嘘つきでしたたかで愛すべき生き物

 失恋をした。

 彼の心が少しずつ遠ざかっていくのが解っていた。
 同じベッドで寝ているのに、二人の距離は開いていて、寄り添って寝ていたときに感じていた温もりは、二人の間を通り抜ける隙間風の冷たさに変わった。
 苦しくて、辛くて、涙が出そうになる。
 もしかしたら彼の心が戻るのではないかと期待するのが惨めだった。惰性でも同じ時を過ごすたびに、沸き上がる期待と、それを上回る大きな落胆。
 期待するから落胆するのだ。
 いっそ手放してしまえば楽になる。

 静かに別れを告げた。




 
「どうしたの? 心ここに在らず」

 後ろから頭をぽんと叩かれ、振り返るとナナバさんだった。
 同じ班に属する上官。どこか中性的で落ち着いた物腰の彼は、穏やかな笑みをたたえてなまえの隣に座った。

「すみません。迷惑かけて……」
「そうだね。このままじゃ巨人に喰われちゃうかもね」

 上手くいかないことだらけだった。
 訓練でも重大なミスをやらかし、自己嫌悪でふさぎ込んでいたところに、淡々と言葉を掛けられる。今は誰の言葉だって聞きたくないのに、その静かで透き通るような声音は心に染み渡っていくような気がした。

「そういえば、例の彼と別れたんだって?」
「……はい。男に振り回されて、仕事でもミスして、馬鹿みたいですよね……」
「こういう時、どうすればいいか知ってる?」

 真剣な顔で尋ねられる。正しい返答をしなければならない、そう緊張感が走り、身体が強張った。でも言葉が出てこない。
 ナナバさんは立ち上がって、私の手を引いて歩き出した。



「酒だよ! 酒! こういう時はパーっと飲んで忘れちゃえばいいんだよ」
 ナナバさんに連れていかれたバーでは、すでに同じ班のゲルガーさん達が出来上がっていた。
 騒がしさに紛れると、確かに孤独を忘れられるものだ。彼らの気遣いを嬉しく感じる。
 しかし、なんでもない会話をしながら、笑って、楽しいと感じている割に、いくらお酒を飲んでも酔えていない気がした。

 隣で度数の高い蒸留酒を飲み、多少の酔いも入っているであろうナナバさんはいつもより色っぽく見えた。思わず目を逸らしてしまう。
 普段から落ち着いていて、穏やかで、何を考えているのかが意外なほど掴めない人だった。
 彼はソファーに深く腰掛け、なまえを下から上まで眺めるように見つめながら、うっとりとした表情で言った。

「なまえは綺麗だなぁ」

 思わずどきっとしてしまう。きっと彼のこの悩ましげな姿の方がよほど綺麗だ。

「ナナバさん、酔ってるんですか?」
「酔ってないよ」
「嘘、酔ってる」
「酔ってないって」
 
 手をひらひらさせてそう言いながら、彼はこちらにふらっと倒れ込んできた。咄嗟に抱きとめると、まるで二人で抱き合っているような体勢になってしまい、さらにドキドキしてしまう。
 本当に彼は酔っぱらっていた。既に時計は深夜を差していたが、その場にいた班員はものすごい量の酒を飲んで盛り上がっており、朝まで飲み明かしそうな勢いだった。

「ああ、仕方ないな。なまえ、ナナバを送ってやってくれ」

 そうゲルガーさんに頼まれ、前後不覚になったナナバさんを支えながら、引きずるようにして彼の部屋まで連れていく。
 
 彼の部屋に着き、ベッドへと横たわらせた。彼は既に目を閉じて、すぐにでも眠ってしまいそうだった。
 真面目そうにみえて、不真面目みたいだし、お酒に強そうにみえて、弱いみたいだし、本当に不思議な人だ。そうナナバさんのことを覗き込むように見つめて、帰ろうとしたときだった。

