花と香水と団長の匂い

 壁外調査の前後は目の回るような忙しさだ。
 単に戦闘や物資の準備だけではない。兵団組織の上層部への連絡、報告、根回し、資金繰り……壁外調査を一週間後に控え、内地と調査兵団本部を行ったり来たりの日々がもう随分と続いている。
 今日も内地で会議があり、戻ってきたのは夜も更け始めた頃だった。 

 調査兵団本部に着くと、廊下をすれ違い様に女性兵士に声を掛けられる。

「団長、おめでとうございます!」

 その女性兵士は言うだけ言って、返事も待たずにそそくさと去って行ってしまう。

 ――そういえば、今日は誕生日だったな。 

 団員の生存率が著しく低い調査兵団では、団員の誕生日を祝い合うことは恒例になっていた。
 しかし今は壁外調査の直前で、兵団内はピリピリとした雰囲気が漂っている。そんな中で派手に祝うのは憚られるのだろう。
 すれ違う兵士達が祝辞を述べてくれるが、みな控えめだ。お礼を言う間もなく去って行ってしまう。
 
 若い頃は誕生日にかこつけたどんちゃん騒ぎをよくやったものだ。今ではそんなことのできるくだけた間柄の仲間は退役したか、戦死したかで調査兵団内には殆ど残っていなかった。

 そもそも、もう誕生日を祝われて嬉しい歳でもない。
 そういえばいくつになったんだ?
 28ぐらいから数えるのをやめたような気がする。あれ?
 あー……ボケるにはまだ早いと思うのだが。

 そんなことを考えながら団長室へ入ると、壁際に花束がいくつも連なっている。駐屯兵団のピクシス司令や憲兵団の師団長であるナイル、その他付き合いのある上層部から贈られたものだった。
 調査兵団の団長ごときの自分にご丁寧なことだ。ああ、後で礼状を書かねば。
 
 香り立つ花を美しいと思えど、愛でる余裕など今はないというのに。
 一週間後は壁の外の殺伐とした世界の中だ。その頃にはこの花も枯れてしまうだろうか。

 憂いているのは花に対してなのか、花のように儚く散ってしまった命に対してなのか。
 壁外調査では毎回犠牲を伴うものだ。



 執務机に目をやると、色とりどりの包装紙に包まれたプレゼントが山のように置かれていた。団員たちからの贈り物だった。
 中身を開くと、焼き菓子、酒やタバコといった嗜好品、香水――
 皆、私の好みを熟知しているんだな。有り難いことだ。調査兵団の有能さをこんなところでまで実感するとは。 

 ……ちょっと待て、香水が多くないか? 気に入って使っている銘柄のものが少し数えて十以上はある。添えられているカードを見るとハンジやミケの名もあった。 

 ハンジに香水を贈られるとは……むしろ彼女の方がもう少し気を遣うべきだろう。
 しかし、ミケはどういう意図があってこの香水をくれたのだろうか?
 それにしても数が多すぎる。一体何故……

 もしや……、考えたくはないが……
 加齢……しゅ……
 いや、ないないない!ナイナイナイナイ!
 ……多分……
 
「どうしたんだ? いつもに増して険しいツラをして」
「会議でお疲れなんですよ。団長、お帰りなさいませ」

 ノックもせず団長室に入ってきたのは兵士長のリヴァイと、その部下のなまえだった。

「今日の報告書だ。置いていくぞ」

 リヴァイはそっけない態度で書類をデスクに置いた。

「今日は、誕生日だそうだな。めでたいと思ってもなさそうだが、一応、これを進呈する」

 あ、貸し出すだけだぞ。そう付け加え、彼の後ろに控えていたなまえの腕を引っ張り、私の目の前に差し出した。

「えっ……? 兵長!?」
 
 彼女は困惑した表情で、頬をほのかに染めている。
 
「……おめでとう」

 リヴァイはぶっきらぼうにそう言うと、団長室を後にした。そんな彼の姿に思わず吹き出しそうになる。
 
「兵士長の直属の部下ともなると、あまりゆっくり会う時間も取れないからな。彼なりの気遣いのつもりだろう」

 にこりと微笑みかけると、なまえにそっと近付き、胸に彼女の顔を埋めるようにして抱きしめた。彼女の方も両腕を私の腰の辺りに回してくる。
 団長である私と、兵士長の直属の部下であるなまえはお互い忙しく、最近は逢瀬の時間もなかなか取れないでいた。彼女の肌が恋しい。

