唐突な男






広大なハイラルの地の一角、暗闇に覆われ淀んだ空の元。


いつも気づけば側にいる全身緑の男が唐突に問いを投げかけてきたのは、俺が断続的に響く断末魔の喘ぎを耳に、あのお方の命令を果たしているときだった。




「なあ、それでいいのか?」

『…何が、だ』



主語の抜けた問いに質問の意味を聞き返しながらも、俺は、あのお方の意に背いた少数の魔物を追いつめる途中で。


その為、些か重苦しい空気を纏う男に目を向けることは出来なかったが、おそらく男の表情は何とも言えない歪んだものだったんだろう。


問いを問いで返す俺の氷のような声に、男は少し不機嫌な様子で、今度はきちんと主語を交えて聞き返してきた。




「魔王の言うことばかり聞いてさ、君はそれでいいのかって、聞いてるんだ」



男の言葉は唐突だった。
問いも唐突だがその内容も唐突だった。



いつもの唐突にやってきては勝手に俺の側に居座る男らしい、身勝手で唐突な言葉だと思った。



だからこそ、その真意は測りにくい。

俺は手際よく一匹一匹魔物を追いつめつつ、男の真意を探ろうと少しの間だけ思考を巡らした。

だがそれも暫くして、この男には裏というものが存在しないことを思い出し、無駄なことだと止める。



男はその言葉通り、そのままの意味で聞いたのだろう。



つまり、あのお方の僕として働いていて本当にいいのか、と


何の考えがあってのことかは知る由もないが、男は言ったのだろう。






愚問だ、と思わず嘲笑が溢れる。


男の言い分を汲み取った途端、俺は率直にそう思い、ついつい癖でふんと鼻を鳴らしてしまった。




「何だよ…」



小さな非難の声が返ってきた。


…まったく、ハイラル人の長耳というものはやっかい極まりない。


魔物の耳障りな叫声が飛び交う中だというのに、目敏く気づいたのかむっとしたように唸る男に、任務を果たす最中だというのに溜息が出る。


馬鹿馬鹿しい考えに親身に答えてやる気が起きるわけもなく、俺は明らかに呆れの混じった声で手短に答えた。




『俺はあのお方の為だけに存在する。善し悪し、などという概念は存在しない』



これで満足したか。

俺はしっかりと、簡潔に答えてやった。









「――――あ、そう」



数秒後、男から発せられたのは、何とも冷め切った低い声だった。


魔物を追いつめるのに忙しいこの最中、せっかく答えてやったというのに、あ、そう、のみ。

たったそれだけだった。




………思わず眉を寄せ文句を言いたくなるのは、仕方がないだろう。



男が何を言おうがどう思おうが、これは紛れもない事実。

俺はあのお方の為だけに存在する魔物―あのお方に見初められ、そしてあのお方に絶対的な力の下で生きることを余儀なくされた、魔物。



確かに俺は、あのお方が現れる前までは、誰の為にでもなく自由に生きていて、平和にハイラルを過ごしていた時代もあった気がする。


だが、もはや焦土と化したこの地に、平和という文字も、ましてや魔物の俺が大切だと言えるものもなく。


加えて、特別強いわけでもない俺は、あのお方に逆らって生きていけるはずがない。


それならば、そこそこの魔物―しかも命令に背いたり失敗したりした奴らだけの始末を淡々とこなすだけでハイラルに生きられる、という道を選ぶのは当然のことだろう。


俺はどうでもいいと口では言いながらも、この世界をそんなに悪くは思っていないから、生きていられるだけ御の字だ。

平和で人々の笑顔にあふれた暖かなハイラルが、たとえ俺が闇に生きる魔物で光と相容れないとしても、好きだったから。



だからハイラルにいられるだけで良かった。

もとより選択肢などあるわけがないのだが。







足下でのたうち回り、ぎゃあぎゃあと痛みに喚く魔物の喉笛に剣を突き立てれば、漸くしてあのお方の命令を果たすことができた。


思っていたよりも様々な感情や記憶で散らかされた頭に整理をつけ、剣にこびりついた血を振るい払う。