 ぐいっと手を引っ張られ、気付いたら身体がベッドへと押し付けられていた。ナナバさんに両腕を押さえられて、覗き込むように上で見下ろされている。
 
「ナナバさん、酔ってるんじゃ……」
「酔ってないよ」

 彼はやはり穏やかに微笑みながら言った。酒のせいかほんの少しだけ上気した顔で、扇情的な眼差しを向けて。
 こういう男の人の顔を知っている気がする。でも彼にこんな風に見つめられるのは嫌じゃなかった。

「もう一つ、有効な方法があるんだ。試してみる?」

 答えを告げるより早く、彼に唇が塞がれた。
 
 ねっとりと絡み付くような舌の動きに、彼の熱い吐息に、ぞくぞくと沸き上がるものを感じて思わず喘ぎが洩れてしまう。
 今頃になって酔いが回ってきたような気がする。頭の芯がくらくらして、正常な判断を狂わされるような、そんな感じ。

「……ふぁ、あ……」
「なまえ、可愛い」

 ちゅ、と音を立てながら唇を離すと、そのまま唇は胸元へと下りていった。彼の息がかかるたびに、その舌で舐められるたびに、びくんびくんと反応して、もどかしい感じが下半身に伝わっていった。
 彼の指や舌が与える刺激に、驚くほど素直に反応してしまうのを、必死にこらえた。

「……だめ、ナナバさん……」
「どうして? ここはもうこんなにとろとろに溢れてるのに?」

 秘所を弄んでいた指を離され、代わりに彼の滾ったモノで前後にぬるぬると擦り付けられる。

「欲しいんでしょう?」
「いや……、意地悪しないで」
「ちゃんと言ってごらんよ」

 罠にかかった獲物のようだった。いつから彼の罠に陥っていたのだろう。
 それでももう服従するしかなかった。

「……っ、ナナバさん。お願い……、欲しいの」
「ふふ、いいよ。気持ちよくしてあげる」

 じれったく動かしていたそれを一気に深く突き立てられる。彼のモノで埋め尽くされたそこがビクビクと収縮し、それだけで軽くイってしまった。
 ゆっくりと奥を抉るように腰を動かしながら、恍惚とした表情でナナバは呟いた。

「は……、あ、……なまえ、……ずっとこうしたかった」
「……あ、んっ……うぅ、嘘……っ」
「嘘じゃないよ」

 どこからが嘘で、何が真実なのかはもうどうでも良かった。 
 突き上げられるたびにベッドの上の方へと追いやられると、彼の手が頭を押さえるように包み込み、覆い被さるように身体を密着される。
 まるで「大丈夫だよ」と言われているみたいだった。彼の身体は思ったより大きく、温かかった。
 喘ぎ声まで飲み込まれてしまうような激しい口づけをされ、彼のモノが最奥まで押し込まれて、戻され、その繰り返しで頭が真っ白になる感覚の中で、意識が途切れた。





 窓から差す光で目を覚ますと、隣でナナバさんが寝息を立てていた。
 酒に酔った男の人の言動は信用しちゃいけない。裸のままの身体を起こし、がくっと項垂れて、頭を抱えた。少し頭痛がするのは昨夜の酒のせいだろう。ぽつりと呟いた。
 
「男の人はずるいなぁ」
「女の子だってずるいと思うよ」

 背後から伸びた彼の腕が、胸と肩に絡み付き、背中に彼の胸が密着する。
 ぎゅっと抱きしめられている。 
 欲しかったのは、約束された関係でも、相手の心でもなくて、この温もりだけだったのかもしれない。心は穏やかに凪いでいた。 

「なまえ、好き」 

 耳元で囁く彼の言葉が100%は信用できないけど、私は騙されるふりをする。 
 とりあえず、今のところは。

「ナナバさん、私も、好き……」

 それさえも見透かしているかのような彼の瞳に吸い込まれそうになり、その隙にまた唇を奪われた。


(2013.11.16)

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