もっと知りたい

 団長補佐の役割は、いつも団長である彼の側に付き従うこと。

 調査兵団を率いて壁外調査で指揮をとる姿。
 兵団の会議で力関係のバランスを取りながら秀逸に立ち回る姿。
 寝る間も惜しんでデスクに向かい、書類と格闘する姿。
 
 団長補佐であるなまえは、団長である彼――エルヴィン・スミスの様々な姿を知っていた。
 彼女はそんなエルヴィンの姿に心が動かされそうになるのを、彼に対する尊敬の念だと信じて疑わず、彼の一番側にいて、一番の理解者でありたい、と団長補佐の役割に徹していたのだ。



 いつもの隊服ではなく、華やかなドレスに身を包み、内地で行われる夜会に団長と共に顔を出すのも団長補佐の役割だった。
 社交行事と兵団の運営は切っても切り離せない関係にある。兵団の運営資金を出資しているのは大多数が内地の貴族であった。団長には兵団と内地の貴族を繋ぐ窓口業務のような役割もあり、こうして壁の外の活動と全く関係などなさそうな社交行事に足を運ぶのもそのためだ。

 ドレスアップをして、団長であるエルヴィンのエスコートを受けると、まるで夢の中にいるような、足元が浮いたような心地になる。でも、そんな夢の世界はすぐに打ち砕かれ、現実に引き戻されることをなまえは知っていた。


「まただ……」

 ちょっと化粧室に行っている間にエルヴィンは着飾った貴婦人がたに囲まれていた。これはもう見慣れたいつもの光景だ。
 彼もまた普段の隊服ではなく、シンプルながら仕立ての良さそうな正装を纏っている。精悍なその出で立ちに、持ち前の容姿の華やかさとスマートな態度で、彼は社交界で貴婦人たちの人気の的となっていた。

「また壁の外のお話をお聞かせくださる?」
「今度我が家の夜会にもお越しになって」
「戦場で指揮する姿はさぞ凛々しいんでしょうね」

 女性たちから矢継ぎ早に飛んでくる黄色い声に、彼は穏やかで優雅な微笑みを浮かべながら愛想よく答えていた。冷酷な指揮官はどこへいったのやら、となまえは半ば呆れたような視線を彼に向ける。
 その笑顔は完全に作り物であることを彼女はよく知っていた。貴婦人たちの背後にある札束に微笑んでいるのだ。その美しい顔が時々ぞっとするように恐ろしく感じるのは気のせいではない。彼は手段を選ばない男だ、ということも解っている。

 とてもその場へ戻れないなまえは、エルヴィンが視界に入る位置で待つことにした。いくらこういうパーティーの席であるとはいえ、常に彼の行動を把握しておく必要があり、何かあれば身を盾にして彼を守るというのも補佐の役割だ。ウエイターからシャンパンの入ったグラスを受け取ると、テラスに近いベンチに座った。
 彼のこういう姿を見るのは、はっきりいって不愉快だった。本来エスコートするべき女性をほったらかして、他の女性の相手をするなんて。
 でもきっと調査兵団のため、これも団長の役割なのだろう。ささくれ立った心を落ち着けるように、なまえはシャンパンを喉に流し込んだ。

 エルヴィンの様子をじっと窺っていると、一人の女性とワルツを踊るようだった。想定外の彼の行動になまえの胸がざわめく。いつもだったらエルヴィンはすぐに彼女のところに戻ってくるはずだった。「まいったよ」なんて言いながら困った顔で微笑んでくれて、こんなもやもやした気持ちも吹き飛ぶはずだった。

 なまえは彼が踊る姿は目にしたことがない。当然彼女とも踊ったことはなかった。可愛らしく微笑むその女性の手を取り、エルヴィンもはにかんだように微笑んでいた。すらりと背の高い彼が踊る姿は思わず見とれてしまうほどで、その女性もうっとりと夢見心地なのが見てとれる。
 怒りなのか、悲しみなのか、説明のつかない感情が一気に湧き出て、なまえの思考を支配していった。

 ……きっとこれは、やきもちというやつなのかもしれない。でも、どうして? 私はエルヴィンのことが好きなのだろうか。

「お嬢さん、よかったら私と踊っていただけませんか」

 不意に話しかけられ、ちらとそちらを見ると、華やかな礼服に身を包んだ貴族の青年だった。
 彼女の脳裏にある考えが浮かぶ。もし自分が他の男と踊っていたら、エルヴィンはどう思うのだろうか、と。彼は何とも思わないのかもしれない。それでもこの劣等感のような気持ちは晴れるかもしれない。
 差し出された男性の手に、「よろこんで」と答えてしまった。



