ベッドサイドの照明が映し出す影が揺れた。
なまえに与えられたツインルームのベッドは、ダブルサイズだ。エルヴィンの部屋のものよりサイズが小さい。しかし十分な広さだった。彼が滞在しているホテルのインペリアルスイートに備え付けられているバスルームは2つ。毎日新しいタオルとバスローブに取り替えられる。
着ていた制服を脱いでシャワーを浴び、バスローブを羽織ったなまえは、部屋の端のイーゼルに目を落とした。ここに連れて来られた時、慌てて持ち込んだものだ。キャンバスは乗せてもいない。
明日、また明日と思って、手をつけられずにいた。そして今日も思う。また明日。照明が暗すぎる、絨毯がふかふかすぎて不安定だ、などと理由をつけては先延ばしにしているのだ。
手に取ったのは鉛筆とクロッキー帳。美大受験に備えて静物デッサンの練習だけは欠かさなかった。
白と黒の世界。仄暗いホテルの部屋では遠近感の描き分けが難しい。幸いにもモチーフはたくさんあった。高級感あふれる家具、調度品の数々。毎日取り替えられる花も果物も。

「毎日よく飽きないものだな」
不意に背後から声が降ってくる。振り向けば、ダークスーツに身を包んだエルヴィンの顔が目の前にあり、絵を覗き込むように見ていた。こんなに近づかれるまで全く気付かなかったことに驚く。彼が職業柄、気配を消すのが上手いのか、それともなまえが集中しすぎたのか。
考える間もなく唇を塞がれる。外が寒かったのか彼の唇は一瞬ひんやりとして、すぐに生暖かい感触に変わった。そして熱い舌が入り込んで、口の中を蹂躙する。
身体中から力が抜けていく感覚がする。手から鉛筆が滑り落ち、次の瞬間にはベッドに押し倒されていた。体がベッドに沈み込むのとほぼ同時に、エルヴィンが覆いかぶさる。
首筋にキスをされて、太腿を撫で回される。バスローブはいとも簡単に脱がされてしまった。
一方の彼はというと、上着はソファに投げ捨てるように置いて、ダークカラーのネクタイをわずかに緩めただけだった。ひょっとしたらまたすぐ出かけるのかもしれない。
足の間を割られて、彼のものが押し付けられる。その瞬間、息が止まる。
なまえはその衝動を受け止めるので必死だった。
文句を言える立場ではなかった。

彼が動くたび、タバコと香水の匂いが鼻腔をくすぐる。それと、かすかに鉄のような匂い。火薬のような、それとも血の匂いなのかもしれない。あまり詳しいことは想像したくなかった。彼の生きている世界は普通ではない。

繋がったところからぐちゅりと卑猥な音がきこえる。半ば、強引に埋め込まれた彼のものに、身体が順応していき、甘い痺れまで呼び起こされていった。
足を高く持ち上げられて、奥まで突き上げられる。
「……ふっ、んんッ」
声を押し殺して、それでも耐えきれないぶんが、なまえの噛みしめた唇の間から漏れた。
「……ほら、もっと声、出せよ」
エルヴィンはその低く冷たい声音の割に、ひどく愉快そうになまえの顔を覗いた。
呼吸を求めて口を開けたなまえに、エルヴィンはかぶりつくように唇を重ねた。
息ができない。


静けさを取り戻したベッドからタバコの煙が立ちのぼる。ベッドに腰掛けて、エルヴィンが気怠げに煙を吐いた。
そのベッドの対角線の端っこでなまえはエルヴィンに剥ぎ取られたバスローブをのろのろと身に付けていく。
「しばらく戻れなくなった。2〜3日で片付くとは思うが……」
背中越しに彼の声が聞こえた。振り向くと、彼は立ち上がって、ソファに脱ぎ捨てた上着のポケットから紙幣の束を取り出した。
「多めに渡しておく。いい子にしてろよ?」
彼がサイドテーブルに置いた紙幣は、10枚は軽く超えているように見えた。高校生のお小遣いにしては多すぎる額だ。なまえは驚いて、少し困った顔で彼を見上げた。
エルヴィンは上着を片方の肩に引っ掛けて、少しかがんで吸いかけのタバコを灰皿に押し付けた。もう発つのだろうか。
「ん? 足りないか?」
彼はなまえの表情に気付いてそう尋ねると、胸ポケットから新たに紙幣を出そうとした。なまえは慌てて首を振る。
「ちっ、違うの……」
額が多すぎる。面倒を見てもらう約束はしたが、こんな大金をもらうのは心苦しかった。それがセックスの対価であることも。
なまえが言葉に詰まっていると、エルヴィンがクスリと笑った。
「ああ、なんだ、寂しいのか?」
愛しい者に向ける表情というよりは、何か面白い生物を見ているような表情を向けていた。困ったやつだな、と呆れながらも満更ではない様子だ。
(それも違う……!)
思わず固まってしまったなまえが否定するより早く、エルヴィンがなまえを抱きすくめた。
「……そうだな、せっかくだから3日分やっとくか」
耳元に彼の唇が触れて囁かれた。熱い息がかかる。ぞくりとした。

身体と引き換えに、エルヴィンの庇護を受けること。
それが、つい先日から始まったエルヴィンとなまえの関係だった。

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