、ふいにそれらの一つが勝手に移動し、◎の視界から消えた。
勿論、お菓子が一人でに動いたわけではない。
いつの間にか◎の側に立っていた男の手が、そっと奪っていったのだ。
『リ、リンク!?何でここに…まだ朝食は……』
「う〜ん…これは……チョコレートマフィン…かな?」
突然の登場、そしてまじまじと眺められる失敗作に慌てふためいて声を上げる◎に、リンクはのんびりとした様子で手にしている物を観察する。
何だか目が覚めてさー。食堂通りかかったら良い匂いと焦げた臭いがしたから気になっちゃって。ははは、と笑うリンクの笑顔が眩しい。
食堂に広がる失敗作を馬鹿にしても、ましてや呆れてもいないリンクに◎は頭を抱えたくなった。
何となく居たたまれない心地に陥るというか何というか。
失敗した姿を見られただけでも恥ずかしいのにリンクはただにこにこと笑うだけである。
とにかく、羞恥やら情けなさやらで顔を赤くした◎は、ああああ!と今日一番の唸り声を上げ、リンクの手の中にある失敗作を取り返そうとした。
「あっ何するんだよ。危ないだろ」
飛びかかった瞬間ひらりと避けられる。
間髪入れずに手を伸ばしても、流石は勇者だ。
手慣れた様子で呆気なくかわされ、終いには◎の肩をしっかりと掴んだ上で背伸びをして手を高く上げる。
『返せ。とりあえず返せ!』
「返してほしいのか?」
『ああ。だから早く返せ!』
小首を傾げて不思議そうにするリンクを睨む彼の目には焦りが浮かんでいた。
「えーっと…返したら、これはどうなるの?」
『捨てるに決まってるだろ!誰にも渡せるわけがないし』
「そう?」
『当たり前だ!そんな焦げたもの食わせられるかっ……あのカービィやヨッシーでさえも手を出さないだろうな』
ぐっと言葉に詰まって噛みしめられた唇から聞こえた落ち込んだ声。
少しだけ眉尻を下げて口を噤んだ◎に、リンクは青い瞳をまん丸くさせる。
「ふ〜ん…そうか、捨てるのか」
へー、ふーん。そうかそうか。勿体ないなあ。
己の手に収められたチョコレートマフィンという名の焦げた物体をじっと見つめるリンクに、◎はますます焦って慌てる。
誰にも知られたくなかった秘密をついうっかり親しい人間に見られてしまった心境に似ている気まずさにさいなまれているのだ。
だから、だらだらと嫌な汗を◎はリンクが呟いた言葉など耳に入れど頭には入らない。
失敗作が視界に入るだけで恥ずかしい。
ああその黒こげが虚しい、情けない、見られたくない見たくもない!早く返せきょとんとするな失敗作を見るなああああ、ちょ…えっ何して…口にそれを近づけてまさかお前食べるなんてそんな馬鹿を…あああああ!!
『なっ、ちょっおい、リンク!お前!』
そこでやっと◎は正気に戻る。
リンクはあーんと大きく口を開け、そして手に持った物体を何を思ったのか口に運ぼうとしている。
失敗作を食べるつもりなのだ。
そのことに漸く気づいた◎が、はっとして手を伸ばすも時すでに遅く。
ぱくん。もぐもぐ。じょりっ。
おおよそマフィンを食べたとは思えない苦々しい音を立てて、リンクは口いっぱいに頬張った失敗作を味わった。
頭を抱えた◎の顔面は蒼白だ。
唖然として目を見開いたまま、悲鳴にも似た唸り声を出す彼の目の前で、咀嚼は続けられる。
ごり、じょりっ。もさ、もさもさ。………ごくん。
飲 み 込 ん だ !
◎は絶叫しそうになった。
あの炭をきちんと噛んで飲み込んだだと!正気か!?いやいやそれ以前に人に食べさせてしまった…!
頭を掻き毟りたい気持ちに駆られながらおそるおそるリンクの表情を伺う。
リンクは◎の心配と焦りを余所に至って普通だった。
寧ろ何処か嬉しそうににこにこと笑っている。
青い瞳と視線が合う。
にこりと柔らかな笑みを浮かべたリンクは、真っ青になった◎に向かって口を開いた。
「うーん、ちょっと苦いなあ」
当たり前の感想ではあるが、◎の頭にガン!と落ちてくる重い言葉。
あからさまにショックを受けて更に青白くなる表情を見ながら、リンクは腰に手を当てると、でも、と続けて微笑する。
「とても美味しいよ。焦げてるのは表面だけ、中身は平気だった」
にこにこにこにこ。
頬を緩めて己を見つめるリンクに絶句し、一瞬何を言っているのか理解出来なかった◎。
ぼかーん、と口を開けて固まった彼の表情は、まさか失敗作が美味しいなどと言われるわけがないと分かり切っていた。
だが、そのまさかである。
嘘を吐いている素振りのないリンクの感想に、信じられないという風に丸くなる◎の瞳。
ふふ、と柔らかく声を漏らしその様子を眺めていたリンクは、もう一個食べようかな、と◎の背後に並べられた数々の失敗作に手を伸ばす。
今度はケーキだ。
生のチョコレートを生地に混ぜ込み、本来ならばふんわりと上質な柔らかさで焼き上げられていたそれは、表面がぼそぼそとしている。
きっとこれも美味しいよ。というか、捨てるなら全部俺が食べて良いよね。
ひょいとつまんだケーキを目に映し、次いで笑いかけてきたリンクに、◎はまたハッとして開きっぱなしの口を慌てて閉じる。
そして先ほどの二の舞になるまいと咄嗟にその腕に飛びかかると、随分と近くなったリンクを諫めようと必死になった。
『ばっお前、アホか!無理して食べなくていい!』
「何で?俺、無理してないんだけど。本当に美味しいし」
食べてみる?―いらん!さっさと捨てろ!
そんな応酬を繰り返し、食堂で二人による失敗作争奪戦が始まる。
だが、終わりはすぐ訪れた。
絶対に食べさせまいと躍起になる◎にやれやれと首を振りながら、リンクは無理矢理ケーキを口に放り込む。
『あああああー!!』
むぐむぐと頬張るリンクはやはり嬉しそうだ。
絶叫する◎とは正反対にほんわかとした表情でケーキを食べている。
『…なんでわざわざ焦げたの食べるんだよ……!!』
何を言っても食うつもりだ。
幸せそうに口を動かすリンクにそう悟り、思わず頭を抱えてうなだれる。
◎が止めなくなったことを良いことに、次々と失敗作に手を伸ばすリンクは、もごもごと食べ進めながら◎を見つめた。
目をばちぱちと瞬かせたあとに、それは勿論、と口を開くリンク。
くすっと落ちてきた笑い声に◎が顔を上げると、彼の瞳に見ている者まで暖かくなるような幸せに満ちた微笑みが映った。
「◎が作ったものだから。何だって俺は食べるよ」
というか食べたいんだ。◎の手作り。バレンタインに欲しかったからさ。そう続けるリンクは己の指についたチョコレートのくずをぺろり舐める。
美味しい。
小さく呟かれた言葉に◎はこれでもかというほど目を見開き驚愕すると、徐々にこみ上げてくる熱にわなわなと身体を震わせた。
『…お前っ………!』
恥ずかしい奴、と顔をそらしながらも少しだけ嬉しくなったのか◎の口元は緩められている。
ぐああっと赤くなった己の頬が失敗作と同じくいっそ焦げてしまうんじゃないかと思いながらも、◎がそれ以上リンクを止めようとすることはなかった。
Fin.
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