うっかり団長補佐になってしまいました。



団長補佐の仕事は多忙だ。
朝、出勤したらデスクに山のように書類が積まれている。そのひとつひとつには団長の麗しい筆跡で決裁がされていた。なまえが前日に団長の執務机に置いたものがそうやって戻ってくるのだ。それを関係各所に振り分け、やっと提出が終わったと思ったら、また新たな書類が来る、といった次第だ。処理をして、また団長の決裁をもらわなければならない。しかし多忙な団長を捕まえるのは容易ではなかった。
これでもまだマシな方だという。まだ次の壁外調査が決まっていないから、むしろ暇な方なのだと団長や他の幹部たちは言っていた。繁忙期は一体どういう状態になってしまうのか、全く想像ができない。というか、したくない。

「昇格だ。よかったななまえ」
数週間前、顎ヒゲを右手でさすりながら、いたって事務的にこの人事の通達をしたミケ分隊長の顔が思い浮かぶ。結果的にはちっともよくなかった。
以前なまえは分隊長のひとりであるミケの補佐官をしていた。分隊長付きのときも仕事はそれなりにあったけれど、ここまで忙しくはなかった。
団長補佐に欠員が出たことによる繰り上がりの昇格だと聞かされたが、前任の団長補佐はきっとあまりの多忙さにドロップアウトしたに違いない。

今日はあまり大人しく執務机に座っていることのないエルヴィン団長が、珍しく朝から座って執務に励んでいるようだった。カリカリとペンを走らせる音が絶え間なく聞こえる。書類に落とす眼差しは真剣そのもので、久しぶりにみる団長のその表情になまえはどきりとした。
それに、最近はこの部屋でなまえが一人で仕事をすることも多かったから、かえって落ち着かない。
書類に向き直り、何事もなかったように、仕事に集中を向けた。しかし集中しようとすればするほど、意識してしまう。これは今日も残業することになりそうだ。

正午間近になるとエルヴィン団長はにこやかな笑顔を向けて機嫌良さそうになまえの名を呼んだ。
「なんでしょうか?」
視線を書類から動かさずに、なまえが答えた。
「そろそろランチに行かないか? 食堂のはあまり好きじゃないから、外に出よう」
「すみません、持参してきています。仕事しながら食べたいので(じゃないと終わらないので)」
なまえは申し訳なさそうに答えて、そこではじめてエルヴィンの方をちらと見た。
「なんだ」
ふぅ、とため息をつきながら不服そうにするその表情は、普段団員たちに見せるものとはまるで違っていた。彼は冷静沈着で冷酷な人ではなかったのか。氷のように冷たい眼差しを向けながら、団員たちを死をも恐れない精神状態へと鼓舞することもできる人だ。
怖い顔しか知らなかった。こんなにくるくると表情が変わる人だったとは。

エルヴィン・スミスという男はなまえの苦手なタイプだった。
眩しいのだ。とにかく。
光を受けてキラキラと輝く金髪に、深い泉のように吸い込まれそうなブルーの瞳。恵まれた体躯。美しすぎる容姿を持つ人は苦手だ。近寄りがたい。
あとはーー

「必要以上に休息を取らないのも、必要以上に残業をするのも、自分が無能だと言っているようなものだ。さ、行くぞ」
「っ、待ってくださ……」
リーダーにはありがちなのだろうか、エルヴィンは予想以上に強引だった。思い立ったように立ち上がると執務室の入り口のコートハンガーに掛けてあった深緑のマントを二人分肩に引っ掛け、なまえの腕をぐいと引っ張る。
「わからないところがあれば、あとで教えてやるから」
そう軽々しく言う彼の言葉が実現したことは、今のところ確率としては半々だ。彼自身もとても忙しい人だったし、本人にそういうつもりはなかったとしても、結果的に約束を反故にされてしまうことはよくあった。

傲慢。

きっと有能な人間には解らない。
デスクに残されたやりかけの仕事になまえは後ろ髪を引かれる思いがした。
「ほら」
エルヴィンが肩に掛けていた緑のマントをなまえに手渡した。なまえはわざとらしく眉間にしわ寄せて、そのマントを渋々受け取る。それを面白そうにエルヴィンは眺めた。
なまえは先を歩くエルヴィンの後ろを追いかけるように付いていった。自由の翼が彼の背にはためいているのが目に入った。
エルヴィンの補佐になってからというもの、なまえは彼に振り回されてばかりだった。


(2015.10.12)
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