帰路

 最初はどこの誰かも分からなかった。
 急に現れ、奪い、去って行った。
 また現れ、貪られて、そんなことを繰り返すうちに飼い慣らされていった。



 彼が調査兵団の団長であるエルヴィン・スミスだと知ったのは、この館に連れてこられてから三度目の逢瀬の時だっただろうか。
 二階の主寝室の窓から何の気なしに帰路に就く彼を眺めていたときだった。彼が着ていた外套に、自由の翼とも称される、盾に翼を重ねた紋章が見えた。その外套をたなびかせながら、団長のみが騎乗を許されるという立派な白い軍馬に乗って、暁の空の下を駆けていったのだ。

 彼は月に何度か内地の郊外にあるこの瀟洒な館を訪れた。それは決まった日でも時間でもなく、いつも突然だった。夜半に来ることもあれば、明け方に来て僅かな時を過ごして帰ることもあった。
 


 星も月も出ない漆黒の闇の中、彼はまたやって来た。

 彼は主寝室に備え付けられている、クッションの効いた肘掛け椅子に身体を預け、果実酒をさらに蒸留させた酒を少しずつ味わうように飲んでいた。彼の掌の熱がガラスに伝わることによってその酒から立ちのぼる、甘酸っぱいような馥郁たる薫りが部屋に漂う。 

 調査兵団は数日前に壁外遠征から帰還したばかりだという。郊外のこの館で、ろくに口を訊いてくれない通いの使用人としか接点のないなまえが外界の情報を得られるのは、せめてもの慰みにと新聞が与えられているからだった。

「また、たくさんの犠牲を出したみたいですね」

 宵闇に沈む街を窓から見下ろしながら、半ば責めるような口調で皮肉めいたことを呟く。最近は彼に会うと、彼の怒りを煽るような言葉をわざわざ選んで、ぶつけてしまうことが多い。
 しかし彼は決して感情を露わにしなかった。反論することもなければ、怒ったり、まして暴力を振るったりということもない。
 ただ、その吸い込まれそうな美しい瞳の奥の方が、ほんの少しだけ炎が灯ったように揺らめいて、いつもより少々乱暴に抱かれるだけだ。

「死をも恐れず戦うって聞こえはいいけど、私にはただの盲目な集団に見えます。あなたの指揮で何人も犠牲になっているのに、さらに後に続く兵がいるのも理解できない……」 

 彼が椅子から立ち、背後に立つ気配を感じた。後ろから胴に腕を回され、身体を密着させてくる。

「あなたのしたいことって、何なんですか?」

 冷たく呟きながら顔を後ろに向けるとエルヴィンと視線が絡み合う。彼は手にしたスニフターグラスの中の酒を呷ると、そのまま口づけしてきた。頭をがっしりと掴まれ、抵抗できない中、灼けるようなアルコールの刺激が口内いっぱいに広がる。おさまりきらない分が口の端を伝って胸元まで零れていった。ごくんと喉を鳴らして飲み干すと、灼熱感を喉に感じ、思わず咳き込んでしまう。
 それが治まると同時に再び口内を蹂躙される。息をつく暇もないほどの激しい口づけに、先ほど飲まされた酒が一気に回り、眩暈のような感覚を覚える。

「それが私の役割なんだよ」

 彼はいつも諭すように、穏やかに言うだけだ。

「あなたはいつも、正論ばかり――」

 言い終わらないうちに、口づけで言葉を塞がれる。目を開いたままその口づけを受けると、彼もまた目を開いていた。彼の瞳が冷酷な光を灯しているのが分かり、胸がどくんと高鳴るような緊張感を感じた。歯列を割って口内を蹂躙する彼の舌を感じるうちに、いつの間にか目を閉じてしまっていた。



 こういう時の彼はろくに愛撫もせず、性急に捻じ込まれて、激しく揺さぶられて一方的に果てて終わるのが常だった。そういう抱かれ方は痛みを伴うものだが、その痛みこそ欲していたものだった。痛みがあれば、行為に溺れずに済む。
 憎み、憎まれて、酷くされ、痛みを感じなければ、心がばらばらになりそうな強迫観念があった。
 
 籠の中の鳥とはよく言ったものだ。何不自由ない生活を与えられてはいるが、外に出る自由はない。外に出られたとして、巨人の領域となった生家はもはや帰れる場所ではなかった。
 この生活を壊す勇気もなければ、彼の訪れを待ちわび、彼の気に入るように振るまい、そうして一生を終える覚悟もない。
 彼を憎み、憎まれるような言動を取ることで、取るに足らない自尊心を保つことが自分にできる唯一の抵抗だった。