少し経った後、俺はやっと男の方へと視線を向けた。





『……何だ、その顔は』


そうすれば瞬く間に、訝しげな表情と声を上げてしまった、俺。



振り向いた瞬間、一番に視界に映ったのは、あからさまに虫の居所が悪そうな男の、きゅっと寄せられた眉間の皺。


誰しもが魔王を憎むこのご時世、僕である俺の言葉を聞けば機嫌が悪くなるのはわかってはいたのだが、こうもあからさまだと、思わず俺まで眉間に皺を刻んでしまう。


やれやれと溜息を吐きたくなった。
俺は仕方なく、不機嫌な表情の男に向かって肩を竦める。








「じゃあ、ハイラル好き?」






また唐突に男が聞いてきた。





『………悪くは、ない』




ややあってから俺は正直に答える。



すると何故か、男のふてくされる様子に拍車がかかったものだから、少しだけ驚いて、何だこいつはとこれまた訝しく睨んでしまった。



それでも男は、そんな俺をものともせず更に問う。



「今のハイラルは?」



……今度の問いはなかなか答えることが出来なかった。




今のハイラルは好き、なんだろうか。

言われて考えてみれば、何とも言えないでいる自分がいて、これまた少し驚き、そしてとても………―動揺、そう、動揺、した。



答えられないまま、困り果てしまうほどの動揺だ。





前のハイラルが好きかと問われれば、俺は間違いなく好きだと答えられるのに。

今のハイラルだとどうしても好きだとは答えられない。




俺には好き嫌いや善し悪しなど関係なく、ハイラルに生きられるだけでよかったはずだ。


たとえかつて愛したこの地が今や闇に覆われ、町の人々の笑顔が消えていたとしても、ハイラルに存在できるだけで、俺は

あのお方の下で働き、ハイラルの地で生きられるだけで俺は、


何度も何度も心の中で、まじないのようにそう繰り返した。



―やはりそれでも、一度胸に沸いた動揺を消すことが叶わないのは、何故か。




「好きか嫌いか、どっちだ?」



水を打ったような辺りの静けさと、ざわめく自分の胸に押しつぶされ口を噤んだ俺に、追い打ちをかける男。

明確な答えを求めるその青い瞳は、真っ直ぐと俺を射抜く。

はぐらかすことなど断じて許さないとでも言うかの如く、片時もそらされなかった。





『………好き、ではない』



じっと見つめてくる男に耐えられなくなって、俺はまた、今度は戸惑いながらも正直に答えた。

そうすると少しだけ、先ほどまで堅かった男の表情がやんわりと和らいだ気がして、そこでやっと俺は気づかされる。





そうか

俺は今のハイラルが好きではないのか



驚くべき事実のようで、実は遙か昔から分かっていたかのようなその思いは、認めれば認めるほど、俺の動揺を沈めていく。



だが、そこでもう一つのことに気づいた。

俺は所詮、あのお方の為だけに存在する魔物―あのお方の忠実な僕。


ハイラルがどうこうだの、好きか嫌いかなど、気にする余地も、そういった感情を抱くことも許されない。




もしそれをあのお方の前で口にすれば








そこまで考えて、すぐさまくだらない思考をもみ消そうと手のひらを握りしめた。


―ハイラルで生きる為には、あのお方の為だけの存在にならなくては、いけないのだ。


そうでもしないと、俺などあのお方の支配するこの世界で生き延びることなど、出来なかった。


ならば今まで俺はこのハイラルの地に対して、いったい何をしてきたのだろう。








微かにふるりと身体を震わせた後も、俺は剣もしまえずに、ただただ地を見つめていた。

そこにあったのはかつての生き生きとした草原ではなく、全てが枯れ果て、生き物の痕跡も何もかもがなくなった、俺の知らないハイラルの地だった。

今や、あの大好きだった柔らかな風に運ばれてくるはずの大地の香りは障気で溢れかえっていて、臭い。


微かに息を飲んだ俺に向かって、ほら見ろ、と男は言う。




