誘惑におちるとき

 人類最強と呼ばれ、調査兵団の英雄と名高い彼と付き合い出してもうどれくらいになるだろうか。

 朝食後呼び出されてリヴァイの部屋に行くと、彼は出かける支度をしていた。ちょうど兵団のマントを羽織る所で、自由の翼が彼の背中にはためくのが目に映った。一番身近な存在の男の人の筈なのに、なんだか遠くに感じる。

「今度は一週間くらいになると思う」

 なまえが部屋に入ってきたのを認識すると、リヴァイは視線も合わせずに呟いた。
 兵士長の彼は多忙だ。団長であるエルヴィンと共に中央へ赴くことも少なくない。今回もそんな類いのものなのだろうか。守秘義務があるのか、直前までなにも知らされないこともある。

 相変わらずのそっけない態度で、また私の前から去ってしまった。
 恋人同士だという前に、私たちが人類に心臓を捧げた兵士だという事実が立ち塞がる。
 なによりも任務が優先。なんとなく会えば体を重ねてはいても、それももう惰性になっている気がする。
 寂しいとか、好きなのは私だけ? とか、すごくどうでもいい感情に振り回されて、その度に上下する心にも疲れてきて。
 ただでさえ短い一生の、更に短くなるのであろう兵士の一生を、こんな薄っぺらい感情に支配されていていいのか?





「なーんて、ね」

 ごちゃごちゃと物が散らかっているだけではない。埃っぽく、何やら色んなものが混ざりあった不思議な臭いが漂っている。そんなハンジの部屋の中の、このテーブルセットだけは辛うじて無事で、それはもはやなまえの定位置になりつつあった。
 そんな机に頭を突っ伏して、愚痴ってみたところで何も変わらないのは解っている。でも。

「私には全く解らない感覚だなぁ」

 文献を読みあさり、右手ではなにやらメモを取りながら忙しなく動くハンジは、それでもなまえの相手はしてくれる。
 気遣ってくれるわけではないが、無視されるわけでもない。そんな居心地の良さがハンジの部屋へ入り浸る原因なのだろう。

「ハンジのは、巨人への永遠の片思いみたいなものだよね」
「あはは、ロマンチックな言い回しだね〜」
「私もリヴァイに、永遠に片思いしてた方が幸せだったのかも」

 リヴァイとは立場が違う、バックグラウンドが違う、背負うものが違いすぎる。近くで時を重ねれば重ねるほど、そのことが明解になって、それは絶望にも似た気持ちとなって胸を支配していく。
 それなのに、頭では解っていても子供っぽい我が侭な思いからは逃れられない。その相対する矛盾でがんじがらめになりそうだった。
 ため息混じりに呟いた台詞に、ハンジからの返答はない。
 さすがにハンジも呆れちゃった? 自分が自分に一番呆れながらいたたまれない気持ちになった。
 
「ごめん、もう行くね」

 席を立とうとすると、いつの間に背後に回っていたらしいハンジに、両肩に手を当てられてそれを制された。

「寂しい? ……あー、じゃなくて、怖い?」
 
 予想外に掛けられた言葉に驚いて頭を上げると、ハンジが覗き込むようにこちらを伺っていた。
 眼鏡のレンズの向こうにハンジの目が見える。普段意識することのなかったその視線に息が止まりそうになった。

「誰かに傍にいてほしい? 身体を繋げたら安心する? ひとりぼっちは寂しいもんね。人の体温を知ってしまったら、余計に」

 艶めいて見えるその表情に、ゾクリとしたものが走った。

「そんなんじゃ…」
「永遠の片思いも辛いもんだよ。追い求めてもその渇望は満たされることはないんだ」

 狂ったように巨人に焦がれるハンジの姿は、むしろ滑稽に近いものがある。心底楽しそうにも幸せそうにも見えた。そんな思いを抱えているなんて想像もしないで酷いことを言ってしまったのかもしれない。

「私……、ごめんなさ……」
「でも、一瞬の慰めならある。なまえは大人だから解るよね?」
「何言って……」
「私はいつもそうしてきたよ。絶望に押し潰されそうになったとき、何も見たくなくなった時、聞きたくなくなった時、誰かを抱いたり抱かれたり。まぁ、抱く方が好きかなぁ、私は」

 にこりと微笑みながら言うハンジの目は笑っていなかった。

「私にもそうしろって事? すごいことオススメするんだね」
「そう? ちょっと手を伸ばすだけだよ。おかしいことなんてなんにもない」

 そういつも通りの気軽な口調なのに、それが悪魔の囁きのようにも聞こえる。いつの間にかハンジの眼鏡は外され、直接相対する双眸はひどく魅力的に見えた。ただの興味本位だ、と自分を言い聞かせながら、いつの間にかその誘惑に囚われていたのかもしれない。

「そう、じゃあ、教えてよ」
 
 声が震えそうになるのを必死でこえらて強がりながら、ハンジの言うとおりに手を伸ばして、その後頭部に触れて引き寄せた。
 顔が間近に迫って、今にも唇が触れそうな距離。
 後戻りをするなら、ここしかない。冗談だよ、ちょっとからかっただけだよって、そう笑うハンジを半分期待して。

「いいよ。すっごく気持ちいいことしよう」

 そう言い放つが最後、噛み付くように唇に食らいつかれた。少し薄い柔らかい唇が繊細な動きで口内を弄ばれる。未知の恐怖に震える身体をそっと抱きしめられて、細くて長い指で少しずつ丁寧に服を剥がされ触れられていった。
 残る半分の期待が全て明らかになる頃には、ハンジの身体の繋げ方が解ってしまった。奪われるんじゃない、慰め合うのでもない、ただ、快楽だけを求め合う行為の仕方が。





「そんなに悩むのはね、リヴァイのことが好きすぎるからなんだよ。もっと器用になりなよ」
「無理だよ……、そんな器用になれそうもない」

 無意識に言葉に含んだ意味を知ってか知らずか、肩に熱く押し付けられていたハンジの唇は離れていった。
 
「私はリヴァイみたいに優しくないよ」

 あんなに感じていた温もりは、だんだんと冷えて、突き放されるように離れてしまう。そうしながら、またしようね、と甘い囁きが繰り返される。きっとこの誘惑からは逃れられない。

 手に入らないものだから、追い求めたくなる。きっとどんなに身体を繋げても、この人の全てを得ることなんてできないだろう。
 遠ざかるハンジの横顔を目で追いながら、なんとなく、ハンジが囚われているという渇望を理解できるような気がした。


(2014.8.12)



男前ハンジさんになってるでしょうか…?
みさまリクありがとうございました〜

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