不思議な旅人
『あぁ…困った』
非常に困った。これは大変だ。
ハイディア村に向かおうとしていた矢先に訪れた困り事。
壮大な自然には少し不釣り合いな醜い形相は、俺の気分を急降下させた。
[グルグルグル……]
口から涎垂れてますよこのモンスター。
グールだろうか、ところどころ腐った肉体を引きずりながら、俺を威嚇しているこの気持ち悪い物体。
正直、酷い悪臭に鼻がひん曲がりそうだ。
さてどうするか……
『はぁ…面倒臭い……』
力を使おうにも面倒臭いし、戦おうにも面倒くさい。
飛び出かけた瞳が逃げるのを許さないというように睨んでくるけど、俺は今まさに逃亡の体勢をとっている。
当たり前だ、誰だってこんな厄介な奴と関わりたくない。
あー……どうしよう。
[グルァアッ!!!]
『………あ』
ぼーっとしながら困ったもんだと頬を掻いていた所為か、行く手を阻んでいたモンスターが荒々しい声を上げて飛びかかってきた。
明らかに毒を持っている色彩の爪を振りかざして。
『う〜ん…これは……死ぬな、』
暢気に呟きながらのんびりとその爪を見る。
避けられない早さじゃないそれは、此方に来るのを待つ時間が勿体ないぐらいだ。
さぁ、とっととやっちまいましょうか。
確か隠し持っていたナイフが合ったはずだ…凄まじい勢いで走ってくるグールを突き刺すためにそれを出そうかと動く。
すると、遠い場所で木の枝が擦れ合う音がした。
[ギィッ!!!?]
その音が尋常でない早さで此処に向かって来ているのを悟った瞬間、目前に迫っていたグールが汚く叫ぶ。
『、っ…うわ…』
グールから飛んできた何かをコンマ一秒で避けると、俺がいた場所を染めた赤い液体。
グールの血液だ。
未だに止まない悲鳴に眉を寄せれば、グールは抉れた片目を押さえてのたうち回っていた。
良かったな、目がぶら下がってるよりマシだぞ。
『あぁ、汚いな…』
「ふん、随分と余裕だな」
『っ!!?』
綺麗な緑の草を赤くするグールにぽつりと呟いて嫌悪を露わにした時、何の前触れもなく背後から声がした。
おそらく猛スピードで来ていた者だろうけど、それでも吃驚せずにはいられない。
気が付けばいつの間にかグールは目だけでなく身体を切り裂かれて死んでいた。
そして注意しなければ分からないほどの気配で声の持ち主は俺の背中を見ている。
『、っ…誰だ?』
ドキドキと焦りを脈動に変えて騒ぐ心臓を落ち着けながら、出来るだけゆっくりと後ろを振り向く。
そこには、物凄く派手な青い髪と文字通り白い肌、そして顔に妙な刺青のある男がいた。
意外と近かった距離に後ずさると、男は冷ややかな表情で俺を見下す。
「モンスターに動じないとは…何者だ、」
…質問を質問で返した男に、口元がぴくりと動いてしまった。
『俺は◎という名のただの旅人だ。そういうお前は?』
「ほぅ…ただの旅人、か。…俺はサテュロス。ただの旅人だ」
サテュロス…珍しい名前だな…
サテュロスは不敵な笑みを浮かべて俺の言葉を引用すると、手にしていたグールの血すらもついていない武器を仕舞う。
血が出る前に斬るなんて、人間業じゃないなぁ。
「?…なんだ…」
『いや、強いなぁと思って』
「…あぁ…こんな雑魚、たわいもない」
素直に感心してサテュロスを見つめれば、何ともないようにそう言ってのけられた。
ぱっと見ただけでもかなり強そうで、彼の持つ武器や防具は手入れが行き届いていながらも無数の傷がある。
かなり戦い慣れた風貌にいささか感心しつつ、助けてもらった礼を言う。
「…ただ目障りだっただけだ。助けたつもりはない」
サテュロスはほんの数秒だけ俺を見つめたあと、視線を外してふっと笑った。
へぇ、取っ付きにくそうな態度をとっているけど、案外良い奴なのかもしれない
『それでも俺が助かったことに代わりはない。ありがとう』
「…別に礼などいらんが…」
『はは、俺が言いたいだけだから有り難く受け取れよ』
俺はサテュロスに笑いかけて、消え去ったグールの死骸を思い出す。
勝てない相手だったわけじゃないけど、彼が何を思ったのか関係なく、グールを倒してくれた。
礼を言わない理由なんてない。
奇妙な格好の旅人は、俺にとっては久々に人の温かさに触れさせてくれた。
今だけは軋む音も気にならなくて、俺は取って付けた笑みじゃなく、柔らかに微笑んだ。
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