 二人でベッドに雪崩れ込むと、エルヴィンはなまえが着ている夜着の裾を捲り上げて太腿から尻を撫で上げ、あっという間に下着を取り去った。

 後ろから尻を高く持ち上げられた四つん這いの格好にさせられ、秘所を舌で愛撫されていく。全てが露わになる恥ずかしい体勢に顔から火が出そうになる。
 秘所が彼の唾液で濡れそぼった頃、後ろから彼の膨張した肉棒がゆっくりと穿たれていく。指で慣らされていないそこは彼の大きいモノを受け入れるのに僅かな痛みを伴った。

 最奥を抉るように突き回されると、嘔吐きそうな苦しい感覚と背筋が痺れるような喪失感が交互に襲ってくる。
 僅かでも逃れようと、エルヴィンの抽送をいなすように身体が前へと動いていく。やがてヘッドボードまで突き当たると、そこにしがみつくようにして上体を支えた。

「嫌ぁ……痛い……のっ、死んじゃうっ……」

 自分で彼を煽ったくせに、情けない声を上げてしまう。そのぐらい彼の責め方は容赦がない。優しく抱かれたことなどないし、望んでもいないのだが、快楽よりも苦痛が大きく伴うそれは辛いものだった。
 エルヴィンの鍛え抜かれた厚い胸板とヘッドボードに逃げ場を失った身体が圧迫される。

「お願い……もう、むり……なの……」 

 こちらがどんなに懇願しても、彼の責めは止むことがない。彼は何も言わず、ただはぁはぁと熱い吐息を洩らすだけだ。
 後ろから貫かれている姿勢では、エルヴィンの表情は見えない。そのことに大きな不安と切なさを感じる。

 身体を支えていた手が力尽き、身体がベッドに崩れ落ちたところで、繋がったまま身体を反転させられ、エルヴィンと向かい合わせになったところできつく抱きしめられた。
 彼の肌の温もりが直に伝わり、妙な安心感を覚える。耳元で彼の熱い吐息がかかり、彼の美しい金色の髪に指を絡ませながら、同じように抱きしめたいような気持ちになる。



 このままずっと一緒にいられれば、それでもいいのかもしれないという考えがふと頭に浮かぶ。囚われの身でも幸せを見出す方法はいくらでもあるはずだ。壁の中の人類が百年の平和を実現させたように。

 でも、彼には帰るべき場所があるのだ。それは決してここではない、どこか。



 彼の胸板を両手でぐっと押すと、涙で潤んだ瞳で彼を見つめる。彼は一瞬驚いたように見つめた後、すぐにいつもの感情の読めない顔になり、素直に身体を離した。

 両の乳房を鷲掴みにされながら、再び激しく抽送されていく。彼の腕を取り払おうと手首を掴んで抵抗したら、彼の片手でまとめ上げられ、頭上に固定されてしまった。
 彼は抽送を繰り返しながら、空いた手で乳房を弄んだり、陰核を刺激したりして反応を楽しんでいるようだった。彼の顔が間近に迫り、そのきれいな瞳で自分の全てを見つめられることにどうしようもない高揚感を覚える。

 口には出さないが、うわごとのように頭の中を巡っていることは、とてもシンプルな気持ちだった。

――好き。

 しかし実際に口から出るのは、悲鳴とも嬌声ともつかない、はしたない声だった。
 永久に続くとも思えるほどの苦しさと快楽の中で、目の前が真っ白になる感覚とともに意識が薄れていった。

「君がどんな風に振る舞ったとしても、私には可愛いとしか映らないんだよ」
――永久に、可愛がってあげる。

 彼が呟く声を遠くに訊きながら、微睡みに落ちていった。


 
 まだ夜が明ける前、身支度を整えたエルヴィンはベッドに横たわるなまえの頬にキスをした。短い逢瀬に終わりを告げる合図だった。
 窓から帰路に就く彼を見る。朝焼けの空は紫色に染まっていた。そんな空の下を自由の翼を身に纏い、馬で駆けていく姿を、見えなくなるまでただ眺めていた。
 


 以前、彼に尋ねたことがあった。

「ご自分は壁の外へ、自由を求めて戦うのに、その一方で私のことはこんな狭いところに閉じ込めておくんですね」

 そう皮肉めいた口調で悪態をつくなまえに、エルヴィンは、

「そういう矛盾もあるんだよ」

 と穏やかな口調で、しかし冷たく言い放ち、静かに笑っていた。

 その時は、自分は賢くないからそんな矛盾は解らないと言って彼をさらに詰ったが、今なら彼の言う矛盾も少し解るような気がした。


(2013.9.28)

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