 ふとその時、先ほどの問題が頭をよぎる。

「……待って! 旅の後で埃まみれで、汗臭いだろうし……」

 慌てて彼女の身体を引きはがし、後ずさりながら革張りの長椅子に倒れ込むように座った。窓際の執務机に並ぶ香水を視界の端にとらえ、そろそろ現実を受け入れる覚悟を決め、その上で対策を立てよう。そう思ったときだった。

「団長、これ、お誕生日プレゼントです……よかったら使ってください」

 彼女から受け取った包みを開くと、あろうことか例の香水だった。
 そうか……それほどまでに……
 皆、もっと使えという意味であれほど大量に贈ってきたのだな。
 ある種、絶望に似た言いようのない思いが胸を支配していく。

「もう歳だからな……いい加減覚悟を決めないとな」
「団長?」
「いや、旅の埃を落としてくるよ。待っていてくれるね?」

 長椅子に座る私の脚の間に立つなまえを引き寄せ、彼女の腰に腕を回しながらそう言うと、彼女は私の首元に腕を絡ませてくる。

「私は、このままでもいいです」
「だって、臭いだろう?」
「団長の匂い……? 確かに、とってもいい匂いがします。この匂いを嗅ぐと何も考えられなくなっちゃう…」

 そう言ってなまえは私の首元に齧り付くようにキスをした。

 何かのスイッチが入った気がする。瞬間、なまえを長椅子に押し倒していた。



 恋人との甘い時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。だからこそこれほど焦がれるのかもしれない。 
 窓を見やるとすっかり夜も更け、月明かりが差し込んでいた。
 
 執務机のプレゼントの山の隣に、書類の山も出来上がっていたことを思い出す。ある程度は片付けておかないと、後で酷い目に遭ってしまう。 
 服を適当に羽織って執務机に向かうと、同じように切り替えの早いなまえが燭台に火を点して持ってきてくれた。
 執務机に並べられた香水の瓶に気がついたなまえが、驚いたように呟いた。

「団長の香水……こんなに? みんな、団長に生き延びて欲しいんですね」
「え?」
「これ、調査兵団内で今流行してるんですよ。団長愛用の香水を付けると生存率が上がるって言って。団長が長く生き延びてらっしゃるのにあやかって」

 高いから、自分の分は買えなかったけど、と言って彼女は笑う。
 なんとも言えない安堵感で胸がいっぱいになり、深く溜息をついた。自然と頬が緩むのはほっとした気持ちからだけではなかった。

「移り香でも効果はあるのかな?」

 なまえの返事を聞く前に、後ろからきつく抱きしめてしまった。なまえからふわっと香るのは先ほどの行為で既に移っていた私からの移り香なのか、彼女自身のもつ甘美な香りなのか。

 せっかくあの鬼の兵士長が気を利かせてくれたんだ。もう少し酔ってみてもいいかもしれない。再び彼女の身体を弄っていく。

「だめですよ〜! お仕事! 残ってるから!!」

 あぁ、ここにも鬼がいたんだった。
 身体を引きはがされ、仕方なく書類に向かう。その間に彼女は壁際の花を丁寧に花瓶に生けてくれた。

「きれい」
「あぁ、きれいだな」


 儚いからこその美しさ。
 そうはいっても散らせるのは惜しいことだ。
 手元のたくさんの香水の瓶に目をやる。 
 
 花の香りを閉じ込めた香水。
 その香りを身に纏うとき、彼らの思いにもこの身が包まれるのだ。
 それは嬉しいような、少々照れくさいような不思議な気持ちなのだが、幸せなことには変わりがないのだろうな。

 もうすぐ控えている壁外調査を前に、調査兵団全員の無事を祈らずにはいられなかった。


2013.10.14
ハッピーバースデー!エルヴィン団長!!


(2013.10.11)

[ main | top ]