 優雅な楽曲の調べに合わせてワルツを踊っていても、なまえの頭にあるのはエルヴィンのことばかりだった。どうして彼がこんなに気になってしまうのか。踊りながら目の端に映る楽しそうな様子の彼らに、鬱々とした気持ちを隠そうと、目の前の男性ににっこりと微笑みかけた。いつもエルヴィンがしていることだ。この男性の背後にも札束が見える。
 
 しばらくその男性と踊っていると、突然背後から手が伸びてきて、男性の手と肩に添えられていたなまえの両手が掴まれた。

「失礼、これは私の補佐官ですので」

 後ろを振り返るとエルヴィンだった。ダンスの途中でパートナーを奪うなど、マナーに反する。彼らしくない大胆な行動になまえは驚く間もなく腕を引っ張られ、人気のないテラスへと強引に連れて行かれた。

「団長!?」
「ごめん。君が他の男と楽しそうにしているのを見て、気付いたら……」  
 
 彼はそう言って少し慌てふためいた様子を見せた後、なまえをぎゅうっと抱きしめた。長く下ろした髪の毛に彼の手が差し込まれ、頭を彼の胸板に押し付けられ、息をするのも困難なくらい、力強く。
 彼の反応は予想以上だった。なまえは驚きと戸惑いで高鳴る心臓を抑えながら、ぽつりと呟いた。

「いつも団長がなさっていることです」
「え?」
「私がいつもどんな思いで見てたか、分かりますか?」

 言いながら、勝手に涙がぽろぽろと溢れるのを慌てて拭う。
 エルヴィンは幼い子をあやすように、ぽんぽんと優しくなまえの頭を撫でながら言った。 

「君がもっと早く素直になってたら、こんなに泣かずに済んだのに」
「……えっ?」
「どうやったらなまえが私の興味を持ってくれるのかと、いろいろ試みていたんだが、やり過ぎたみたいだな」

 そう言っていたずらっぽく笑うエルヴィンのその笑顔は、貴婦人たちに向けられるものとはまるで種類が違っていて、なまえにはきらきらととても眩しく見えた。
 
 ……憎めない。私はやっぱりこの人が、好き……なのかも。
  


「ところで」

 彼の声音が突然厳しいものになり、びくりとして彼の方を向き直す。

「私以外の男に視線を向けるなんて、補佐としてあるまじきことだ。君の役目は常に私を見て、側に控え、命令を忠実に守ることだ」
「……は、はい。申し訳ありません」
「今夜、そのことを教えてやろう。君の気持ちが解った今、もう回りくどいことなんてしない」

 見開いたなまえの瞳に、エルヴィンの顔がゆっくりと近付いてくるのが映った。その甘く官能的なキスを受けながら、彼の底知れぬ雰囲気に身を震わせる。一体いつから? それでも惨めに嫉妬するよりは余程いいだろうと思ってしまうなんて、もう既に、彼に落ちていたのだろうか。

 ……いや、そんなのずるい! このままでは負けな気がする。なまえはなぜかそう思ってしまった。

「はい、よく教えてください。団長補佐として、今後も努力を重ねていきたいと思います」

 情熱的な長いキスの後、真剣な表情でそう答えると、エルヴィンは目を丸くして少し驚いている様子だった。

「……意味、解ってる?」

 エルヴィン団長は怖い人。こうして獲物の心を揺さぶって、いとも簡単に落としてしまう。それは認めざるを得ない。
 でも女の嫉妬も手強いってこと、解らせてあげたい。

「補佐としての心得を教えてくださるんでしょう? 他にどんな意味が?」

 きょとんとして、そうとぼけた振りをすると、エルヴィンはきっちりと止められた前髪を掻き乱しながら、ベンチに座って項垂れ、大きく溜息をついた。

 妙にすっきりした気分で、もう少しこのままの回りくどい関係でも良いだろう、となまえは思った。座るエルヴィンの正面に立って彼を見下ろし、同じように溜息をつきながら言った。

「もっと早く素直になってたら良かったのに、ね」
「団長である私におあずけを食わせることができるなんて、君だけかもしれないな」
「団長補佐として、最高の褒め言葉だと受け取っておきます」
「……敵わないよ」

 見上げたエルヴィンの前髪が乱れている。その無防備な苦笑いの表情に、なまえはなんだか彼が可愛く感じてしまい、その形の良い唇に噛み付くようにキスをした。

 こんな風に今まで見たことのない彼の姿をもっと知りたい、と胸が高鳴るのを心地良く感じながら。


(2013.12.18)
Thanks:てむさま

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