「◎は今のハイラルを、よく思っていないんだろ。つまり本当は、魔王の下につくことも不満に思っているんだ」




何故そうなる。




とは、言い返せなかった。






とうとう俺は黙り込んだ。


男の顔なんて見れやしなかった。

ましてや荒れ果てたハイラルの地など見れるわけもなくて、俺は瞼を伏せるしかなかった。








「一緒にいこうよ」



もう慣れてきた具合の唐突さで、ふいに男がそう言った。

今度もその唐突さに驚くことはなかったが、弾かれたように顔を上げた俺の前に、これまた唐突に差し出された手のひらには、流石に驚いた。




「まだ間に合う。あいつの為に生きるんじゃなくて、自分の為に生きるんだ」



男の真っ直ぐな瞳と言葉を、何度か頭の中で繰り返し、少しずつその意味を理解しようと試みてみる。

だがこれが、なかなかどうして、難しかった。




自分の為?

この言葉が何よりも難しくて、葛藤に似た何かが酷い具合でない交ぜになり、俺の思考を邪魔してくる。




『―自分の、為……?』


もう一度、今度は口に出して繰り返してみても、さっぱりだ。

表情を歪めぎこちなく首を傾げた俺に気づいたのか、男は虚を突かれたかのように目を見開いた。

そしてその後すぐ、悩ましげに頭を掻いてうーんと唸る。




「自分の為、っていうのはつまり、えーっと………」




男は自分自身でもうまく説明できないようだった。

それは分からないから、ではなくおそらくごく当たり前のことに説明を求められて戸惑っているような、そんな感じだ。




魔物にも感情はある。


ただ、自分の為だ何だということをあまり理解せずに生きていた俺にとって、それを理解し想像するのは難しい。


だから首を傾げるしかないのだが、いかんせん俺の問いは答えに詰まるもので、男は暫くの間、頭を抱えそうな勢いで悩んでいた。






その様子を眺めるしかなくずっと目を離さないでいれば、ふいに、思い苦しんでいる男の青い瞳と視線が合う。

瞬間、より一層唸った男は、ええいと更に前へと腕を突き出してきた。




「◎が好きだったハイラルの為に生きるんだって考えればいいよ!」


『俺の好きな、ハイラルの為……』



ハイラルの為、という言葉なら…

自分の為という言葉よりも、もともとそこにあったみたいに自然さですとんと身体の中に入っていくような、そんな気がする。


少しだけ理解を示した俺に、悩ましげだった表情に微かな希望を灯した男は勢いづいた。




「今の真っ暗な…―◎が好きじゃないハイラルの為に生きるのは勿体ないだろ?だったら好きなものの為に生きればいいんだ」



勿体ない。勿体ない…?
好きなものの為に生きる……?


ハイラルの為に、俺はあのお方の為だけの存在を止める、のか?



その答えを出すには、今までの記憶やあのお方の元で働いていた時が邪魔をして、戸惑いを感じてしまった。

だけど、男はそんな俺など知ったことかと、先ほどの悩んでいた様は何処へやら


ほら、とその手を目と鼻の先まで伸ばしてきて、なかなか動かない俺を促した。





俺はあのお方の為だけに存在するだけでいい、今のハイラルに存在できるならそれだけでよかった、何度もそう繰り返す。


この手はとっていいものではない。



頭では理解していた。
確かにそうは思っている。





―そのはずなのに、




今の冷たく全ての光が消えてしまったハイラルを思い、それを追うように勝手に追憶として溢れ出る、昔の暖かかったハイラルを思い出すと、どうしてか俺はつんと鼻の奥が痛くなって、どうしてか俺は目頭にじんわりとした熱を感じて






気づけば俺は、目の前で嬉しそうに笑う唐突な男と同じように、絶対なる忠誠を誓っていたあのお方を、唐突に







そう、何の前触れもなく、唐突に裏切っていたのだった。




12.05.25



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