渇望/2

戦いの中で彼が右手を失ったと知ったとき、不思議と驚きも落胆もしなかった。命の危機に晒されているのはなにも彼だけではなかったし、生き残ったら生き残ったで次の脅威に晒される。
死ぬのも案外簡単ではない。
とりたてて功績のない一調査兵が偶然にも命を長らえてしまうように。
彼が右手をなくしても、残酷な拷問を受けても生き残ったように。

次に彼を見た時、彼は兵団幹部の着るロングジャケットを身に纏い、大勢を引き連れていた。一度どん底に落ちた筈なのに、最後に会ったときとまるで変わっていない。人の輪の中心にいる人。光り輝く特別な人のままだった。
変わっているとしたら、右腕があるべき場所の袖が不自然に窪んでいるところぐらいだ。
「あ、なまえ」
彼を取り巻く人々の中の誰かに名を呼ばれ、その声に彼が反応した。なまえの姿を見つけると、彼は僅かに目を見開いて、それから口だけで少し微笑んだ。
彼は周りを囲む人をかき分け、まっすぐになまえの元へ向かって歩いてきた。
「なまえ」
すぐ正面に立たれたら、身長差で彼の表情は伺えない。少し顔を伏せて敬礼したが、しかし彼は遠慮なしになまえの顔を覗き込んだ。青い瞳と目が合う。
「無事、だったんだな」
「……ええ、団長もお元気そうで」
「ああ」
そう微笑みながら言うものの、彼の表情が少し曇る。そのことは調査兵なら誰もが知っている。気の利いた台詞のひとつも思い浮かべば、と思ったものの、なまえは言葉が出なかった。
「今夜、会えるか?」
唐突に、彼はそう言った。それは尋ねているようで、決してそうではなかった。心臓の鼓動がだんだんとけたたましくなる。彼の顔色は変わらないが、選択肢など他に用意されていないのはよく知っていた。
「……はい」
彼を前にすると勝手に言葉が出てしまう。なまえは逃げるように彼に背を向けて走り去った。


夜半になまえが約束どおりに彼の部屋へ行くと、彼は服を寛がせてベッドで横になり、目を閉じていた。眠っているのかもしれない。拍子抜けしたと同時に、少しほっとしてなまえは胸を撫で下ろした。
「団長」
なまえが小さく呼びかけると、彼の睫毛が少し揺れた。
「……ああ、なまえか」
疲れているのか、目も開けずに彼が答える。
失ったのだという、包帯の巻かれた彼の右腕が衣服から覗いて見えた。巨人に喰われたという割には綺麗そうに見える。彼のことなら、巨人から逃れるために、あるいは。想像しかけて、なまえは目を逸らした。
「呆気ないものだろう」
ベッドの端に腰を下ろしたなまえの手を彼は左手で取り、優しく口づけた。
彼の腕はとても太い。筋肉で覆われたそれは、激しく酷使し、それを継続することによって得られた産物だ。それが一瞬にしてなくなってしまう。そのことを言っているのだろうか。
(ただの肉の塊になってしまったんだ。彼の右腕は)
完璧だった彼は、不完全になってしまった。
ここ最近の彼は何度も命の危機に直面している。右腕を失い、投獄されひどい拷問を受け、挙句には処刑されかけた。
なまえはふと想像して、身震いをした。彼の心配などしていなかったはずなのに、考えれば考えるほど恐ろしい。
彼から逃れたいと思っていた。憎むべき相手だと。
しかし少しの間そうなってみれば、残ったのはただの虚無だった。
エルヴィン・スミスがいなければ、まるで価値のない人生。

「そうだね。利き腕を無くしてしまったら、もう、前みたいには」
腕を、手足を拘束されることも。乱暴に組み敷かれることも。めちゃくちゃに犯されることも。
きっともうない。
「私が、めちゃくちゃにしてあげる」

彼の腰に跨がると、なまえは中途半端にはだけた彼の服のボタンを性急に外していった。あらわになった胸の頂に齧り付く。いつも彼がしていたように、舌で転がすように弄ぶと、だんだんと彼の呼吸が大きくなる。固くなったそこを前歯で噛むと彼は声を上げた。
「痛い?」
愉快そうになまえは笑った。

ほとんど何の準備のないまま彼を受け入れるのは辛い痛みを伴った。僅かな湿り気を探り当てながら、少しずつ腰を落とす。柔らかい部分が引き攣れるようにチリチリと痛んだ。やっとの思いで全部埋め込むと、ようやく彼の顔を見ることができた。
少し痩けたような気がする、頬のラインに指を滑らせる。酷く殴られたのであろう、顎にある痣を辿り、そのまま首筋に手を掛ける。少し力をこめれば彼の鼓動が指先から伝わってきた。
「俺を殺すつもりか」
なまえは首を振って笑った。埋め込んだ彼のものを引きずり出してはまた沈める。歪む彼の顔を見詰めながら、自らも表情を歪ませて。確かに痛みは伴うが、繋がった箇所から痺れるような快感が沸き上がるのも同時に感じた。
呼吸が苦しい。酸素を求めるように口を開けて仰け反れば、意識が遠ざかりそうに視界が白む。
おもむろに彼は左手でなまえの手を掴み、腰をなまえに強く打ち付けた。突然の刺激になまえは彼の胸に倒れ込んだ。
天地がひっくり返る。押し倒したと思っていた男に軽々と押し倒されてしまった。
そして左手一本で簡単に動きを封じ込められてしまう。
残念だったな。と言って彼は笑った。
以前のままの位置関係だった。
支配されるものと、支配するもの。
抵抗しようにも、左手一本で両腕の動きは封じ込められ、彼の動き一つでどんでもない苦痛を受け入れなければならない。
なまえは思わず、やめてと声を上げた。涙も流れていた。
拘束された両手が自由になる。しかし次の瞬間、彼の左手はなまえの首筋に静かに添えられた。ゆっくりと締め上げられる。
「っ、は、あッ……」
息はできる。でも苦しい。多分、彼は死なないギリギリのところで加減していた。
「なまえ、君は俺のものだよ」
意識が朦朧とする。中で彼のものがびくんびくんと震えた。今まで中に出したことなどあっただろうか。
水滴がぱたぱたと顔に落ちる。
それがなんなのか予想はついたが、なまえはもうなにも考えたくなかった。


(2015.10.2)

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