一瞬にして静寂が部屋を支配した。
呼吸の仕方さえ忘れてしまったようななまえが、居た堪れなそうに顔をそらしている。

彼女は目も合わせずに、この関係をやめたいと言った。
細い両腕で懸命に胸を押し返している。それはなんの抵抗にもなりはしないのだけれど、大きな隔たりが二人のあいだに確かにあった。

エルヴィンが腕をついて身体を少し起こすと、密着していた下半身同士も離れ、なまえは少しほっとしたように小さく息を吐いた。
理由を訊ねても答えないだろう。この顔はきっと本心からの言葉ではない。
「壁外調査の前に言わなきゃって、ずっと思っていました。このままズルズルとこんな関係続けたくなくて」
沈黙に耐えきれずに、なまえが堰を切ったように話し出す。声がわずかに震えていた。
「前みたいに、ただの上官と部下の関係に戻りたいんです」
「そんなこと言われて、俺がハイそうですかと言うと思うか?」
「え」
なまえが驚いた顔をして、やっと目が合った。完全に予想外といった表情だ。
それはエルヴィン自身にも当てはまった。こんなことを口走るなんて、と心の片隅で興奮しながら、横たわっていた彼女を起こして、身体を向き合わせた。
「どうしてこのタイミングなんだ? それならお互いが飽きてからでもいいはずだ。それとも俺に飽きたのか?」
「それは……」
「俺はなまえが好きだよ。君もそう思ってくれてると思ってた」
彼女の反論を待たずに、畳み掛けるように告げた。意図したものではなく、完全に勝手に口から出てしまった言葉だった。
みるみると彼女の目がこぼれ落ちそうに潤んでいく。しかし少しの間の後、首を振って否定した。
焦燥が胸を支配していく。
焦るな、と心の中で叫んだ。間違えたら彼女を失ってしまうだろう。こんな言葉を言ってしまったら、彼女は余計に拒絶してしまうと頭では分かっていたのに、他に言うべき言葉が見つからない。
「俺はなまえとずっと一緒にいたい。大事なんだ。君との時間が」
「私も、ずっとこのままでいられたらって、何度考えたか」
「なら」
「あなたは、調査兵団の団長じゃないですか」
責めるでもなく、嘆くでもなく、ぽつりと呟くようになまえが言った。

なまえがかつて恋人を壁外調査で亡くしていることは、ミケから聞いて知っていたし、彼女が親密な関係を築くのを怖がっている節があったのはよく解っていた。
でも結局なにもしなかった。諦めていた。そんな情熱も、時間も、もう持ち合わせていないと思い込んで、大人ぶっていた。
しかし半分はこの関係がこのままズルズルと永久に続いていくと、どこかで信じたかったのかもしれない。
なまえを失いたくない気持ちがせめぎ合う。
失うくらいなら突き放したい。
ずっとそばにいてほしいと縋り付きたい。

「そうだな」
エルヴィンはなまえを見つめた。
「俺は調査兵団の団長だ。いつ死ぬかもわからない。だから好きにはならないと、そういうことか」
なまえはしばらくの間考え込み、ゆっくりと頷いた。伏せた睫毛が小さく揺れている。
「ならどうして、俺をわざわざ呼び出したんだ?  別れを告げるだけなら、さっきの執務室でだって事足りるはずだろう? なんなら手紙でだっていい」
「……っ、会ってちゃんと話したくて」
「そもそもちゃんと付き合っていたワケじゃない。ならちゃんと別れなくたっていいはずだ」
「それは」
「こっちを期待してたんだろう? 俺とは身体だけの関係だって、そう言ったのは君だ」


なまえを、とん、とベッドに突き飛ばす。不意をつかれたなまえは簡単に倒れこんだ。
追うようにそのまま覆いかぶさる。咄嗟に抵抗しようとした彼女の腕は片手で抑え込んでしまった。
なまえは驚いて目を見開いた。身体を硬くして唇を噛み締めたその表情が、おそらく彼女の意図することは違う方向に働いていく。ひどく扇情的だった。
思えば最初から、彼女は従順だった。そんななまえがそんな表情をするなんて。
頭が真っ白になる。
硬く結ばれた唇を強引に手でこじ開け、そのままそこにキスをした。


(2015.10.30)
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